5 アルディス王国にて(1)
「アイツを探せ!見つけ次第捕まえろ!殺しても構わん!」
「おい!魔法探知に引っかからねーぞ!?
「足跡があったぞ、あっちだ!」
「枝が折れてるぞ!」
「踏まれた草がある、間違いないぞ!」
これらの声がはっきりと聞こえるわけではない。
遠くから混ざり合って、反響したかのように頭に響く。
そしてその声に反発するように、ボロボロの体で足を必死に動かす。
どれくらいの時間、こうしていたのかもはや分からない。
岩場も、草原も走った。川もあった気がする。
もう走れなくなって、それでも足だけは動かした。
足が、体が悲鳴を上げる。
いたい。
つらい。
涙はもう枯れた。
それでもただただ走った。
そして森に突っ込んで、木の枝で怪我をして。
走れなくなっても歩き続けて。
いつしか森を抜けたところで声が聞こえないことに気づいて、そこで視界は暗転する。
そして、目が覚めるのだ。
「うっ…」
これはいつもの夢。
マグディスが実際に体感した、遠い日の出来事だ。
「朝か…。」
これからまた旅に入る。ほとんど使用人達が用意してくれるので、そこまで用意するようなこともない。
馬車や船に乗って移動するだけなので、何もなければ体力的にも困らない。むしろ暇なくらいだ。
だから、目をつぶったまま、色々考えてしまう。
(この夢の後、親方が俺を拾うんだな。)
拾った後、マグディスはしばらく心身喪失状態だったらしい。気づいたら孤児院に居た。
親方の話で、逃げてきたことは分かった。でも両親の顔を思い出したり出来たわけではない。
「いつか、思い出したりできるのかな…。」
そんなふうにつぶやいてみたら目が冴えてきた。
着替えて食事を摂り、集合場所のヘムト侯爵邸に向かった。
「おはよう、マグディス。」
「マグ君、おはよう。」
「おはようございます、マグディス君。」
「おはようございます。」
メリア、キャロット、クワルドの3人から挨拶された。
どうやら、マグディスが最後だったようだ。
「マグディス、剣は確かに受け取ったぞ。ありがとな。」
「マグディス様、おはようございます。」
コール隊長とケイトも同行するようだ。
「ケイトさんはともかく…隊長は、部下のことは良いんですか?」
「よくは無いが、侯爵の決定なら仕方あるまい。腕がなまらんようにしないとな。」
「そこは私もいつも気をつけていますね。移動が多いと訓練の時間が限られるので、うまく負荷の高い訓練をする必要があって、大変ですね。」
「なるほどなあ…。」
「マグディス、お前も戦場に立つ身だぞ?馬車から降りたら訓練だな。」
「げ。訓練の話振るんじゃ無かった。」
マグディスは、移動中も忙しいらしいことが決まってしまい、肩を落とした。
「馬車内では魔法の勉強をして、降りたら訓練、出来る男は大変ね。」
「キャロット義姉さん、笑いごとじゃないよ…。」
マグディスは結構ギリギリな生活をしている自覚がある。鍛治は楽しいとはいえ、やはり疲れる。それに加えて兵士の訓練と魔法の勉強を日々こなしているのだ。
養子になってからはいつもいっぱいいっぱいで、この前の馬車の旅も初めての『何も無い日』だった。
…にしては、魔法の勉強をしていたので、何もないというのは言い過ぎである。割と暇な休日、という程度だった。
「いつ鍛治が出来るのかなあ…。」
「帰ってきたら出来るわよ。ホラ、もうすぐここを発つから早く乗って。」
メリアに急かされて馬車に乗る。
全員が乗ると、すぐに動き始めた。
今回は、商品の輸送についていく形だ。国家間の輸送なので量がとても多い。荷馬車の数も10を軽く超えている。
「既に以前から、商品を幾つも船で送り出していたよ。厳重に梱包されていて、僕の実家を建てる金額以上の額が動いてるんじゃないかな。僕が見たのはそこまでだけどね、それでも凄いものだ。」
「視察をしていたんですか?」
「視察というか、見聞を広げろと言われているからね。話に聞いているのと実際に見るのは違うということで、見に行くことになったんだよ。ヘムト侯爵領だけじゃなくて、他の領地も回っているんだ。」
「農村も見てきたけど、やっぱりちゃんと比較すると違いがたくさんあるというのを実感したわ。文章で残すことは大事だけど、見ることも大事。よく言われていたけれど、本当にそう。見たものを全て、他人に分かりやすく書き残すことはできないわ。」
「夏にはイルライド大侯爵領とガルドーブ大侯爵領に行ったし、その周囲も見ていたんだ。いやあ、林業は凄かったよ。みんな兵士より強いんじゃないかって動きだったからね。」
「ガルドーブ大侯爵領ですか!あそこの精錬設備は気になっていたんですよね。」
「ははは。鍛治のことになると目が無いね、マグディス君は。」
「どうといっても、ギルバートおじ様のところとほとんど変わりませんでしたわ。まあ、あそこが精錬専門であることを考えると、むしろ凄いのはギルバートおじ様の方ですわ。」
「そういう意味では、やはりヘムト侯爵領は栄えているよね。」
「ええ、やはり食事の質の差で、裕福かどうかを実感しますわね。」
今は、マグディス、キャロット、クワルド、それにコール隊長のワルド共和国組で馬車に乗っている。アルディス王国組は別の馬車だ。休憩時に交代するのが通常だ。
コール隊長は基本的に外を見ている。
「マグディス、そろそろ時間だぞ。」
「了解。【地の神よ、そこに住まわせし人の在処、今ここに示し顕したまえ。ーーー探査(センテス)ーーー】」
ミスリルの剣の柄を握りしめ、魔法を詠唱し発動した。
「人はすごく遠くにチラホラいるけど、あっちには畑っぽいのがあるから農民じゃないかな?近くには誰もいないみたいだ。」
「うむ、便利よな。」
「本来は、1人つきっきりで魔法具で探査するらしいんだけど、この剣があると魔法具に比べて凄く広範囲になるからなあ…。」
「いやあ、マグディス君のそれは反則だね、ほんと。」
定期的に、不穏分子がいないかチェックしている。ワルド共和国では考えられない行動だが、アルディス王国では主流で、旅の安全性にとても貢献している無属性魔法だった。
前回の旅ではメリアが指輪でやっていたが、今回は大人数で襲われる危険性も低いということで、練習がてらマグディスが行っている。
「そういえば、『代わってくれてありがとうございます!』って、とても嬉しそうに言ってたわね。あの低級魔術師の子…。」
「ずっと魔法具に魔力を注ぎ続けるだけの仕事みたいだからね、動けない上に魔力は吸われ続けてしんどいんだろうね。」
「…楽そうだなと思っていたけど、そういう感じの仕事もあるんだな…。」
そうこう話しているとヘンゼル大河に辿り着いた。荷下ろし場で既に荷の載せ替えが行われている。船にマグディス達も乗り込み、出発していった。
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背景紹介29「工業(鍛治)」
鍛治は、各地で行われてはいるものの、ドワーフ族の技術にヒュム族が追いついていない。というよりも、ヒュム族は数を重視した鋳型によるものが主流で、ドワーフ族は鍛造の技術が突出している。ギルバート・ヘムトは交易によって栄えていたヘムト領に特産品を増やすべく、自身の類稀なレベルの趣味を仕事に引き上げ、ヘムト領の武器・道具屋としての工房を作り上げ、ブランド化に成功した。
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