第20話その唇は誰のため?

「先日制作が決定したドラマ、『光る貴方は恋敵』にメインヒロイン役として出演予定だった御剣愛里奈さんが出演を辞退したことが話題になっており…」


「…あれ」


 朝食を摂る俺の耳に入ってきたニュースは眠気の残る俺の脳を覚醒させた。どうやら愛里奈さんがドラマの出演をキャンセルしたらしい。豪華な配役も決まっていたことからかなり期待されていたのだが、いきなりのニュースにファンは混乱しているようだ。俺も混乱してる。

 世間では活動休止などの憶測が飛び交っているらしい。人気モデルとは言え、学生だし活動の制限だってある。まぁ多分しないだろうけど。

 この前部屋で台本読んでたし、なにも問題は無いように思っていたのだが…身体的な理由だろうか?どこか具合悪いとか?でもそんな様子なかったし…

 …分からないことは本人に聞くのが一番か。ちょうど目の前にいるし。


「愛里奈さん」


「どうしたの?結婚する?」


「そうじゃないです。あれ、どういうことなんですか?」


 愛里奈さんはテレビでニュースを確認すると、思い出したかのように言った。


「あぁ、あれね。キスシーンがあるから辞退したのよ」


「…キスシーン?」


 彼女からの言葉はとても以外なものだった。あまりの演技力に引っ張りだこな彼女がキスシーンを嫌がるとは。…まぁ多感な時期だし、嫌がることの一つや二つあってもおかしくないよな。愛里奈さんだってかんぺき人間じゃないし。…でも今年の主演女優賞も狙えると言われているというのに辞退は少しもったいない気もする。


「えぇ。私の唇は透くんのためにあるの。そこらへんの男にやるほど安くないの」


「理由それですか…」


「当然よ。私がなんのために生きてきたと思ってるのよ!透くんと添い遂げるために私は生まれてきたのよ?」


「んなわけないでしょうが…もったいないですよ。そんな理由で辞退するの」


「もったいなくないわよ。大体、あの主演の男気に入らないのよ」


 愛里奈さんの言う主演の男というのは神埼優夜のことだろう。最近伸びてきたアイドル事務所に所属する人気アイドルの一人で、今回の作品での愛里奈さんとの共演も注目されていた。彼女のムッとした表情を見る限り相当気に入らないらしい。


「…そんなに気に入らないんですか?いいじゃないですか神埼優夜。新進気鋭で」


「あんなの上っ面だけよ。裏じゃ女好きで有名なのよ?ファンも食べてるって話だし」


 …なんだろう。この一瞬にすっごい芸能界の闇を見た気がする。ファン食ってるのか神埼…知りたくなかったな。


「あんな女のことしか考えない奴なんてそのうち消えるわ。…それはいいとして監督もあんなやつだって分かってて私にキスさせようとしたのよ?本当に信じられない…」


「まぁ、そう聞くとたしかに嫌ですね…」


「でしょう?私には透くんがいるのに…あんな男なんかよりも100万倍はイケメンよ」


「それは過大評価し過ぎです。…でもなんかもったいないですね」


「それはそうなのだけれど…」


 相手が女好きとは言え、評判だけ考えたらさすがにもったいなさが残る。愛里奈さんならナンパされても弾き返しそうだし、別にやってても良かったと思うのだけれど…流石にキスはきついか。

 そんなことを考えていると、愛里奈さんがはっとした様子で俺の顔を見つめてくる。不思議に思っていると、まるで謎が解けたかのような様子で俺に話しかけてきた。


「…もしかして透くん、NTR好きなの…?」


「…は?」


「私があの男に寝取られるところが見たいのね…まさかとは思っていたけれど、あの状況でも興奮していたというの?」


「いやいやいや、違いますって!んなわけないでしょ!」


「…透くんが見たいというのなら…今から監督に連絡してくるわ」


「ちょちょっと待ってくださいって!俺、NTR好きじゃないですから!!!」


 俺はスマホ片手に苦虫を噛み潰したような表情の愛里奈さんを必死に止めた。危なく勘違いされるとことだったが、俺は決してNTR好きなどではない。愛里奈さんが寝取られることを期待していたわけでも無い。決して。

 …てか寝取られるって、愛里奈さんはまだ俺のものでも無い…はずだよな?


「良かった…透くん、NTR好きじゃなかったのね…」


「なわけないでしょうが…一回やられて絶望してたんですよこっちは。誰かさんが助けてくれたからいいですけど」


「一体誰なのかしら。きっとすごく透くん想いで愛に満ち溢れた素晴らしい人なのでしょうね」


「はいはい…俺のためを思ってくれるのはありがたいですけど、少しは自分のことも気にしてくださいよ」


「この身は透くんに尽くすために神が私に授けたものなの。使わない手は無いわ」


「…そうかも知れないですけど…俺は愛里奈さんが心配なんですよ」


「…え」


「俺のせいで愛里奈さんのモデル人生がダメになったら大変じゃないですか。それに、愛里奈さんがなにをするかなんて俺が決めることじゃないですし」


 俺の言葉を聞いた愛里奈さんは少し驚いている様子だった。恐らく俺が口を出したことに驚いたのだろう。

 今までは警戒心もあって彼女のモデル業への姿勢には口出ししてこなかった。素人目線でしかものを言えないこともあったが、彼女の身になにかあっては大変だ。流石に注意しておくべきだろう。


「…えぇ、そうね。ありがとう透くん。…確かに少し視野が狭くなっていたのかもしれないわ」


「愛里奈さんが気をつけてくれるなら大丈夫です。…俺のせいで学園のマドンナが狂ったら皆に責められちゃうのでね」


「もうすでに狂わされているわ。無責任な男ね透くんは」


「それはどうもすいませんでした」


「こうなったら最後まで責任を取ってもらわないといけないわね。私の人生の最後まで、透くんに尽くさせてもらうから」


「…それ俺責任取ってることになってます?」


「なんでもいいのよ。とりあえず当分は透くんの側にいられるわけだし」


 何を言っているのかよく分からなかったが、彼女が満足そうならそれでいい。…少しめんどくさいところもあるけど、何より俺を助けてくれた恩人だ。彼女が俺の近くにいたいというのなら、しばらくはそうしていよう。


「今度から透くんの意見も取り入れるようにしておくわ。なんでも言って頂戴。下着でもなんでもあげるから」


「それは遠慮しときます。…ただ、無理は禁物ですよ」


 とりあえずは彼女が大人しくしてくれることを願うとするか…


「…あ、そうだ。早速なんですけど愛里奈さん」


「何?」


「ベッドの話なんですけど…」


「ベッド?」


「はい。…そろそろ別に寝ましょう」


「…え?」

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