第7話相談

「イテテ…」


 まだ眠気の残る意識の中、俺は首をさすりながら自分の席へとついた。

 昨晩は愛里奈さんと一緒に寝て、寝ている最中はなにも無かったのだが、朝起きたらくっきりと首元にキスマークが付けられていた。本人に問い詰めたところ、『しないとは言ってないじゃない?』だそう。ふざけんな。

 絆創膏で隠せるレベルだから良かったが、これが何個も付けられたらと思うと…恐ろしい。


「お?透、首どうしたんだよ」


 俺のもとにやってきた凪が痛いところをついてくる。早速触れてほしくないところに触れられてしまった。


「あ、えーっと…ちょっと蚊に刺されて…」


「へー…この季節に?蚊に?まだ早いんじゃないか?」


「う、うん。変わった種類だよな〜あはは…」


「ふ〜ん…ま、気をつけろよ」


 我ながら無理な言い訳だったが、なんとか誤魔化せたみたいだ。全く、あの人のせいで朝からドキドキだ。

 

 さて、今日の目的はあの女に騙されている健吾くんに接触することなのだが…


「ねぇ、健吾〜♡」


 …あの女が近くにいるせいで近寄るに近寄れない。ベタベタしやがって…早くあいつの化けの皮を剥がしてやりたいところだ。

 とは言えあいつがいなくなるタイミングはそうない。あの女と健吾くんの交際が明らかになってからはあいつは健吾くんにいつもベタベタしている。まわりも当然ラブラブカップルにしか見えていないので微笑ましくそれを見つめるばかりだ。俺にとってはあれが獲物を捕まえてほくそ笑む狐にしか見えない。


 あいつが健吾くんのそばにいないタイミングとなると、部活中が挙げられる。部活中なら部外者のあいつが近くでベタベタすることなんてできないし、俺を止めることだってできない。


「聞いた?甘寧ちゃん、サッカー部のマネージャーになったらしいよ」


「それってやっぱり健吾くんのため?…ラブラブじゃん」


 …どうやらこの線は無くなったようだ。というかそもそも俺も部外者だから近寄れない。流石に練習の邪魔をするのは気が引ける。

 となると他のタイミングを狙うしかない。考えられるのはあのクソ女がトイレに行ってるときか部活が無い日…

 部活が無い日は大抵デートの予定が入っているだろうから無理か。だとするとあの女がトイレに行ってる時か…そうなると俺はあの女がモジモジしているタイミングで健吾くんに突撃しなくちゃいけないことになる。…嫌だし難しすぎる。


 というかそもそも俺にとっては話しかけることすらも難易度が高い。陰か陽かで言ったら陰な俺は人と話すのは得意ではない。ましてや相手がゴリゴリの陽キャとなるとその難易度は更に跳ね上がる。その上話す内容が彼女が実はクズだったなんて信じてもらえるかどうか。健吾くん救出への道筋はかなり険しい。


 とりあえず、今は様子見をするしかなさそうだ。隙あらばいつでも健吾くんには真実を打ち明けられるようにしておこう。




「…くあぁ…」


 学園内に鐘の音が鳴り響く。俺は夕暮れの空を見上げながら大きなあくびを一つかました。

 今日はついに隙を見つけることができなかった。あいつベタベタし過ぎなんだよクソ女が…金づる程度にしか思ってないくせに…

 どうしたものか。このままだといつになっても話しかけられる気がしない。まず俺に話しかける勇気を分けてください神様…

 

「…はぁ」


「どうしたの透くん?」


「…え」


 突然の声に俺は机に伏していた顔を上げる。見上げた先には小首を傾げる健吾くんの姿があった。まさかの本人登場に俺は思わず固まってしまった。


「…?もしかして俺の顔になんかついてる?」


「…あ、いや、なんでもないよ…もしかして俺になにか用事?」


「うん。…その、相談したいことが…」


「健吾ー?どうしたのこんなとこで。早くいこう?」


 健吾くんの言葉を遮るようにあのクソ女がやってくる。俺はにらみたくなる感情を抑えて平生を取り繕う。

 

