第5話復讐は、

キーンコーンカーンコーン


 学園中に鐘の音が鳴り響く。それと同時にHRも終わりを告げた。

 今日も一日なんとか乗り切れた。正直胸に残るこの気分は晴れていないが、ちゃんと過ごせただけでも上々だ。

 

「天内、今日バイトか?」


「今日は…特に何もないけど」


「それじゃ、どっか飯でも食いに行こうぜ。この前駅前にできたカレー屋とかどうだ?あそこめっちゃうまいらしいぞ!」


 凪の誘いに俺は一瞬頭を悩ませるが、そんなことよりも気になる大きな問題があったことを思い出す。教室を見回すと、既に彼女の姿は無い。


「あー…わり、今日ちょっと野暮用があったんだったわ」


「なんだよ…まさか愛里奈さんか?」


「ぅえっ!?」


 俺が頭に浮かべた彼女を言い当ててきた凪に俺は思わず驚いてしまった。まさか関係が既にバレてしまっていたのか…?


「やっぱりな!今日は愛里奈さんの写真集の発売日だからな〜お前も欲しがると思ってたんだよ」


「…あ、あぁ、なんだ、バレてたのか…」


「当たり前だろ?今日は男達はその話題で持ち切りだ。それに、お前なんか今日やけに愛里奈さんの事ちらちら見てたし?…やっぱ気になってんだろ?」


 良かった…どうやら関係のことはバレていなかったらしい。その代わりになにか変な勘違いをされてそうだが…


「…透、今日来ないの?」


 安堵の息をついた俺の背後から人の女子生徒がやってくる。ボブカットで端正な顔立ちをしているボーイッシュな彼女は篠崎しのさき彩奈あやな。俺がこのクラスで話すことの出来る数少ない女子生徒の一人だ。

 ゲームやアニメなど、彼女とは趣味が合うことからよく遊んでいる。女子と会話が苦手な俺にも優しくしてくれるいいやつだ。


「あ、うん。今日は少し用事が…」


「愛里奈さんの写真集だろ?隠すなよ」


「ふーん…そっか。じゃ、私も帰る」

 

 彩奈は少し不機嫌そうに鼻を鳴らすと、踵を返して去っていった。

 …何か気にいらないことでもあったのだろうか?いつになく不機嫌そうな様子だった。


「おいおい、行くの俺一人かよ!?…透〜お前写真集なら後でも買えるだろ〜?」


「わり、帰んなきゃ…」


「待ってくれよ透〜!」


 訴えかけてくる凪を横目に俺は教室を出た。



「…あ」


 校門を出たところで二人の男女の姿が目にとまる。あいつと健吾くんだ。あっちは俺に気づいていない様子だ。俺は無意識に影に身を隠して二人を見る。


「今日どこ行く?時間あるから色んなとこ行けるよ」


「ん〜、健吾とならどこでもいいよ〜♡」


 …完全に色目を使っている。目の前でこうもやられると流石に心にくるな…

 健吾くんは流石にあいつの本性には気づいていない様子だ。無理もない。化けの皮だけは一級品だからな。助言しようにも信じてもらえなさそうだしな…健吾くん、恭也とも仲良くてたまに話すけどいいヤツだから酷い目には会ってほしくないんだけど、今の俺にはどうにもできないな…

 俺は心の中で健吾くんに謝りながら帰路へとついた。





「おかえりなさい透くん。待ってたわ」


「…」


 嫁か。

 …当然のように人の家にいるじゃんこの人。俺わりと急いで来たんだけど…早すぎるだろ。

 どうやら懸念していたことが起こってしまったようだ。人気モデルの皮を被った変質者が俺の家にあがってしまっている。早めに来ておいて鍵を閉めようと思っていたのだが…今考えてみれば彼女に合鍵を奪われてしまっている。無駄な足掻きだったか。


