3.チュートリアル:お腹を満たそう


 男性は、メイドに待機しているように命じると、そのまま私が寝ているベッドのすぐわきまでやってきて、柔和な表情で私に語り掛けてきた。

「目覚めたようだね。えっと……すまない、君は体こそ私の娘だが、中身はもう違うようだし、何と呼べばよいのだろうか」

「あ、Mtn.ハンナです。ハンナと呼んでもらえれば」

 設定したとおりの名前を名乗れば、男性は心得たように頷いて、話を続けた。

「わかった。では、ハンナ嬢。まず、あなたは自身が置かれた状況を把握しておられるだろうか」

「いえ……ステータス、と言ってわかるでしょうか、自分が公爵令嬢になっているということはわかっていますが……」

「うむ、正確に把握できているようだな。私も驚いたよ。まさか、我が娘が一方的な婚約破棄に遭い、自暴自棄から滅多に手に入らないという猛毒を使って自殺に至るなど」

 なるほど。

 私は住民NPCの間ではそういう設定になっているのね。

「私や、私の妻も我が娘を救おうとしたが、朝起きて、すでにこと切れていた娘を救う手立ては見つからなかった。そうして、悲しみに暮れながらも葬儀の準備に取り掛かったところで、君の魂が娘の体に入り込んだ、というわけだね」

「あなたの娘の体に、私が?」

 ということは、私が設定したアバターは無効になってしまったということ?

 まぁ、それほど作り込んだわけでもなく、単にリアル体依存のモデルにAIで補正を加えただけのアバターだったから、別にいいといえばいいんだけど。

 しかし……そうなると、私の立場ってどうなるんだろうか。

 もしかして、チュートリアル中に早々、『お前は娘ではないのだから家に置いておくことなどできない』と言われて追放、なんていうことになったりとか?

 十分にあり得そうだなぁ。それはそれで面白そうだけど。

「まぁ、君も思うところはあるだろうが、とりあえずは自由に動いてくれて構わない。が、一応はっきりとさせておくとな。とりあえず、名義の変更は貴族院に申し出ていて、すでに申請は通っている。この世界において君は、異界から魂だけという極めて珍しい事例でやってきた異邦人であり、同時に私の血を引く正式な貴族令嬢ということにもなる。その点、重々承知しておくようにな」

「……はい、わかりました」

 有無を言わさない雰囲気。

 長い言葉だったけど、総括すると私は初期設定の通り私として『公爵令嬢』という肩書きのまま、ゲームをスタートすることになったということ。

 そして、多分だけど公爵令嬢という肩書きがある以上は、行動に何かしらの制約が付き纏う、ということになるのかな?

 まだはっきりとはわからないけど、一応はそういうことになるんだろうなぁ。

 と、ぼんやりとそう考えていると、ふと全身から力が抜けて、起こしていた半身が再びベッドに倒れ込んだ。

 ――ぐうううううぅぅぅぅぅぅぅ……。

 かぁ、と顔が熱くなる。

 このお腹の底から響き渡るこの音は――いわゆる、腹の虫という奴――!

『チュートリアル2/4 空腹を満たそう

 住民から話を聞き、自身が置かれていた状況を知ることはできましたが、そこで改めて空腹を覚えました。

 このままでは餓死してしまいます。そうなる前に、用意してくれた食事をいただきましょう』

『空腹について:

 このゲームでは、全てのプレイヤーに満腹度がマスクデータで設定されており、これが減ってくると体から力が抜けてしまいます。

 満腹度が完全になくなると、そのまま最大VTも減少していき、やがて飢餓となってリスポーン地点に戻されてしまいます。

 そうなる前に食事をとり、飢餓によるリスポーンを未然に防ぎましょう』

 う……このチュートリアル、もう少し早く出てきてくれたらお腹の音聞かれずに済んだのに。

 若干恨めしく思いながらお腹を擦っていると、男性がくく、と笑いながらメイドに食事の準備を命じた。

「笑わないで下さいよ……」

「いや失礼。しかし、異邦人の魂が入り込んでいても、やはりきちんとした命の営みはあるのだなと思ってな。どうやら、君ともうまいことやっていけそうで何よりだ。――あぁそうそう。我が娘は貴族界隈では大食いで知られていてな。マナーだのなんだのは公式の場以外では気にしなくてもよいから、好きなように食べてくれ」

