第2話

「あら、また会ったわね」

「どうも、春乃さくらさん」

「あら、私の名前知っていたのね」

「まあ、有名みたいだから簡単にわかりました」

「へえ、もしかして可愛いから有名だったりして。ふふ」

「……」

「あら、本当にそうなのかしら?」


 彼女はクスクスと口元を隠して笑った。


 くっそ……そんなに綺麗に笑うなんて調子が狂うではないか。

 

 それに可愛いと言うよりはむしろまるで病人のように色白い肌だとか、儚くて脆そうなほど細い身体だとか、どちらかといえばそちらの方が印象として強いように思う。


 まあ……可愛いとは思うけれど、口が裂けても本人には絶対に言うつもりはない。

 

 それになによりも、彼女は可愛いから有名なわけではない。

 去年、この月見学園に入学してからずっと噂になっていたとある理由を持っているからだ。


 確か去年の今頃、聞いた話はこうだった。


『——旧校舎の門には、古い制服を着た美しい少女がいるんだってさ』

『冗談だろ?』

『本当だって』

『誰か見たのかよ?』

『いや、隣のクラスのやつが見たらしい……チョー可愛いんだってさ』

『へえ……』

『マジなんだって!』

『それで、いつ会えるんだよ?』

『4月くらいから8月にしか会えないんだってさ』

『はあ?絶対、嘘くさいだろ』

『だから、本当なんだって——』


 そんなクラスメイトたちの会話を盗み聞きした、ボクはバックパックを手に取って教室を後にした。


 あの時に聞いた噂の張本人が目の前に現れたのだ。

 当然、気になった。


 だからあの噂をしていたクラスメイトたちに聞いてまわったら、すぐにわかった。


「ねえ、キミ。また全身、ずぶ濡れのようだけれども……何かあったの?」

「いや、ちょっと転んでプールに落ちた」

「ふふ、キミって、案外ドジなの?」

「……」


 ボクの反応を見て、彼女は何かを悟ったように「そう」とだけ言った。


 彼女はトコトコとボクの隣まで歩いてきて、制服に触れた。

 そして、色白く細い指がボクの頬に触れた。


「少し冷たいわね」

「まあ、濡れていますから。それに、さくらさんの方だって冷たいですよ?」

「ふふ、そうね。一緒ね」


 そう言って、彼女は少し目を細めて笑った。


 ……調子が狂うではないか。


「春乃さくらさん」

「どうしたの?」と彼女は、チラッとボクのことを見た。


「いや、そういえば、ボクの自己紹介がまだだったなと思って」

「それもそうね。はい、自己紹介をどうぞっ!」

「なんか調子がズレるんだけど……」

「はい、張り切ってどうぞー」

 

 彼女はバラエティ番組の司会のような軽さで、そう言った。

 実際、軽やかなステップを踏んで、彼女はエアーマイクをした手をボクの方へと伸ばした。


 どうやら案外、陽気な性格の持ち主のようだ。

 ちょこんと首を傾げて、彼女は「さあ、どうぞー」と繰り返した。


「……晴見春樹です」

「へー、はるきくんって言うんだ。いい名前ね」

「そりゃあ、どうもありがとう」

「いえいえ」


 それからボクたちは、いろいろなことを話した。

 何が好きで何が嫌いなのか。

 それこそ、くだらない話題から真面目な話題までたくさん話した。


 いつしかボクは、彼女のところに通うのが日課となった。


 その日あったことや休日は何をして過ごしているのか。

 

 どんなことを考えているのかだとか、どんなことを思っているのか。


 彼女のことを少しづつ知った。


 そんなある日の昼下がりのベンチで、ボクの隣に座る彼女。

 彼女はその色白さ……いや、正気を失ったような青白い手を眩しいほどの青空に向かって伸ばしながら口を切った。


『ねえ、ハルキくんは、好きとか嫌ってなんだと思う?』

『哲学者にでもなりたいの?』

『もう、真面目に考えて』とちらっとボクへと視線を向けて、からすぐに空へと視線を戻した。


『……そんな漠然な質問をされても』

『私は、好きとか嫌いって自己満足だと思うんだよね』

『……自己満足?』

『そう。勝手に好きになって勝手に嫌いになって……なんて言えばいいんだろう。勝手な思い込みで、相手への理想でも思い描いちゃうのかな。そういうの、ほんとバカみたい』


 彼女の声は小さく、そして冷たかった。

 

 きっと、ボクに同意を求めているわけではないのだろう。

 それだけはわかった。


『それは仕方ないんじゃないのか。好きや嫌いを分けるのは、人間に備わっている性質というか特質みたいなものなのだろうから』

『まあ、それもそうね……仕方ないのかしらね』


 この時、彼女は寂しそうな表情を浮かべた。

 まるでどこか暗闇の中にいて、絶望から抜け出すことができないようなそんなどうしようもない運命の中にいるのではないか。


 そんな何かを抱えているかのように思えた。

 

 そして時々、彼女は寂しそうな表情をすることが多くなった。

 でも、ボクは最後まで彼女に深入りすることができなかった。


 なぜならば——彼女との時間は長くはなかったから。


 そう、別れは突然やってきたのだ。

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