「お風呂にする?ご飯にする?それとも私?どれも準備万端よ」


「…準備がいいですね愛里奈さん。なんで勝手に入ってるんです?」


「透くんの疲れを癒やすのは私の仕事でしょ?そういうことよ」


 …そういうこととはどういうことなのだろうか。こうも堂々とされると俺が悪いのかと錯覚してしまう。決してそんなことは無い。勝手に入り込んでいる彼女が悪いのだ。


「とりあえず上がって。話はそれからにしましょう」


「それ本当だったら俺が言うセリフなんですけど…」


 靴を揃えて部屋へと入る。この部屋は親が『どうせこっちで働くことになるだろうから』と借りてくれた部屋だ。一人で暮らすには少し広いため、使っていない部屋もあるが親がわざわざ借りてくれた部屋なのでありがたく使わせてもらっている。


 自室に入って荷物を置く。自室には変わりが無いようだ。何かをいじられた痕跡も無い。見られたらまずいものがあるわけでもないが、とりあえずは安心だ。


「透くん、ご飯かお風呂か私、どれにするの?」

 

 愛里奈さんが扉から俺の方を覗き込んでくる。その選択肢を迫ってくるのは完全に嫁のそれなんですけど…


「…ご飯でもいいですか?」


「わかったわ。今日はペペロンチーノよ」


 パスタの中でも俺が一番好きなものをピックアップしてきたな…たまたまかもしれないが恐ろしい。彼女は俺のすべてを握っているようだ。

 余計なことを考えるのはやめだ。とりあえず彼女が待っているリビングへと向かうとしよう。




「…どう?おいしい?」


「…めっちゃうまいっす」


 リビングにて二人で彼女の作ったペペロンチーノを食べる。パスタの中で俺が一番好きなものな上に味も俺好みだ。もはや怖い。


「ふふっ、ならよかった。私の透くんへの愛とその他諸々が効いてるわね」


「その他諸々が気になるんですけど…」


 彼女に聞いても答えは返ってこない。ただし目が怖い。真っ黒だ。見た感じでは怪しいものは入ってないからよしとしよう。


「…今日は一日大丈夫だった?」


 愛里奈さんが先程の瞳からは一転、心配そうな目つきで俺の顔を覗き込んでくる。俺の浮かない様子を見て心配してくれているのだろう。何かと読めない人ではあるが、俺への気持ちは本物のようだ。


「…なんとかって感じですね。この気分は晴れないですけど」


「そう。…ハグでもする?」


「それは恐れ多いんで遠慮しときます」


 手を広げる愛里奈さんにきっぱりと断りを入れる。彼女は少し残念そうな表情でその手を引っ込めた。


「…透くんは強いわね。あんなことがあって、傷は浅くないのに…私だったら耐えられないわ」


「俺だって耐えきれてるわけじゃありませんよ。隠してるだけです」


「それでもよ。…私は、一人じゃ耐えられなかったわ」


 そう呟いた彼女の表情は沈んでいるように見えた。彼女はモデル業をしながら芸能界にも足を踏み入れている高校生。ただの高校生とは生きている世界が違う。きっと俺が経験することのできない悩みがあるのだろう。

 触れることさえ億劫だと思っていたはずなのに、俺は無意識に彼女に手を伸ばしていた。


「…別に誰かに頼ることは悪いことじゃありません。困ったらいくらだって人に頼っていいんですよ。それこそ、俺でよければ頼ってもらってもいいんですよ?」


「透くん…ごめんなさい、本当は私が励まそうとしてたのに…」


「いいんですよ。…そのかわり、変なことは自重していただけると」


「…それは約束できないわね」


 できないんだ。そこは約束してほしかった。

 愛里奈さんの瞳は少しうるんでいた。彼女もきっと抱え込んでいるものが多い人だ。それこそあの女以上に守るものも、隠すことも。その瞳からこぼれた雫はその片鱗なのだろう。


