3-02.私、ヤンデレを目指してみようと思うの
教室。僕の席。窓際だけど、景色は悪い。
1年H組の教室は一階の端にあって、お隣は駐輪場。ちょっと角度を工夫すれば空が見えないこともないけれど、この時間は登校してくる生徒と目が合ったら気まずいから、あんまり外を見たくない。
「おはよう、ひーくん」
でも僕は外を見ようと思う。
おっ、立花くんだ。やっほー!
「ふーん、そういうことするのね」
痛い痛いッ、肩に爪が食い込んでるッ!
「あっ、やっとこっち見た♡」
からかい上手なヒロインみたいな発言はやめろ。君が清らかな存在じゃないことはもう分かってるんだ。
「お邪魔するわね」
彼女は僕の上に座った。
僕と机の間に体を入れて、強引に。
「おはよう、ひーくん」
「……おはよう。神楽さん」
息を吐けば届くような距離。
神楽さんは、うっとりとした表情で言う。
「ご報告があります」
「聞きたくない」
「私、ヤンデレを目指してみようと思うの」
「斬新な報告だね」
悔しい。興味出ちゃった。
「具体的に、どうするの?」
「まずは一ヵ月ほどイチャイチャします」
「ふむふむ。それから?」
「彼の子供を妊娠したの! とか言いそうな女と仲良くなって私を蔑ろにしなさい」
「急に難易度が跳ね上がったね」
「私は、その女の腹部を引き裂きます」
「そして決め台詞」
「……中に、誰もいませんよ」
僕は目を閉じ、思考する。
「ちょっと古いかな」
「流石ね。元ネタが伝わるとは思わなかった」
しばらく笑顔で見つめ合う。
数秒後、僕は彼女にジト目を向けて質問した。
「どうしてユーはヤンデレに?」
「あなたが言ったのよ。重たい女の子が大好きだって」
「確かに言ったね」
「だから私、色々と検索してみたの」
「なるほどね。よりにもよってヤンデレに辿り着いちゃったのか」
「ダメだった?」
「もうちょっと頑張りましょう」
「……残念。良いアイデアだと思ったのに」
彼女は全く残念そうじゃない様子で言った。
それから両手で僕の頬を挟み、楽し気な表情を見せる。
「あなた、よく見るとイケメンなのね」
「主人公だからね」
「やっぱり普通かもしれない。でも、なぜかイケメンに見える。どうしてかしら」
「……」
「それは君が僕に恋をしているからだよと言いなさい」
僕は溜息を我慢して問いかける。
「今度は何を参考にしたの?」
「私のオリジナルよ。めんどくさい恋心をアピールしてみようと思ったの」
「噓っぽい」
「酷い。好きでもない人に、こんな風に密着しないわよ」
僕はジト目を続けて考える。
彼女の目的は、僕とゲームに参加することだ。しかし彼女は相手に裏切られることを恐れている。だから、僕が決して裏切らないと信じられる材料が欲しいのだろう。
それだけの理由で、こんなにも極端な行動に出る。
実にめんどくさい性格だ。かわいそうに。大好きです。
「そろそろ周囲の視線が痛い」
「大丈夫。私の長い髪に隠れて、二人の顔は見えないはずよ」
ひそひそ声が聞こえる。
あえて拾わないけど、とても目立っている。
「あなた、主人公と呼ばれているのね」
「羨ましいでしょ」
「鋼のようなメンタルね。素敵よ。私だったら不登校になっているかもしれない」
「まあ、ぶっちゃけ自己紹介は失敗したかなと思ってるよ」
僕はあえて拗ねた表情を見せた。
あの時の僕は、主人公っぽいイベントが発生しないことに焦りを覚えていたのだ。でも今は違う。あえて中二病を演じる必要は無くなった。
「そろそろ退いてくれない?」
「物理的に重たいとか言ったらあなたを殺して私も死ぬわ」
「まさか。僕は鍛えているからね。ヒロインが十人乗っても大丈夫なのさ」
「まずは私が物理的に重たいということを否定しなさい」
「君は羽のように軽いよ」
「ありがとう。退かなくても大丈夫そうね」
意外と頭の回転が速い。とても僕好みだ。
故に惜しい。例のアレさえなければ……。
「あなたを殺して私も死ぬ。これって究極の愛だと思わない?」
「急に何を言い出すの?」
「ヤンデレについて調べていたら出てきたのよ」
「……そっか」
彼女は色々と影響を受けやすいようだ。
僕は今まで「子供の教育に悪い!」とか「某組織からクレームが!」みたいなアレに否定的な感情を持っていた。でも彼女を見ていると、認識を改めざるを得ない。
まったく、あなたを殺して私も死ぬだって?
そんなの最高……じゃなかった。特殊な性癖を表に出すべきではない。
「現実だと試せるのは一回限り。寂しいわよね」
同意しない。絶対に同意しないぞ。
僕には彼女の歪んだ認知を正す義務があるんだ。
「私とゲームに参加すれば、ライフが続く限り試せるわよ。お得だと思わない?」
「……僕が、そんな口説き文句に乗ってくる異常者だと思うかい?」
「違うの?」
「違わなうが?」
「新しい日本語の誕生ね」
しまった。「違う」と「違わない」が混ざった。
神楽陽炎。僕の深淵に踏み込むとは……やるじゃないか。
「神楽さん、TPOを考えよう」
「どうしたの。急に卑猥なことを言って」
「どこが卑猥だったのかは聞かないでおくよ」
咳払いひとつ。
「ここは教室だよ」
「構わない。どう見られても。君となら」
見事なドヤ顔。
その後、チャイムが鳴った。
「残念。時間切れね」
「……残念だねー」
「今は二人を引き裂く鐘の音。いつか祝福の音色に変えたいものね」
「……そうだねー」
神楽さんは僕から離れた。
そして、名残惜しそうな様子で自分の席に座った。
ふと隣から視線を感じた。
立花くんと目が合った。彼は僕に親指を立てた。
へし折ってやりたい。
そんな気持ちを溜息に変えて吐き出す。
そして僕は戦慄した。
こんなにも疲れたのに……まだ、今日が始まったばかりなのだという事実に。
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