第17話帰り道
「ありがとうございました〜」
最後のお客さんを見送り、店内の掃除に取り掛かる。今日は久しぶりのバイト日だった。先日の事件のことがあって雫さんが多めに休みをくれていたのだ。バイト代もそのままにしておいてくれるとのこと。いい人が店長で良かった。
「おつかれ透くん。久しぶりだからなまってるかと思ってたけど、そんなこと無かったみたいだね」
食器を運んできた雫さんが優しく声をかけてきた。彼女とは何気ない会話が多いが、なにか安心できるところがある。こうなんというか、実家にいる感覚というか。心の拠り所であることは確かだ。
母親のように優しい彼女に思わず俺は安心してしまった。
「えぇ。ミスが無くてよかったです」
「…まさか、学園であんな事件が起こるとはね…透くんが無事で私は安心したよ」
雫さんもある程度はあの事件について知っているようで、あらかたの予想はついてたらしい。止めなかった自分も悪いと言っていたが、そんな予測は常人ではできない。アドバイスしてくれただけで十分だ。
「透くんになにかあったらと思うと私仕事が手につかなくてね…」
「心配し過ぎですって。死ぬんじゃあるまいし」
「いやいや、一歩間違えたら死ぬところだったんでしょ?最近の学生ってのは物騒なんだね…もっと狡猾なのかと思ってたよ」
…それは俺も思った。もう少し小賢しく立ち回ってると思ってた。
考えてみれば、彼女の高いプライドなら油断して適当に立ち回るのが関の山かも知れない。それぐらいの人間だあいつは。
「これからは気をつけるんだよ?透くん、よく見たらいい顔なんだから」
「それ褒めてるんですか?けなしてるんですか?」
「褒めてるに決まってるじゃん。私が透くんのことをけなしたことなんてあった?」
「…言われてみたら無いですけど」
「そうでしょ?透くんは私の子も同然なんだ。私は我が子が心配でたまらないんだよ」
雫さんの表情は優しくもどこか不安そうな表情だった。どうやら心配しているというのは本心らしい。彼女の優しい目つきからもそれが見て取れる。
俺はふっと笑い返して言った。
「キモイですねその発言」
「心配してるのにそこまで言わなくていいじゃん…」
「それじゃ、お疲れ様です」
「うん。…よかったら送ってく?」
「大丈夫です。心配し過ぎですよ」
「だって…」
そう言って口を尖らせる雫さんを尻目に店を出る。あの人は少し過保護だ。心配してくれるのはありがたいのだが…自分の子供でもあるまいし。自分の婚期の心配をしたほうがいいと思う。本人には絶対に言わないけど。
まだ仕事帰りで人通りが多い通りを歩いていく。今夜は少し暖かい。季節の移り変わりを感じるな。
思えばここで暮らし始めてからすでに一年が経っている。考えてみると、長かったようで短かったような、濃かったような薄かったような。曖昧な一年だった。ただ、一番濃かったのは街違いなくここ最近だろうな。
思い返せば一年の大半はあの女と過ごしていることが多く、俺が憧れた青春ではなかった。それも突如として砕かれ、そして台風のように急に現れた愛里奈さんによって修復された。無理矢理。
本当だったら、もっと友達と遊んだり、行事ごとでも皆と頑張ったりとかしたかのだが、俺の性格上人とのコミュニケーションがあまり得意ではないため、叶わなかった。…もっとわちゃわちゃしたかったなぁ。
それもこれもあの女が俺に暮らすに馴染ませる時間を与えなかったせいだ。そう思うとあいつやっぱり重罪だな。一生檻の中にいてくれ。
「…お」
家へと向かう俺の視界の端に見覚えのある顔が映る。俺の思考を遮るように存在を主張してきた物の方に顔を向けると、化粧品を片手に凛々しい顔をした愛里奈さんの広告がでかでかと掲げられていた。…この人は至るところに目があるんだな。
最近スポンサー契約をしたんだったか、ニュースで話題になっていたのを覚えている。あと、洗面所にこれあったし。
モデルのときの彼女は驚くほど凛々しい顔をしている。家で見るようなネジの外れた彼女はどこにも存在していない。殺人鬼もびっくりの二面性だ。これが女優としても売れている理由か…
度々考えるのだが、彼女の本性はどちらなのだろうか?家での彼女が本当の彼女とも取れるが、あれ程の演技力だ。実はモデルをやっている時の彼女が本物という可能性もある。…というかそうであってほしい。
…でもきっとどちらも本当の彼女なのだろう。皮肉なことに、どちらもあの愛里奈さんだ。受け入れるしかあるまい。いつか彼女のことを相談出来る友達が出来るといいのだがな…
俺は広告の前で止まっていた足を再び動かして家へと向かった。
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