胎動し始めるクラスシナリオ
90.モルガン家とのお茶会当日へ
それから少しだけ時間をおいて、今度はアスミさんがエレノーラさんに呼ばれて出ていった。
おそらくだけれど、借金関連の問題について話をするのだろう。
その日はそのまま私達のところへ戻ってこなかったアスミさんだったけれど、翌日の夜にはひょっこりと私達のところに来た。
その時に話の顛末を聞いたところ、どうやら借金問題に関してはびっくりするほどすんなりと解決してしまったらしい。
彼女のステータスを見せてもらったけれど、借金の項目自体はまだ残ったまま。これだけ見ただけでは、たいして変わったようには見えないけれど。
「借金の借入先を見てもらえればはっきりわかりますよ。……ほら、こんな感じです」
「あ。ほんとですね、ヴェグガナルデ公爵家って書いてある」
ちなみにカジノの人からは『借金は返してくれさえすればそれでいい』と、実に淡白なコメントをもらったそうだ。
あと、これに伴ってアスミさんはクラスアップの要件を満たしたらしく。
『カジノのディーラー』から、『さすらいの錬金術師』という肩書きのようなクラス名になったらしい。
一応、上位クラスという位置づけになっているようだ。
また、クラス名に『さすらいの』とついているあたり、通常クラスの『錬金術師』とは明確に区別されている感が感じられる。
「エレノーラさんからも、変に借金をネタに縛り付けるような真似はしないって言われているし、これでようやっと肩の荷が下りたっていう感じです」
「予想以上にあっけないというかなんというか……何はともあれ、おめでとうございます?」
「はい。ありがとうございます、ハンナさん」
まぁ、なんにしてもこれでエレノーラさんにとっても、アスミさんが(一応)身綺麗な状態になったことで、公爵家の屋敷に出入りすることにも特に何も気にする必要がなくなったとご満悦のようだし、一件落着といったところなのかな。
ちなみに実質的には今確認をした通り、借入先が公爵家に変わっただけで、依然として借金が残っている状態ではあるのだけれど――返済に関しては、できるときに少しずつ返してくれればいいと言われているらしいので、私のお店のスペースを借りてアスミさんが作った服系の装備を売りつつ、後は別のあてもあるらしいのでそちらからの収入も一部は返済に充てるそうだ。
「それで、アスミさんは例の薬草のことについては……」
「はい、お手伝いさせてもらいますよ。借金を肩代わりしてくれる条件にも入っていましたからね。ただ、一応、カジノとのつながりもなくなったわけではなくてですね。定期的に、カジノの景品として納品してもらいたいものをリスト化して渡されてはいるんですけどね」
「あ、そうなんだ」
クラスアップして、それでカジノとのつながりもすっぱり切れてなくなったというわけではないんだね。
「なんというか、コストカットの意味でも、完全に断ち切りたくはなかったみたいですね。最終的に、市場の卸値の8割で売ることになりました……」
「……妙にリアリティな話だね、それって」
「ですね」
喜ばしいはずの話なのに微妙に喜びきれない気分になって、静かな図書室の空気もあってしばらくはしんみりとした雰囲気が継続した。
――ちなみに市場の卸値というのは、NPC売却額である。
この時、NPCにこう言われた時は大体がその街の中で完結することが多い。つまり、レクィアスで言われたことなら、レクィアスの市場での卸値、ということになる。
レクィアスは現状ゲーム内でもダントツで物価が高い地方都市である。
そこでの卸値の8割というと――まぁ、お察しの通りというかなんというか。
ここヴェグガナークでのNPCショップの
つまりそういうことである。
卸値の8割でもなお、普通に自分で販売するのと変わりないくらいのもうけが出るって……レクィアス、まじで物価高すぎでしょ。
ゲーム内での出来事とはいえ、資金繰りに破綻して借金持ちになるプレイヤーが後を絶たないわけである。
さて、それからモルガン家でのお茶会の日までは、意外とあっという間に時間が経ってしまった。
途中、エレノーラさん達が王都に到着するまでの間は、定例的な令嬢教育を除けば一日を通して自由行動となっていたが、それでもやりたいこと、できることは山ほどあったからね。
それらをやっていたら、あっという間に時間が経ってしまったのだ。
エレノーラさん達が王都に到着してからは、再び毎日午前中はお茶会の練習となったから、余計に時間が経つのが早く感じられてしまった。
令嬢教育以外で起こったことのいくつかを上げていくと、まず鈴は無事に【博識】スキルを取得することに成功した。
ゲーム内で、追い込みと称して読書量を増やしたのもそうだけれど、やはり据え置き型調薬スペースを使って、一気に多量のポーションを作っていたのが決め手となったようだ。
あれのスキル経験値の獲得量は、【知見】スキルだとかなりのものになるみたいだからね。
決め手になったのがそれというのは、ある種納得できる話ではあった。
