第25話憧れの
いつからだっただろうか。世界から色が無くなったのは。
いつからだっただろうか。こんなにも体が動かなくなったのは。
いつからだっただろうか。何も感じなくなったのは。
私の中でモデルというのは憧れの職業だった。人々を魅了するその姿。語らずとも溢れ出すその魅力に人々は歓喜する。私が憧れたのは数多いるモデルの中でも一際輝く一等星のような人だった。
幼い私はその姿に憧れた。輝くその姿に、希望を抱いて。
モデルを目指す私を、両親は咎めずに応援してくれた。夢を見る私の背中を押してくれた。わがままで、世話をするのも大変だっただろうに。恩返しをするためにも私は憧れを捨てなかった。
生半可じゃない、変わらない夢。掲げたその星に向かって私は一心不乱に突き進んだ。
絶対にモデルになると決めていた私は中学に上がるのと同時に私はモデル業界へと足を踏み入れた。初めての世界に戸惑うことも多かったけれど、私は手探りの状態で突き進んだ。失敗しても、思ったようなことができなくても、私はめげずにモデル業に取り組んだ。
ときに折れそうな時も憧れの姿を思い出して自らを奮い立たせていた。あの人は落ち込んだりしない。あの人は涙を流さない。あの人はこんなところで止まらない。
自らのすべてを注ぎ、青春さえも捨て去るつもりで私は仕事に取り組んだ。
私の努力の成果は徐々に現れ始めた。次第に仕事も増えて、知名度も上がり、自分を見てくれるファンも増えた。人気雑誌の表紙を飾り、テレビなどのメディアにも進出し、お芝居の仕事も貰えるようになった。
すべてを注ぎ込んだ私の時間は無駄じゃなかった。輝きを得るために取り組んだ私の努力は無駄じゃなかったのだ。
一年足らずでモデル界を駆け上がった私は一躍注目株になり、 ついに私は憧れのあの人に会えることになった。
私をこの業界に引き込んだあの人。私に希望を見せたあの人。私はいつの日かのような希望に満ちた心であの人の楽屋へと向かった。
結果から言えば、あの人は私の思うような人じゃなかった。裏ではスタッフに理由もなく罵声を浴びせるようなろくでなしだったし、周りのモデルを一人で取り仕切っていたのは彼女だった。結果、彼女の顔色を伺うような人ばかりが彼女の周りに集まり、それ以外は業界から排除されていた。彼女の輝きは偽りのものだったのだ。
ありえる話ではあった。モデルが求められるのは表面上の美だけ。それ以外だったらどう悪くたって構わない。それがモデルなのだから。人は絶対になにか一つが欠けている。完璧な人間などいないのだ。
そう分かっていても、私はひどく失望した。
数ヶ月後、彼女の姿は消えていた。私という圧倒的なまでの星を前に彼女の輝きは消えたのだ。
私は許せなかった。上り詰めた先は独裁政権なんて。偽りの輝きで光っているなんて。私には到底許せるものではなかった。
私は決めたのだ。私が一番に輝いてやる。本当の輝きで私があの人をこの業界から葬り去る、と。その結果、私は一年足らずでモデル界の顔を言われるまでに成長した。私が終わらせたのだ。
ある時、私は噂を耳にした。あの人がその顔を売りにして新しい商売を始めた、と。私はただ単純に気になってそれについて調べた。
そこで、私は絶望した。彼女の堕ちた姿に。這いつくばるその姿に。まるで羽をもがれた天使のように無様な姿は私の中に深い傷を残した。
私が終わらせたのだ。彼女を。彼女という一人の人間を。
それからというものの、仕事がうまく行かなくなった。なにをするにもあの絶望が蘇る。彼女が私の足を掴んでくる。あの時の絶望がずっと尾を引いていた。
一度のミスでも咎められるのがこの世界。それが業界の顔ならなおさらだ。私を指差す者も次第に増えてくる。納得のいかない同僚達からの視線も増える。私の輝きは着実に消えていっていた。
私の目はいつからか色を見失っていた。ただ広がる灰色の世界に、私は一人漂うだけ。ただ仕事をこなして、そして寝るだけ。何もない世界で私は街を彷徨っていた。
私は間違えたのだ。結局あの人と同じことをやってしまったのだ。そんな私が輝く必要なんてあるのだろうか?私はそんな疑問を投げ捨てて目に入った路地裏へと入り込んだ。
いっそのことここで倒れてしまおうかと歩いていると、私の目の前には扉が現れた。その扉は建物の裏口にしては似つかわしくなく、ご丁寧に看板まで立てられている。
私は吸い寄せられるようにその扉を開いた。
「いらっしゃいませ〜」
扉の先にはカフェのような空間が広がっていた。暗めの色を基調として、木造づくりが目立つ内装は落ち着いた雰囲気を見せている。
「どうされました?お席へどうぞ〜」
「あ、えと…」
このまま出ていくというのも冷やかしと勘違いされかねない。私は渋々カウンター席に座った。
この時間帯だからか、店内の席はほぼ埋まっている。こんな見つかりにくいところなのにこれほどの人気とは、よほど愛されているのだろう。