「ありがとうございます」

 マナーなんて、スキルには出ていても実際には全然これっぽっちも知らないので、好きにしていいと言ってくれたのは非常に助かった。

 とりあえず、さわりのない食べ方で――

「…………って、あれ? 急に体が……」

「ふむ。どうやら、君自身はマナーを知らずとも、君が入り込んでいる我が娘の体は、キチンと貴族のマナーを覚えているようだな」

 どうやら私はテーブルマナーからは逃れられない運命のようだ。

 スキルによる動作アシストということなのだろうか、私が『間違った』動きをしようとするたびに、見えない力によって矯正されていく。

 そうして四苦八苦しながらも、なんとか用意されたお粥を食べきることに成功した。

「はぁ、はぁ……ご飯を食べるのにこれだけ疲れたの、初めてですよ……」

「うむ。実にぎこちなくて愉快な動き方だった。幼い頃の娘を見ているようだったよ」

「あはは……」

 笑うしかない。

 この分だと、多分ゲーム内での日常生活でも、同じようにスキルによる矯正があるんだろうなぁ。

 まぁ、これはこれで、知っておけばいずれ何かの役に立つ時が来るかもしれないし。

 今ここで、慣れておくことに越したことはないだろうね。


 お粥を食べたことで体のだるさも立ち消え、私は再び半身を起こして男性と相対した。

「そういえば、私、あなたのことを何とお呼びすればいいのか聞き忘れていました」

「おぉ、申し訳ない。私から名乗らず、君にだけ名乗らせたままになってしまっていたな。私はウィリアム・ヴェグガナルデだ。父と呼んでくれても構わないが、気が引けるのなら気軽に名前で呼んでくれて構わない。好きなように呼んでくれ」

「ありがとうございます、ウィリアムさん」

「うむ。……さて。それでは、腹が膨れたところで、改めて話をしようか。内容は、そうだな。これから、君がどう動くのかについて、と言ったところか」

 私がどう動くか、か……。

 私的には、このまま貴族令嬢ロールしていくのも面白そうだとは思うんだけどさ。

 先程の流れからして、私が入り込んだこのキャラの過去話に、悪役令嬢モノの、その後の物語を追体験できるみたいだし。

 まぁでも、本音を言っちゃえば、せっかくのファンタジーモノのゲームなんだし、やっぱり私はこのゲームでも、冒険がしたい。

 というか、冒険をしたり、冒険を通していろんな人と交流してみたいから、私はVRMMORPGをやっているのだ。

「冒険」

「む?」

「冒険をしてみたいです。この世界の、いろんなところを回って」

「ふむ……。この世界の、となると少々厳しいかもしれないが……」

「そう、ですか……」

 やっぱり令嬢スタートだとそういうのは厳しいかぁ。

 と、そう思ったところで、ウィリアムさんのしかし、という声が聞こえた。

「この世界の、というのは厳しいが、この国の、であれば問題はないだろう」

「どういうことでしょうか」

「簡単だ。先ほども言ったように、君はこの国の貴族である私の娘として登録されているし、私との血のつながりもある。だから他国へ渡るのも一苦労で、しかもそれが単に冒険のためとなるとさらに話は難しくなる」

「要人警護の問題とかが、あるからですね?」

「話が早いな。加えて、私はこれでも王弟の身でね。キミに何かあれば、それだけで戦の種火になってしまう。そんなわけだから、うかつに君を他国に行かせることは難しいのだ。が、国内だけであれば、ある程度の融通は容易に通るだろう。むしろ、立場を利用して、普通のものでは入れないところでも侵入は容易になるだろうな」

 おぉ……!

「ということは……!」

「あぁ。結論から言えば、国内に限定されるが、可能だ。希望するなら、今日中にでも冒険者ギルドに行ってくるといいだろう。一応異邦人ともなったのだから、食べるものさえ食べれば体力はすぐに回復するのだろう?」

「えっと、はい。まぁ……」

 若干羨ましそうな顔でそう言われて、少しだけ申し訳なくなる。

 私にとっては、この世界の体はあくまでもゲームのための、仮初の体であり、データの塊でしかないから、何かしらの不調を抱えても対応するアイテムを使えばえばすぐに治ってしまう。

 けれど、ウィリアムさんはじめ、住民たちではそうはいかないのかもしれない。

 スキルでNPCを仲間に加えられるといっても、あまり頼りすぎるのもあまりよくないのかな。

 まぁ、それはさておいて。

 さすがに(ゲームの話とはいえ)ここまで親身になってくれると、逆になんか申し訳なくなってくる。

「あの、手伝えることならお手伝いもしますので……」

「ふむ。それなら、冒険者となった暁には、私からも君に手伝えそうな仕事をクエストとしてこなしてもらうとしようかな。あとは、冒険にかかる費用はすべて君の自己負担とする。その方が冒険者らしいだろう? まぁ、初期費用くらいは供出するがな」

「あはは…………。ありがとう、ございます?」

 いたずらっぽい目でそう言われてしまえば、私は頷くことしかできない。

 話の流れで、冒険をするにあたって、まずは冒険者ギルドに登録しておくに越したことはないという話になり、そのまま身支度をしてギルドに登録しに行くことにった。

 身に着けているのが『貴族のネグリジェ』という寝間着だったのでまずはこの服から外出用のものに着替える。

 といっても、私は特に何もしていないんだけど。

 ちなみにウィリアムさんは、女性の着替え中に男がいるのはよくないと言い残して一旦退室した。

 メイドさんがどう動くのか測りかねていると、着ていく衣装の準備を整えていたらしいメイドさんが、私に向かって手をかざす。

「ではお嬢様。こちらにお召替えいただきますね」

 次の瞬間、なんと私の着ている衣服が全部変わってしまったではないか。

「……はい、終わりましたよ」

「あ、ありがとうございます? 一瞬でしたね」

「スキルの力を使えばこんなものですよ」

 スキルの力、マジパネェ……。

 さらにメイドさんは、どうだと言わんばかりに私の前に姿身を移動させてきた。

 そう、鏡である。

 私はその鏡に映った自身の姿を見て、思わず呆然としてしまった。

 ――これが、私……?