ちなみに調薬スペースだが、鈴は公式イベント中は『クラスレベルが1になるとイベント報酬の受け取りに支障が出るから』という理由で『店舗持ち薬師』ではなくただの『薬師』のままでいたが、イベントの終了に伴い、鈴も心置きなく『店舗持ち薬師』にクラスアップできるようになった。
イベントが終わってからもしばらくは『薬師』のままでいたけれど、【博識】も取得できたことでいい切り替え時だからと、クラスチェンジに踏み切ったようだ。
なお、『据え置き型調薬スペース』の所有が解禁されるのは、『店持ち』以上の『薬師』系クラスか『錬金術師』系クラス。
なので、イベント期間中、鈴がクラスアップするまでの間は、鈴の工房に置かれていた調薬スペースは一時的に私の所有物として登録されていた。使う分なら、他人の所有物であっても許可さえあれば問題なく使えることはわかり切っていたしね。
今は鈴の物として正式にシステムに登録されている。
あとは――そうだ、アスミさんにそろそろ防具の更新がしたいと申し出たら二つ返事で引き受けてくれたりもしたっけ。
公式イベントでのプレゼントコインを使ったBOXガチャからの入手分も含め、私と行動していたことでとにかく糸素材の採取には困っていなかったらしく。
試しに今作れる最高の『服』系装備を見せてもらったけれど、問題ない程度にはなっていたので、依頼した次第だ。
正直、1か月足らずでたどり着ける領域とは思えないと思うのだけれど、そこは公式イベントが開催されたことも影響している。
実はアスミさん、少しでも周囲の【裁縫師】スキル持ちに近づくべく、イベントスキルスロットの一つには【裁縫】スキルをセットしていたらしい。
しかも、3つあるスキルスロットのうち1つをあえて未設定のままにしておき、【裁縫】スキルが派生可能になったら【裁縫師】スキルを取得し、直後に残しておいたイベントスキルスロットにセットするという念の入れようだ。
結果として、ほとんどのイベントポイントを【裁縫師】に注ぎ込んでいたため、DL勢としては言えないくらいにはスキルが成長しているらしい。
本当に裁縫が好きなんだね、アスミさん。
さらにアスミさんには【調合錬成】という伝家の宝刀的スキルもあるから、カスタマイズ面でも他のプレイヤーよりガバガバな部分があるし。
正直、現時点ではトップクラスの生産職ほどとまではいかなくても、かなり上位には食い込むプレイヤーにはなりつつあるんじゃなかろうか。
そんなわけで、アスミさんには秋用のドレス装備を作ってもらうことになっている。アスミさんは、どうせだから【フォーマル】スキル対応のドレスにチャレンジしてみる、と言っていたから、仕上がりがちょっと楽しみだ。
あとは、エレノーラさんが到着する頃合いになって王都の屋敷にファストトラベルで転移して、到着したオリバー君を出迎えたらぎょっとして驚かれたり。
貴族街を歩いていたらまた近くに住んでいる貴族から依頼を受けたり。
あとは、ゴリムラさん達とお話をしたり、樹枝六花と遠征に出かけたりと、いろいろありはしたけれど、充実した夏休み後半を送れたと言えよう。
そんなこんなであっという間に時間が過ぎ去って、いよいよドリス・モルガンさんとのお茶会当日となった。
この日、私はいつの間にか公爵家によって新調されていたらしい、新しい『フォーマル』対応のドレスに身を包んで、モルガン家の屋敷へと赴いた。
これからは夏から秋へとシーズン外交するので、ドレスもそれに合わせて装いを変えていかないといけないらしい。
門をくぐり、ポーチで馬車から降りるとそのまま玄関扉へと近寄る。
そして、ミリスさんにノッカーでドアをノックしてもらい、中から
「ヴェグガナルデ公爵家が長女、Mtn.ハンナと申します。本日はドリス・モルガン様が主催されるお茶会にお招きいただいたため、それに参加するために訪問させていただきました」
「ご丁寧にありがとうございます、Mtn.ハンナ様。ドリスお嬢様はすでにテラスにて準備を進めております。ただ今ご案内いたしますのでお入りくださいませ。こちらへどうぞ」
入ってきた女性に案内されながら、私は注意を引かない程度に屋敷の中を見渡す。
やはりというか、公爵家の屋敷の内装とは微妙に細部が異なる。
いや、そりゃ屋敷自体が違うのだから内部構造も違っていておかしくはないのだろうど、飾ってある調度品とかもやっぱり花瓶だったり観葉植物だったりと、植物に関係したものが多い印象を受ける。
公爵家の屋敷の中だと、風景画だったり鎧だったりからっぽのツボだったり、無機質だったり芸術よりだったりするからなぁ。
こういう違いを見ているだけでも面白いよ。
そうして、メイドさん――サイファさんによる講習によれば、パーラーメイドというらしい――に案内された先で、私はいつぞやぶりのチュートリアルを受けることになるのであった。
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