未来ノート

@cactas

未来で予定で確定で

「宇都木。これ、どう思う?」


 恋人である宇都木うつき風香ふうかは机の上に置かれたノートを手に取りつつ、俺の前の席に腰を下ろし、ノートの表紙に書かれた文字を読む。


「えー……未来ノート?」


「未来ノート」


「ファンタジーじゃん。イタズラ?」


「いや、本物かも」


「本物かもって……これが? 児玉、そんなに頭悪かったっけ?」


「可もなく不可もなく……あぁ、この間の国語のテストは94点だった」


「成績と地頭は比例しないかぁ」


「えぇ。めっちゃディスるじゃん」


「こんなの信じてる時点でディスられても仕方なくない?」


「それはそう、と言いたいけど、中身はそんな突拍子もないものじゃなくてさ。えーと……ほら、ここ」


 ぱらぱらとページをめくり、ページのとある場所を指差す。


 宇都木は覗き込むように指差した箇所を見て、ゆっくりと読み上げていく。


「……楠木原大学入学。楠木原大学って、ここから駅三つくらいの向こうのところにあるやつだよね」


「そうそう」


「それで?」


 質問の意図が読めない、と怪訝そうな顔を浮かべる宇都木。


「ここって、そんなに偏差値高めじゃないじゃん。今から人生放棄するレベルではっちゃけない限り、普通に入学できると思う。……で、次にこれ」


「大学卒業後、篠倉市役所に就職って書いてあるけど」


「さっきの大学もそうだけど、ここもまあ頑張ればなんとかなると思うんだ。外国のやたら偏差値高い大学に留学して、みんな知ってるような大企業に就職とかならともかく」


「……つまり、現実的な範囲だから信じたみたいな?」


「そういうこと。無茶苦茶なこと書くなら、もっと凄いの書かない?プロのスポーツ選手とか、三つ星レストランの料理長とか、後は……総理大臣とか?」


「そうなったら電車走らせてよ。私から児玉の家までの間に」


「そんな政治家、職権濫用ですぐ辞めさせられるよ。そもそも、うちと宇都木の家、三キロしか離れてないし」


「でも、すぐに会いに行きたくなる時あるじゃん」


「その時は俺がすぐそっち行くよ。だから、電車はなし」


「あー……確かに。すぐ来てくれるもんね、児玉」


「うちのお姫様。機嫌が悪くなると手がつけられないから」


「大変だね」


「他人事みたいに言ってるけど、宇都木のことだからね?」


「え? 私、そんなに怒ったことないと思うんだけど」


「うん。それは、まぁ、そうだけど」


 確かに怒りはしない。ただ、ものすごく拗ねる。平謝りすれば治るのかというとそうでもなく、二、三日拗ねてる時もあれば、五分後くらいには直ってる時もあるから、難しい。もう慣れたけど。


「話は若干逸れたけど、ここから先もさ、リアリティがあるっていうか、生々しい感じがしない?」


 就職してすぐ同棲。それから五年後に結婚。結婚式には家族と親しい友人を呼んで盛大に。それから二年後に男の子が産まれて、さらに二年後に女の子が産まれるのと同じ時期に一人目の子が保育所に入所etc…と大まかにではあるものの、一年間のうちに起きる大きめのイベントがつらつらと書かれている。享年八十一歳の辺りなんかは特にそうだ。


