第28話悩みと焦りと急展開

 バイト帰りの帰り道。日も沈み、あたりは闇に包まれ、街の光がその輝きを増している。

 街灯の少ない暗い夜道を俺は一人で歩いていた。いつもとは違う帰り道。少し遠いルートだが、考え事があるときはいつもこの道を歩いてしまう。人通りの少ないこの道はまるで俺一人の世界かのように静かだ。


 俺の脳内には先日の芹沢さんの姿が未だに残っていた。彼女と関わるようになってから、彼女に関する謎がどんどん俺の中に増えていく。

 夜中の目撃情報。学校に止まっていたリムジン。休み時間に見せた物寂しげな表情。関連性の無い情報ばかりで謎が謎を呼ぶ状態だ。一体どうすれば真実に近づけるというのか。

 ただ、愛里奈さんが言っていたように芹沢さんには何かが隠れているのは確かだ。あの表情がそれを物語っている。俺はそれがどうしても気になってしまった。


 考えて見ても答えらしきものは出てこない。愛里奈さんはパパ活なんて言っていたけれど、あの芹沢さんがそんなことをするはずがない。あの女の悪行を聞いてあんなに落ち込んでいたのだ。そんな純粋な心を持った彼女がパパ活など、出来るはずがない。

 となると再び謎は深まっていく。得られた情報も全て無関係。これは…詰んでるな。


 考えているうちにマンションの前へとついてしまった。

 今日は愛里奈さんは撮影で不在。いない隙に浮気をしないようにと釘を刺された。だから、急いで家に帰る必要も無い。

 俺はふとマンションの前にある公園へと足を踏み入れた。



 夜風が頬を撫で、木々が葉を揺らし、夜空に輝く星星が俺を照らす。昼とは違い、夜の公園は静かだ。いつもならこの時間帯でも散歩している人がちらほらいるのだが、今日はいない。静まり返った公園に違和感を覚えるのと同時に、心が安らいだ。

 なにを考えるわけでもなく空を見上げる。何をしていても星は常に輝いている。たとえ俺が愛里奈さんに襲われようとも、芹沢さんが何をしていようともだ。

 

 思えば俺の人間関係はここ数ヶ月で激変した。突然の裏切りからの狙っていたかのように飛び込んできた愛里奈さん。決死の覚悟であの女を止めた健吾くん。以外に趣味が合う芹沢さん。普段必要以上のコミュニケーションは避けている俺からしたらこんなに短期間で友人が増えたのは初めてだ。


 中でも愛里奈さんと芹沢さんは強烈だ。愛里奈さんは前から俺のことを監視していた変人だったし、芹沢さんは異常なまでに気が合う。そして彼女の行動は全く読めない。まともな人かと思ってたら以外なところで変な部分垣間見える。俺の中でこの二人の扱いには悩むばかりだ。

 更に厄介なのが愛里奈さんが芹沢さんのことを良く思っていないところである。二人にいがみ合いされるとこっちが困るんだよな…まぁ芹沢さんはどうとも思ってないみたいだし良いけど。

 …よくよく考えたらこれめっちゃ贅沢な悩みじゃないか?今や国の中じゃトップの愛里奈さんとそれに負けず劣らずな芹沢さん。全国の男子高校生に恨まれそうだ。

 そんなことを考えていると、ふと足音が近づいてきていることに気づく。暗闇の中に浮かんできた人影を俺は見つめた。その影の正体はやはり彼女だった。


「…あれ、透くん」


「どうも。…またパケモンですか?」


「違うよ。今日は散歩してただけ」

 

 軽く微笑んだ芹沢さんは俺の隣に座った。

 この時間に女子高校生一人で散歩、というのはいささか危険な気もする。彼女が言ったその言葉に俺はどこか疑わしい物を感じていた。


「…今日は星が綺麗だね透くん」


「そうっすね。…芹沢さんは良く見るんですか?星」


「たまにかな。悩み事があると見ちゃうかも。…星は数え切れないほど多くて、私がなにしてても輝いてるから見てると私の悩みなんてちっぽけに思えてくるんだよね」


 自分に似た思考の芹沢さんに俺は少し驚く。それと同時に感じた違和感は決して気のせいなどでは無いだろう。

 暗がりの中で見る彼女の横顔はあの時の表情に似ている。その寂しげな横顔に俺の視線は引き寄せられる。


「この前はジャージありがとね。助かったわ〜」


「…今度は他の女子から借りてくださいね。変な噂が立ったら困るんで」


「透くんそういうの気にするんだ。…透くんは私とは嫌?」


 小首をかしげた芹沢さんの表情に俺は不意に顔をそらす。このまま直視していては危険だ。無自覚かどうかは分からないが、その表情はずるいと感じるほどに俺の心を突き刺した。