「あ、ごめん甘寧。今透くんに…」


「早くしないと部活遅れちゃうよ?行こうよぉ…」


 甘寧を俺をドブを見るような目一瞥すると健吾くんの腕に絡みつく。この女…わざとやってやがる。俺に近づけないためか…?とことん性悪だなこいつ。


「…ごめん透くん。俺行かなきゃ。自分から話しかけたのに…ごめんね」


「いいんだよ。彼女さん、大切にね」


 俺は隣で化けの皮を被るクソ女に対して精一杯の皮肉を込めた言葉を吐いた。いつか絶対この女の化けの皮を剥いでやる。その思いも込めた言葉だ。


 健吾くんは俺に手を振りながら教室を出ていった。

 思わぬチャンスではあったが、またもやあの女に邪魔をされてしまった。思っていたよりも守りが堅い。獲物は逃さないってか。

 それ以上にあの女は俺のことを警戒している様子だった。恐らく俺に本性をバラされるのを警戒しているのだろう。こっちは今にでもバラしてやりたいぐらいだ。

 これで学校で健吾くんに話しかけるのは難しいということが分かった。学校での接触はできないと思ったほうがいいな。…となると様子見するしかない、か。


「結局収穫無しかよ…」


 俺は肩を落とすとSHADEへと向かった。




「…透くん、どうしたんだい?またそんな落ち込んで」


 先程最後のお客さんを見送ったばかりの店内には俺のため息が響いた。やってしまったと口を抑えても時既に遅し。俺の様子を見てか雫さんが心配そうな声色で俺を見つめた。我慢していたつもりだったが、思わず表情に出ていたようだ。


「ためらわないで言ってごらん?お客さんもいないからさ」


「…その、聞いても気分のよくなるものじゃないですけどいいですか?」


「大丈夫だよ。透くんのことだったら何だって受け止めてあげるよ」


 雫さんはにっこりと優しい笑みを浮かべた。やっぱりこの人には敵わないなと感じた。


「…その…」




「…はぁ、友達がね…」


「はい。騙されてるって伝えたいんですけど…なかなかタイミングが見つからなくて…」


「男の子を騙すなんて、罪な女の子だねその子。ましてや、友達にまで手をかけるとは…」


 俺の話を聞いた雫さんは俺の頭を撫でながらそう呟く。怒っているというよりもむしろ関心している様子だった。彼女の手段に怒りを通り越して関心しているのだろう。


「しかし、困ったね。それじゃあそのお友達も餌食だ」


「そうなんです。だからなんとかして助けたいんですよ…」


「でも、元カノが壁になってて接触ができない、と。…中々に難題だね」


 流石の雫さんもお手上げといった様子だ。流石に恋愛経験皆無な人に聞くのは間違いだったか…


「…透くん、今すごく失礼な事考えてない?」


「…別に考えてませんけど」


「その顔は嘘だね?どうせ恋愛経験が無い人に聞いたのが間違いだったとか思ってるんでしょ?つーん、そんな悪い子にはバイト代あげませーん」


「勘弁してくださいよ…俺バイト代無いと生活できないんですから」


「透くんが悪いんだよ?私が独身だからって…責任とって結婚してもらおうかな?」


「流石に無理っす」


「そんなに拒絶しなくてもいいじゃん…」


 流石に歳が離れた人と結婚するのは無理だ。結婚するなら歳の近い人がいい。

 雫さんは美人だけど、男運に恵まれていないようだ。今まで付き合ったことすら無いらしい。本人曰く、アピールはしているそうなのだが、どうにも相手が振り向いてくれないらしい。残念な人だ。