「んー……そうか、な?」


 宇都木はノートを手に取ると眉根を寄せて、中身を見ていた。何かお気に召さないことがあるらしい。


「この辺さ。もう少し巻けない?」


 宇都木は胸ポケットに挿していたボールペンをカチと鳴らすと『就職してすぐ同棲』のところを強調するようにぐるぐると丸で囲む。


「巻く?」


「そう。この辺巻いたらさ、結婚も子ども作るのも早くならない?」


「早くはなるけど、あまり早くしすぎるのも大変だよ」


「大丈夫。児玉と私なら、ね?」


「その自信どこから湧いてくんの……?」


「どこって…….ここ?」


 そう言って、宇都木は自分の胸――正確には心臓のあたりに指を刺す。確かに自信は心から湧くものではあるけれど、今言いたかったこととは違う。


「そういうことじゃなくて――」


「後は児玉がいるから、かな。私だけじゃ無理難題かもしれないけど、児玉がいてくれたらなんとかなるって、そんな気しない?」


 首を横にコテンと傾けて、微笑を浮かべる。それを見て、がくりと肩を落とした。


 ああ、これは本気でそう思ってる顔だ。付き合い始めてまだ半年しか経ってない。恋人になる前の付き合いを含めても一年弱。わからない事はまだまだあるけど。


 宇都木が俺を信じている。それはすぐにわかった。


「……過大評価しすぎじゃない、俺のこと」


「あ、照れてる」


「照れて……ます」


「児玉のそういうところ、私は好き」


「そう言ってくれるのはいいけど、二人きりの時にしてよ。あとでからかわれるんだから」


「嫌?」


「面倒臭い」


「じゃあ良いじゃん。面倒臭いのには慣れてるでしょ?」


「それはもちろん。こう見えても百戦錬磨だし、そろそろ達人の域に……って痛い痛い。ごめん。謝るから、いい感じの威力で殴ってくるのやめてくんない?」


 さっきとは一転、やや不機嫌そうに最後の一撃を俺の腕にお見舞いすると、宇都木はむくれっ面で窓の方に視線を向ける。


 機嫌を損ねてしまったらしい。


 どうしたものかとポケットの中を漁ってみるが、中に入っているのはハンカチと家の鍵だけ。


 こう言う時に限って、飴のストックとかないんだよな。


 帰りに飲み物でも買って……ああ、いや、このまま解散すると絶対機嫌悪いの引き摺るよな、宇都木。


 しょうがない。こういう時は奥の手を使うに限る。


 無言で席を立ち、窓の方を向く宇都木の前に立つ。


 相変わらず、不機嫌そうな宇都木。でも、俺がなにをしようとしているのか、察しているらしい。小さく溜め息を吐いて、立ち上がり、両腕を開いた。


 それに誘われるように俺は宇都木に一歩近づき、抱きしめる。


「本当にごめん。ちょっと言い過ぎた」


 ただのハグ。スキンシップ。


 この程度で機嫌なんて直るものかと聞かれれば――


「……ん」


 ――直る。他の人は知らないけど、宇都木は余程のことでない限り、これで機嫌を直してくれる。


 気持ち抱きしめる力が強いが、多分許してくれてるはず。


 さて、ひとまず許してもらえたところで、俺は宇都木に一つ聞いておかないといけないことがある。


「宇都木さ。これ、こうして欲しいの?」


「え? なにが?」


「いや、これさ。宇都木が書いた……あ、ちょっと違うか。筆跡違うし。音無か、一ノ瀬あたりに代筆してもらって書いてもらったやつでしょ」


「そうだけど。どしたの急に」


「かっる。いや、いいんだけどさ。なんか途中から隠す気全然無さそうだったし……宇都木は俺にこうなってほしいってことでいいの?」


「うん。その方が一緒にいられる時間長くなるし」


「それはまぁ……確かに」


「だから頑張って。ファイト」


「はい、頑張ります」


 多分、来週くらいには『児玉の好きにした方がいい』って言うんだろうな、宇都木は。


 俺のより、宇都木の未来ノートが欲しいよ……ダメだ。こっちも当てにならなさそうだ。


「あ」


「え? なに? どしたの?」


「いや、一個スケジュール書き忘れたと思って」


「まだなにか追加されんの? 結構書いてるよ、これ」 


 雑ではあるが、未来(暫定)は結構決まっている感じだ。そこへ追加で予定を挟むとなると内容次第では俺の努力量が跳ね上がる。


「大丈夫。書くのもするのもすぐ終わるから一旦離して……あ、私が良いって言うまで児玉は目、瞑ってて」


「了解」


「絶対開けちゃダメだからね」


 一体なにを書く気だ。それにするってなんだ。すぐ書き終わるのはともかく、すぐできることってなんなんだ。


 変なこと書いてないといいな、なんて考えていたのも束の間、唇に柔らかいものが触れた。


 特に驚くこともなく、目を開くと宇都木が嬉しそうにはにかんでいた。


 視線をノートの方に移すと赤文字で『おはようとバイバイのキスは絶対する』と書かれているのを見た時、思わず苦笑する。


「バカップル過ぎない? これ」


「こういうのはバカくらいがちょうどいいでしょ」


「それもそうだけど、これいつから?」


「さっきしたから……今日からってことで。あ、でも、さっきのはノーカン。これから一緒に帰るし」


「それはいいけど……じゃあ、どこでするの?」


「私の家の前。ちょうどそこで別れるし」


「えぇ……家の人に見られたらどうすんの」


「別に良くない? パパもママもサユも知ってるし」


「それは……そうなんだ、けど。その、それとこれとは話が違くない? 恥ずかしいとか」


「ないよ?」


「だよね」


 そんな気はしてた。

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