第04/11話 ゴンドラの格闘

 現在、正午。

 コースを流されていくナスン缶を戈音が追いかけ、その背を毅乃が追いかけていた。

 こけないようバランスをとりながらきついカーブを曲がり終えた。(ん……?)眉間を険しくした。(ナスン缶の数メートル先でコースが途切れているわね)

 よく見ると途切れている箇所の先では宙にゴンドラが浮かんでいた。平べったい正方形の皿のような外観だ。合成樹脂の底面を、四本の辺に重ねるようにして組み合わされた金属パイプが補強している。吊り下げているのは四本のワイヤーで、ゴンドラの四隅から斜め上に向かって伸び、数メートル上がったところで一点に集約されていた。さながら正四角錘のようだ。

 ワイヤーを集約しているのはリング状の金具で、直方体の装置の底に設けられていた。装置は単線式のレールの始点に位置し、レールは奥に向かって緩やかに下るようにして伸びていた。

(なるほど……。あの四角い装置──ランナーがレールを進むことで、ランナーに吊り下げられているゴンドラも進んでいく、というギミックね)

 ナスン缶がコースの先端から落ち、ゴンドラの床に着地した。その衝撃がセンサーか何かで感知されたらしく、ゴンドラはゆっくりと移動し始めた。

 戈音は「お待ちくださいまし!」と叫んでコースの先端から跳び出した。ゴンドラの手前の縁に掴まりぶら下がる。

 コースの先端の数メートル手前にいた毅乃も「ちょっと置いていかないでよ!」と叫んで右上に向かって跳んだ。続けざまにコースの縁を踏みつけ、今度は左上へと跳ぶ。レールに掴まると勢いを利用して体を引っ張り上げ、その上に立った。

 一息入れる余裕もなくレールを駆け始めた。十秒も経たないうちにランナーの手前にまで到達した。

「はっ!」

 毅乃はゴンドラめがけてレールから飛び降りた。ちょうど体を引っ張り上げた戈音が乗り込んだところだった。その胴にめり込ませよう、あわよくば背骨か腰骨でも折ろうと考え、右足のかかとを突き出した。

 とうぜん気配を感じ取っていたらしく、戈音は左に転がり仰向けになった。毅乃の右足は戈音の体の左横を通過し、床を踏みつけた。

 ゴンドラが、ぐらりっ、と前へ大きく振れた。毅乃は左足を下ろし、身を低くして床に手をついた。前後左右に体重移動し滑り落ちないようにする。

(ここなら逃げ場はない、蒲辺の関節を極めてやるわ!)

 仰向けになっている戈音は掌や足の裏を床に押しつけて滑り落ちないようにしていた。毅乃は揺れが穏やかになってきたタイミングを見計らい、戈音に近づいた。とりあえずマウントポジションをとろうと思い、腰に跨ろうとした。

 激しく抵抗されるに違いない、という予想は外れた。戈音が動かしたのは左腕だけだった。手を上げ、掌を毅乃の顔に向けてきた。

(何よ……?)

 怪訝に思っている暇もなく掌に変化が生じた。下のほうに円い穴が開いたのだ。先刻までは皮膚に似せた蓋に覆い隠されていた。内部は細長い筒状で突き当たりは赤かった。

(まさか──)

 考えるより先に動いた。左手を右から左に振る。戈音の左腕にぶつけて払い除けた。

 掌の穴が、どおんっ、という音を轟かせて火を噴いた。

(──!)

 毅乃は目をみはった。背後から甲高い金属音が、かんかんかんかん、と連続で聞こえてきた。

(さては左腕は義肢で散弾銃を仕込んで──)

 思考を打ち切らざるを得なかった。全身が自由落下の感覚に包まれたためだ。ゴンドラの床は、垂直に下降していく毅乃たちの体に押し退けられるようにして右下へと傾いていき始めた。

(何が──!? 何よ──!?)

 戈音から離れて両腕を右へ伸ばす。あっという間にゴンドラの床は垂直になった。毅乃はなんとか床の右下隅に両手で掴まり、ぶら下がることに成功した。

 初めに頭上の様子を確認した。ランナーに繋がっている四本のワイヤーのうち二本が途中でちぎれていた。さきほど戈音が撃った散弾を食らったに違いなかった。残った二本はゴンドラの左上隅と右上隅に接続している。ランナーおよびゴンドラは毅乃の後ろに向かって進行していた。

 次に目前の様子を確認した。戈音は床の左下隅に右手で掴まり、ぶら下がっていた。左手にナスン缶の取っ手を握って毅乃と向き合っている。

(今の蒲辺は左腕の仕込み銃を使えない……発砲の反動で手を滑らせてしまうから。やっつけるチャンスね!)