「…別に嫌では無いっすけど…芹沢さんが困るでしょう?」


「ふふ、私は別に透くんとだったらいいよ。付き合っても」


「…冗談はよしてくださいよ」


「そっか…ねぇ透くん、急なんだけどさ、私の悩み聞いてくれない?」


 芹沢さんの言う通り、実に急な提案だった。だが、俺はその提案に二言返事で答えた。その沈んだ瞳の奥を今なら聞けるような気がして。


「…私の家さ、両親が仲悪いんだ。小さい頃は二人共仲が良かったんだけど、私が成長するうちにだんだん喧嘩が増えていってさ。自然と距離が離れていってるんだよね」


「…」


「二人のこと引き止めたいんだけど、私じゃどうにもできなくてさ。今じゃどっちも家に帰ってこない。…仕事が忙しいこともあるんだろうけど」


「…芹沢さんの両親って、どんな仕事してるんですか?」


「パパは医療関係。ママは外交官って言ってた。…詳しいことは私も知らないんだ」


 芹沢さんの悲壮感漂うその表情は俺の脳裏に焼きついた。今まで隠れていた本当の彼女がまさかこんなにも悲しいものだったとは。


「…たまに様子を見に来たりしてくれるけど、それだけ。お手伝いさんがいるから身の回りのことには困らないけど…寂しいんだ」


 彼女の吐いた言葉は俺が受け止めきれない程に重いものだった。それまで内に抱えていたのであろう苦しみがひしひしと伝わってくる。うつむいた彼女の横顔は髪で隠れてよく見えない。だが、確実に明るいものではないということだけは分かっていた。


「度々こうやって夜中に出歩いたりしてるとさ、心配して迎えに来てくれるんじゃないかって思っちゃうんだよね。髪を染めたのもそれが理由。…ほんとは私黒髪なんだよ?」


「それは知ってますよ。…芹沢さん、去年までは黒髪だったじゃないですか」


「…知ってたんだ。変態」


「なんでですか…」


 少しふざけたようにからかってくる彼女に俺は苦笑いで返した。

 今の芹沢さんは俺が知っている芹沢さんではない。仮面の下にいる、本当の芹沢さんだ。


「愛は過剰な方くらいがちょうどいいって言うけど、あれは本当だよ。足りなくなった愛は、愛じゃなきゃ埋められないんだから」


「愛、ですか…」


 耳が痛くなる話だ。どこぞのトップモデルが同じことをこの前言っていた気がする。


「…落ち込んでた私を励ましてくれたのが甘寧だったの。甘寧はキラキラ輝いてて、近くにいるだけでなんだか元気になれた。…でも、今考えたらなんかの暇つぶしだったのかもね」


「どうですかね…あの女のことなんて読めませんから」


「…甘寧がいなくなって、私の心の支えは消えちゃったんだ。むしろ傷がもっと深くなったかも」


 甘寧の真実を芹沢さんに打ち明けたあの時、彼女の表情には悲しさと同時に寂しさが見えたのはそういうことだったのか。

 芹沢紫乃という強いように見えて弱い存在の支えだったあいつは、芹沢さんにとって大きな存在だったのだろう。

 …これって関節的に俺がその存在を奪ったことになるのでは?なんか申し訳ないな…


「…でもさ、そんなときに来てくれたのが君だったんだよ。透くん」


 再び芹沢さんの翡翠色の瞳が俺を見すえた。暗闇の中でも存在感を放つ彼女の双眼に俺は視線を奪われる。


「多分、気使ってくれてたんだよね?私が落ち込んでたから」


「…まぁ、そうっすね」


「私なんかに付き合ってくれてさ、ほんと感謝してるよ。ここまで気が合う人なんて初めてだよ」


「俺もっすよ。自分以外にこんなことしてる人いるんだなって」


「おー?言ってくれるじゃん。この〜!」


 少しからかう俺の言葉に反撃と言わんばかりに芹沢さんが脇腹をつついてくる。なんだかこの流れも慣れたな。


「…ふふっ、やっぱり優しいね透くんは。勘違いしちゃいそうなくらいに優しいよ」


「なんですか勘違いって…俺そんなことしましたか?」


「そういうところだよ透くん」


 芹沢さんの言葉が俺には理解できなかった。俺そんな勘違いさせるようなことしてたか?ていうかなんだ勘違いって。


「罪な男だよ。透くんは」


「…なんか良くわかんないですけどそうなんですね」


「だからさ、私勘違いしちゃった」


「…え?」


「ごめんね?」


 首元に走る衝撃。あまりの衝撃に俺は崩れ落ちる。

 助けを呼びたいが声が出ない。今にも暗転してしまいそうな視界の中でこちらを見下ろす芹沢さんの姿が見えた。するとこちらに近寄ってきて、俺に向かってふふっと笑う。


「おやすみ」


 目が眩むほどに強烈な一撃に俺は思わず意識を手放した。

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