テーブルに置かれているメニュー表を手に取る。流石に何も頼まないのは無作法だろう。私は見た中で目に止まったサンドイッチセットを頼むことにした。
注文をしようとカウンターを見ると、一人の青年が注文を受けているのが見えた。見た感じではおそらく私と同年代くらいだ。
普通の高校生ならバイトをしててもおかしくない。だが、違う世界で生きる私にとってはその姿はとても新鮮なものに見えた。
「…あ、ご注文ですか?」
ふと彼を見つめていると、視線があった。彼はにこやかな笑みを浮かべながら私の方へと寄ってくる。
「あ、えっと…サンドイッチセットを、一つ…」
「サンドイッチセットですね。かしこまりました」
彼は私の注文を聞き終えると、厨房の方へと消えていった。
思えば同年代の人間と話すことも最近は少なかった。今学園では何が流行っていてどんなことが話題なのだろう。
最近は仕事で手一杯だから他の人との会話も最低限のものになってしまっている。それ以上が必要だと思わないし、することもない。一番に輝く人は弱みなんて見せないのだから。
「お待たせしました、サンドイッチセットです」
数分して、彼が注文の品を持ってきた。私の目の前にはサンドイッチとコーヒーが置かれる。
外食なんて思えば久しぶりだ。最後に行ったのはいつだったか。もはや覚えていない。
サンドイッチを一つ手に取り、口に運ぶ。タマゴの優しい味わいが口の中に広がった。
昔お母さんがタマゴサンドを作ってくれていたのを思い出す。…最近は家にも帰れていない。ホテルや都内にとってある部屋を転々とするばかりだ。
「あの…お悩み事ですか?」
「…えっ」
不意に響いた声に私は顔を上げた。その先には先程の彼がこちらに貼り付けたような笑みを向けてきていた。
「なんか、すごい思い詰めた顔をしていらっしゃったので」
「…仕事でミスばっかり続いてて…」
私の口からは自然と言葉が漏れ出していた。なぜかは分からなかったが、彼ならいいと思ってしまったのだ。
「仕事のミスですか…ミスなんて誰にでもありますからね」
「…でも、完璧じゃなきゃダメなんです。私が頑張らなきゃ…」
「え…」
私はその言葉を口にしてからハッとした。せっかく彼が励ましてくれたと言うのにこれでは失礼だ。
「…すいません」
「いえ、いいんです。俺なんかただの素人ですから。…きっと、その仕事が好きなんですよね」
「…はい。幼い頃からなりたかった職業なので」
「あはは、それならなおさら頑張りたいですよね。でも、頑張りすぎるとだんだんそれが『頑張る』から『無理する』に変わるんですよ」
「え…?」
「それが『頑張る』だと思っていても次第に視野が狭くなっていって結果的に自分を押し込んで『無理する』になってることがよくあります。もしかしてそうなってるんじゃないですか?」
彼の言うとおりだった。最近の私は頑張らなきゃという一心で周りのことなど気にせずに仕事をこなしていた。自分をあの人の虚像で追い込んでいた。その結果がこのざまなのかもしれない。どこの誰とも知らない男に悩みを吐いて、励ましてもらって。
「…そうかもしれません。ありがとうございます」
「はは、力になれたなら何よりです」
見ず知らずの女のことだと言うのに、彼は優しい笑顔を向けてきてくれた。心優しい人間というのは案外いるものだ。私が思っているよりも世界は優しさで溢れているらしい。
「お客さん、可愛い顔してるんだからもっと笑ったほうが素敵ですよ」
「えっ…」
私はその彼の一言に身を固まらせた。直後に走った稲妻の如き衝撃にひどく脳を困惑させる。慣れない異性からの言葉は私を動揺させるには十分過ぎた。
「…あ!す、すんません…いや、えと…お、お客さんが可愛かったのでつい…」
彼も私の動揺姿を見て気がついたのか焦り始める。フォローしてるつもりだろうが、フォローになっていない。むしろ余計な一言だ。
だが、その姿も何故か愛おしく見える。激しく主張する胸の高鳴り。熱を帯びていく頬。釘付けになる視線。その瞬間、私の世界には色が戻った。
「…というわけよ。思い出してくれたかしら?」
「あー…そんなこともありましたね」
愛里奈さんの話で俺はようやく彼女との出会いを思い出した。…確かにあの時話したな。
普段は自ら客に話しかけるんあんてことはしたくてもできないのだが、あのときは愛里奈さんがあまりにも沈んだ顔をしていたから思わず話しかけちゃったんだよな。
「その瞬間から私の視界には色が宿り、自らの使命を思い出したのよ。透くんのお嫁さんになるという使命をね」
「…俺そんな狂わせること言いましたっけ?」
「かわいいって言ってくれたじゃない?」
愛里奈さんはさも当然かのように言う。…もしかして愛里奈さんっておかしいんじゃなくてすごく純情なだけ…?
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