カランカラン


「あ、すみませんお客様。本日は既に閉業時間に…って、健吾くん!?」


 まさかの人物の来店に動揺する俺。目の前には今まさに話していた健吾くんがいた。どうしてと困惑する俺に健吾くん微笑んだ。


「やぁ、透くん。…今日は話の途中で遮られちゃったから、ここで働いてるって聞いて来たんだけど…もう閉店時間?」


「あ、えーっと…」


「…透くん、もしかして話してたお友達?」


 雫さんの耳打ちに俺は頷いて答える。俺の様子を見て雫さんは理解した様子だった。


「そっか。ここでゆっくり話な。終わったらすぐ帰っていいよ」


 そう言い残すと雫さんはバックヤードへと消えていった。片付けられた店内に俺と健吾くんだけが残される。


「…ここ使っていいってさ。座って」


「ありがとう。…それでさ、相談したいことがあって…」


 健吾くんはそう言うと迷いのある表情を浮かべた。なにやら言うのをためらっている様子だ。相当言いにくいことなのだろう。そんな事を俺に相談とは、一体どんな内容なのだろうか?

 そんな事を考えていると、健吾くんがついに口を開いた。


「…甘寧の、ことなんだけど…」


「…え…?」

 

 俺は健吾くんの口から出た人物の名に背筋を凍らせた。それまでの思考が一瞬にして無に帰した。


「…透くんってさ、甘寧と付き合ってた?」


 更に衝撃は続いた。誰にもバレていなかったはずのあの女との関係。それが健吾くんにはバレていた。彼の瞳には確信の念が宿っている。

 俺は心を落ち着かせながら言葉を吐いた。


「…うん」


「…やっぱり。…俺、実は甘寧が透くんと一緒にいるところをよく見かけててさ。学校ではなんともない感じだったけど、あまりにもいろんなところで見かけたから付き合ってたんじゃないかって思ってて」


「…バレてたんだね」


「…その、それで…見ちゃってさ。透くんが甘寧にお金を盗られてるところ」


 心臓がドキリと跳ね上がる。俺が口にしようとしていたことが次々と彼の口から出てくるこの状況に俺は混乱してしまっていた。


「もしかしてだけど…甘寧の本当の事知ってるのかなって。俺に見せない、根っこの部分のことを」


 健吾くんは俺に力強い眼差しを向けてそう言い放った。その瞳からは彼の決意と覚悟が見て取れる。


「…うん。知ってる。あいつは健吾くんには本物の自分を見せてない。きっと、健吾くんのことを利用しようとしてるんだと思う」


「…そっか。やっぱり、嘘だったんだね…」


 俺から真実を聞いた健吾くんはやはり落胆した様子だった。彼も俺と同様に現実から目を逸したかったのだろう。気持ちは十二分に理解出来る。だからこそ俺は見ていて痛々しく感じた。


「…おかしいと思ってたんだよね。急に俺なんかに告白してきて」


「ははは、俺もそうだったな。騙されちゃったね」


 まったくもって同感だ。告白された時点で少しは疑っておけばよかったものを…今更後悔しても過去は変わらない。


「俺さ、明日甘寧と話してみるよ」


「別れるの?」


「…きっと今まであいつはいろんな人を陥れてきたんだ。…違う?」

 

 先程は違って疑心が残った様子で問い掛けてくる。俺は頷いて答えた。


「…そうだね。その通りだよ」


「ここでその負の連鎖を終わらせるよ」


「…そっか。俺になにかできることはある?」


「ううん。大丈夫だよ。正直に答えてくれてありがとう」


 健吾くんはそう言って微笑んだ。彼にしては少し歪だ。分かっていたとは言え、状況がうまく飲み込めていない様子だった。自分がそうだったように。

 俺は彼の姿に過去の自分を見た。急な裏切りによるダメージは大きい。


「…俺に手伝えることがあったらなんでも言って。力にはなれるよ」


「…うん。頼らせてもらうよ。…それじゃ、いい時間だから帰るね」


「うん。それじゃ」


 そう言って去っていく健吾くんの背中を見送った。彼の背中には見えないはずの傷が見えた。

 あの傷はそう簡単には消えない。一度付けられたものは深く残る。あの女はなりふり構わず人を傷つけているのだ。

 クソ女の悪事が白昼の元にさらされる時は近い。審判の時を待つとしよう。

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