 最初に驚いたのは、私自身のアバターの姿。

 ウィリアムさんの話から、私が当初設定していたアバターは無効になっているものとして認識していたけれど、こうもあからさまに違うとこれはこれで感心してしまう。

 というかこれ……アイコン無効にしてたら、私他のプレイヤーからNPCと勘違いされちゃうんじゃない?

 それくらい、今の私の立ち姿はNPC然とした、いいとこのお嬢様という言葉がピッタリ似合うアバターだった。

 それから、つい今しがた着せられたドレス……いや、ドレスアーマーか。

「綺麗なドレスアーマー……」

 上半身は胸を守るプレートと、その下に肌触りがよさそうな布地。そしてウエストから下はこれまた豪奢な装飾のついたスカート。

 鎧をドレス風に仕上げました、といったようないかにもドレスアーマーなこれは、手に触れて情報を呼び起こせば『コンバットドレス』という、このゲーム独自のドレス分類らしい。

 鎧のようでありながら、実際には『ドレス』に含まれる装備のため、着こなすのに要求されるスキルも【鎧】スキルではなくあくまで【ドレス】スキルらしい。

 なんとまぁ、ご都合主義な。

 ついでに、もう一度顔周りを確認すれば、側頭部には何らかの紋章があしらわれた髪飾りが。

 そして両耳にも、同じ紋章の飾りが付けられたイヤリングも着けられている。

「鎧、という意味ではいかにも冒険者らしいっちゃらしいんだけど、なんか豪華すぎるというかなんと言うか……」

 初心者装備としては、実に協力過ぎる気がしないでもない。

「お嬢様をお守りするための大切なドレスですからね。性能は、いくら高くても足りないくらいです。といっても、今のお嬢様に扱いこなせる範囲のものになりますが。デザインもよくお似合いですよ」

「性能かぁ。高ければ、それでいいっていうものでもないんね」

「そうなります。旦那様のお言葉もありますし、ご不満があれば、あとはどうぞお嬢様ご自身でご準備くださいませ。ただし、その末にいかなる結果が待ち受けようとも、それはお嬢様ご自身の責任です」

「つまり、勝手にしやがれこのやろうってところかしら」

「極論を言ってしまえばそうなりますが……公爵令嬢にふさわしいお言葉ではありませんね。少しは慎みくださいませ」

「わかりました。気をつけます」

「はい、ぜひともそうしてくださいませ」

「はぁ……」

 試しにメニューを開いてみる。

 ……うん、確かにすごいのはいいんだけど。

 私、本当にこれで冒険に行かないといけないのかな?

 悪目立ちするの確定な気がするんだけど。

「では、旦那様をお呼びしますね」

「うん、お願いします」

 メイドさんは、満足したように頷くと、ウィリアムさんを呼びに部屋の外へ出ていった。

 ウィリアムさんは、部屋の前で待機していたのか、すぐにメイドさんを伴って再び部屋に入ってきた。

 ただ、ウィリアムさんの後ろには、追加で二人ほど、女性のNPCが控えていたけど。

 新しく入ってきた二人は、そのまんま女騎士としか言えないような格好をしている。

「うむ。準備できたようだな。その装具は私からの餞別だ。あとは、先ほども言った通り、少しばかりの資金も用意するが――あまり甘やかすのもそれはそれで成長にはなるまい。以降の資金は自分でどうにかしなさい。では、気をつけてな。フィーナ、ヴィータ。よろしく頼むぞ」

「はい」

「お任せくださいませ、旦那様」

 ウィリアムさんのそんな声に応じる、女騎士さん達。

「旦那様よりMtn.ハンナ様の専属護衛の人を賜りました、フィーナと申します」

「同じく、ヴィータと申します」

「「以後、なんなりとお申し付けくださいませ」」

 彼女たちは、私のもとに来ると、そのまま跪いて、誓いを立てた。

 って、そこまでするのこの人達!?

「は、はいぃ……よ、よろしくお願いします」

 ――騎士、個体名ヴィータ・マルセンを召喚可能になりました。

 ――騎士、個体名フィーナ・マルセンを召喚可能になりました。

 うわぁ、こう、人に傅かれるって、ここまでむず痒い物なんだぁ。

 なんかもぞもぞとするような感覚になりながらも、私は彼女たちに冒険者ギルドまでの案内を頼んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る