 毅乃は左右の脚を揃えて膝を曲げた。爪先を後ろに伸ばしてから、ぶうんっ、と前に振る。

 戈音は攻撃を察したらしく唇を引き結んだ。少しでも遠ざかろうとしてか、膝を屈して脚を畳んだ。その脛に毅乃の爪先が、げしっ、と当たった。

 戈音の体が右手を支点として前後に振れた。必死に右腕に力を込めていて、肌には血管が浮き出ていた。落ちないよう堪えるのに精一杯で反撃する余裕もないに違いなかった。

(こちらはゴンドラに両手で掴まっているのに対して向こうは右手だけ……わたしのほうが有利よ!)

 毅乃は前回と同じ要領で、かつ前回よりも遠ざけるようにして、爪先を後ろに伸ばした。今度はもっと強い威力の蹴りを入れてやろうと考えた。

(とにかくなんとか蒲辺に手を離させて転落死させてやるわよ! それからゴンドラを降りて、一緒に落ちていったナスン缶を回収しに行けばいいわ)

 毅乃は両脚にあらん限りの力を込め、爪先を前へ振り始めた。

 戈音が右手を離した。

(えっ──!?)

 手を滑らせてしまったわけではなかった。戈音は右手を離す直前、体を引っ張り上げつつ脚を小さく後ろに振っていた。その反動を利用して毅乃めがけて跳んできているのだ。

(わたしにしがみついて道連れにするつもり……!? そうはさせるものですか!)膝を曲げて脚を畳んだ。(これでもう届かないわ……!)

 しかし戈音は毅乃にしがみつこうとはしなかった。空中を横方向に通っている円柱──コースの支柱の上に、とっ、と着地したのだ。毅乃はゴンドラの進行方向に対して背を向けているため、支柱の接近に気づかなかった。

(支柱の上を移動して逃げる気……!?)

 予想は外れた。戈音は即座に支柱を踏みつけ、毅乃めがけてジャンプした。左脚を曲げ右足を前に突き出す。いわゆる跳び蹴りの姿勢だ。

(攻撃──!)

 片手を離してガードに使う、という案が浮かんだ。しかし実行に移すより先に戈音の右足が毅乃のみぞおちにめり込んだ。

「ぐふっ……!」

 両手がゴンドラの右下隅からすっぽ抜けた。後ろ斜め下に向かって落ち始めた。

(くっ──)

 落ちながら身を捻ってターンした。ちょうど空中を横方向に通っている支柱の手前を通過しようとしているところだった。

 両腕を斜め上へと伸ばした。がしっ、と支柱にしがみついた、というよりは激突した。

「うぐうっ……!」

 腕が、じいいん、という衝撃および鈍痛に見舞われたが、なんとかぶら下がることに成功した。安堵している余裕もなく、体を引っ張り上げ支柱の上に乗っかった。

(腕は──まだ痺れている真っ最中だし、肌もところどころうっすら青黒くなっているけれど……)軽く動かしてみた。(うん、大した問題はないわ、いつものように扱える。少し鈍い痛みを感じるけれど、容易に我慢できる程度だし。さて蒲辺のほうは……)

 周囲に視線を巡らせたところ、すぐに戈音の姿を見つけられた。ゴンドラの右下隅にぶら下がり進行方向を向いている。毅乃には背を見せていた。

(ゴンドラの行く手の空中には足場になりそうな物はない、蒲辺は終点まであのままだわ。今のうちに!)

 毅乃は支柱を伝って移動し始めた。別の支柱に跳び移ったり、ジャンプして頭上の支柱にしがみついたり、縦方向の支柱をよじ上ったりした。

 やがて毅乃は奥へまっすぐ伸びている支柱の上を走り始めた。支柱の先端はコースの側面に繋がっている。その地点の数メートル上にはゴンドラのレールの終点があった。

 しばらくしてランナーが終点に到達した。戈音は手を離して落ち、コースの底に着地した。

 その右脇腹に毅乃の右足がめり込んだ。毅乃はさきほど支柱を踏みつけてジャンプし、空中で跳び蹴りの姿勢をとっていた。

「がはあっ!?」

 戈音は左に向かって倒れ込み、コースの縁に左半身をぶつけた。隣では毅乃もコースの底に衝突していたが、受け身をとったおかげでダメージは最小限に抑えられていた。ナスン缶が戈音の手を離れて吹っ飛んでいったのを目にした。

 立ち上がって辺りに視線を巡らせる。すぐにナスン缶を見つけられた。コースの中、毅乃たちの現在位置から少し直進したあたりにあり、水に流されて遠ざかっているところだった。毅乃の前には戈音がいて背を見せてうずくまっている。

(早く手に入れないと!)

 しかし行動開始は戈音のほうが早かった。「しつこいですわね!」と言いながら立ち上がりナスン缶めがけて走り始めた。

 毅乃も「待ちなさいよっ!」と言って追いかけ始めた。

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