第29話デジャブ

 冷気と眠気で混濁した意識の中、まどろみの中から浮上してきた意識が窓の外から差し込む月光を捉えた。

 ゆっくりと体を起こす。見慣れた天井。見慣れた家具。少し大きめなベッド。どう見たってうちの寝室だ。

 どうやら先程まで悪い夢を見ていたらしい。全く、見覚えのある展開だったっからヒヤヒヤしたわ。疲れてたから変な夢見たのかな。夢で良かった。


 力の抜けた俺はベッドに沈み込む。このベッドはこの前愛里奈さんと買いに行った時に買ったベッドだ。押し切られて買っちゃったけど、この広いベッドの中でも愛里奈さんは引っ付いてくるため結局何も解決していない。勘弁してくれ…


「…あ、起きた。おはよー透くん」


「…え?」


 予想外の声に俺は素早く起き上がる。開かれた扉の先にはなんと芹沢さんがいた。

 なぜという疑問よりも先に首の痛みが主張してくる。どうやらそれが答えのようだった。…勘弁してくれよ。


「…マジかよ」


「マジだね。まぁ座りなよ」


 言われて座るわけもなく、俺はベッドを挟んで芹沢さんと距離を取る。多分、今の芹沢さんは俺の知ってる芹沢さんじゃない。だから何をしてくるかも分からない。最低限の退路だけでも確保出来るように隙を伺う。


「…透くんがあまりにもいい男だから私勘違いしちゃった。私のことを想ってくれてるんだって」


「…あながち間違いでもないですけどね」


「へー、否定しないんだ。そういうところが人を面倒にするんだよ透くん」


「…なんのつもりですか」


「え?」


「俺のこと気絶させて…ここまで運んで…なんのつもりなんですか」


 俺の問いかけに芹沢さんはきょとんとした様子で答える。


「透くんを私のものにしようかなって」


 …夜道での気絶。寝室での目覚め。狂った美少女。あまりにもデジャブすぎる。あぁ神よ、俺が何をしたというのだ。いくらなんでもひどすぎるだろう。


「透くんなら私のこと分かってくれるし、置いていったりしないでしょ?」


 光のない瞳をこちらに向けて威圧的な雰囲気を放つ芹沢さんを前に俺の足はビリビリと痺れる。愛里奈さんとはなにか違う雰囲気だ。


「…こうも脅されると置いて行っちゃうかもっすよ?」


「別にまだ脅してないじゃん?」


「まだ、なんですね」


「おやおや、鋭いね透くん」


 できれば冗談であって欲しいところだったが、どうやらマジなようだ。人生で二回も美少女に言い寄られるなんて俺はとんだ幸せ者らしい。


「…というかどうやって入ってきたんですか。鍵は俺と…ん”んっ、俺しか持ってないですけど」


「じゃーん!作っちゃいました!」


 芹沢さんの左手に光るのは鍵。おそらく合鍵、ということだろう。…この人マジか。


「いつからそんなことを?」


「ほんとについ最近だよ。それまで我慢してたけどもう限界になっちゃった。責任取ってよね透くん」


「どう責任を取れと…俺何もしてないんですけど」


「私の側にいてくれればいいよ。ずっとね」


 最後の一言がずっしりと俺にのしかかる。その言葉に込められた思いは俺が受け止めるにはあまりにも重すぎる。


「…分かってるよ。二言返事とはいかないんだよね?」


「分かってるなら引き下がってくださいよ。怖いっすよ」


「それは無理かな。私だって透くんが欲しくてたまらないんだから」


 どうやら芹沢さんは引く気がないらしい。純粋な彼女の瞳が今はどうしても怖い。

 …そうだ。気は引けるが、今から愛里奈さんに連絡を取れば助けに来てくれるはず…!

 そう思い立った俺はポケットに手を突っ込む。…が、そこにスマホは無い。


「な、無い…?」


「これのこと?」


 芹沢さんはの手に握られていたのはやはり俺のスマホ。流石に連絡手段を残すほど甘くないようだ。


「…返してください」


「無理かな。透くんが今ここで私のものになるって言ってくれたら良いけど」


 ここで無理矢理に、というわけにもいかない。きっと力の差では俺のほうが上だろうが、彼女がそれを考慮していないとは思えない。きっとなにかを持ち合わせているはず。なんせ彼女はあのブラックバード塩崎なのだから。


「…ところで透くん。このベッド、一人で寝るにしては少し大きくない?」


「…それがなにか?」


「洗面所を見たら歯ブラシが二本置いてあるし、コップもお揃いのが二個。…随分と仲良しなんだね」


「…何が言いたいんです?」


「分かってるんでしょ?…透くん、誰と付き合ってるの?」


 俺の心を見据えたような質問に俺は背筋を震わせた。必死に顔に出さないようにとこらえるが、内心では焦りを隠せなかった。

 このままではまずい。バレるのも時間の問題だ。どうにかしてこの状況を打破しなくてはいけない。


「…なんのことだか」


「とぼけないで。誰なの?カメラまで設置しちゃって随分と重い彼女さんなんだね?」


「なっ…」


「カメラ、全部壊しておいたよ。…うちの人達に足止めしてもらってるから少しは持つだろうけど、来るのも時間の問題だと思うんだよねぇ。だから早く私のものになってよ」


 唯一の希望だったカメラまで潰されているとは…だが、愛里奈さんがカメラを確認していないはずがない。きっと今頃向かってきてくれているはずだ。となれば俺がするのはただ一つ。時間稼ぎのみだ。


「今の彼女と分かれてさ、私と付き合ってよ」


「…嫌だと言ったら?」


「うーん、せっかくだしここでヤっちゃおうか!」


 …おっけ。もう少し時間稼ぎしよう。


「もう少しお手柔らかな方法にしておいてくださいよ。俺殺されちゃいます」


「その時は私が守ってあげるよ。だから安心して私の胸に飛び込んで来て」


 両手を広げる芹沢さんを前に俺は動かない。


「…行きませんからね」


「つれないなぁ…そんなにえりちが怖い?」


「そうですよこわ…って、え?」


「これ、な〜んだ?」


 芹沢さんが持っていたのは愛里奈さんが表紙の雑誌。それと写真集が数冊。…こればかりは戦犯ですよ愛里奈さん…!


「自分から言ってほしかったんだけどなぁ…まさかえりちと透くんがね…」


「分かってたんなら最初からこんなことする必要なかったでしょ…!」


「やっぱり嘘はついてほしくないじゃん?正直に言ってよ」


 芹沢さんは雑誌をペラペラとめくったあとに床へと投げ捨てた。紙の擦れる音とともに芹沢さんは俺の方へと近寄ってくる。


「さ、全部バレて逃げ道も無くなったところでどうするの透くん?」


「…っ」


 一歩、また一歩と詰められる距離。それから逃げるように後退りをするが、ついに壁へとぶつかる。

 そして芹沢さんの手が俺の顔に触れようとした、その時だった。


「離れて!」


 その声に芹沢さんの注意が惹きつけられる。俺はその隙に彼女から距離を取った。

 間も置かずに数秒後。耳を劈くようなその音は響いた。


パリィン


 砕け散る硝子。飛び込んでくる彼女の影。割れた破片は床に飛び散り、花を描いた。


「…思ってたよりも早い到着だね。愛里奈」


「…やってくれたわね…芹沢紫乃…!」


 修羅場開始、かな?

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