「…透くんが私の手を…なんて、なんて嬉しいことなの…」


「…すいません離しますね」


「あぁ、もっと握ってくれてていいのに…」


 …なんかこのままだとまずい気がする。さっさと離してしまおう。

 息を荒らげ始めた彼女の手から手を離した。国宝級と謳われることもある彼女の手を握っているというのに俺はまるで呪物でも握っているような感覚だった。これも彼女の本性を見てしまった影響だろう。


 彼女と話していると、憂鬱な気分が少し和らぐ感じがする。…それ以上の恐怖を感じるということもあるのだが、なにか暖かいなにかを感じる。彼女が俺のことを心配してくれている、という事実は今の俺にとっての支えだった。


「…透くん、一つ聞きたいことがあるの」


 今度は妙に神妙な面持ちで愛里奈さんが問い掛けてくる。大方の予想はついている。


「なんですか?」


「…今日、あの女を見てどう思った?」


 愛里奈さんが言う”あの女”というのは間違いなく甘寧のことだ。いつもと変わらず友人達と笑いながら過ごし、健吾くんの隣で色目を使っていたあのクソ女。思い出すだけで心の傷が痛む。


「…正直、なんとも。できるだけ視界に入れないように努力してたんで」


「…そう。なら、もう一つ質問するわ。…透くんはあの女に復讐出来るのだとしたら、したい?」


 愛里奈さんの問い掛けに俺の心はドキリと跳ね上がる。

 あの女への復讐。今まで散々してくれたあの女に復讐が出来るとしたら、俺はどうするのだろうか?自分で自分に問いかけてみる。

 あの女は今まで何人陥れたのだろうか。俺以外にも複数人いるのだとしたら、彼女は大罪を犯しているということになる。健吾くんだってその一人になろうとしている。このまま放っておいたらきっと被害者は増えていくばかりだ。あいつは、罰せられるべき人間だ。

 だとしても俺は…


「…分かりません。あの女は罰せられるべき大罪人です。きっとこれまでも何人も陥れてきたんでしょう。…でも、俺がここで仕返しをするのは本当に正しいことなのかと言われたら…そうじゃない気がするんです。でもこのまま野放しにするわけにもいきません。だから…」


「…だから?」


「…とりあえず、健吾くんは助けたいなって」


 復讐が正しいか正しくないのか、俺には分からない。ただ分かるのはあの女を野放しにしてはいけないということだけ。だから今は健吾くんを助けたい。目の前で同じ目に遭おうとしている人を放っておくわけにはいかない。今の俺はそう結論づけた。


「…そう。分かったわ。健吾くんは私達で助けましょう。健吾くんを助けることができればきっと芋づる式であの女の悪事も出てくるはずよ。そこからは、他の人達に任せましょうか」


「…俺の事、気にかけてくれたんですよね。ありがとうございます」


「いいの。私は透くんの支えになりたいだけだから」


 愛里奈さんは微笑んでそう言った。

 きっと俺が今復讐したいと言っていたら彼女は今からでもするつもりだったのだろう。彼女はそれぐらいの力と証拠を持ち合わせている。

 ただ、俺はそんなことで彼女の手を汚させたくない。今輝いている彼女を汚したくない。自分のために彼女を復讐に付き合わさせるなんて、俺にはできない。ただ、輝いている彼女を見ていたいのだ。


「…どうしたの透くん?」


「…いえ。ただ、愛里奈さんには輝いていてほしいなって」


「…透くん、それ無自覚でやってる?」


「え?まぁ、そうかもしれないっす…」


「…私がモデルじゃなかったら我慢できなかったわよ。他の人には絶っっっっっ対やらないで。いい?」


「は、はい…」


 愛里奈さんはテーブルから身を乗り出して俺に顔をぐいっと近づけてくる。なんか圧がすごい…


「分かったならいいの。…それともう一つ、聞きたいことがあるの」


 そう問い掛けてくる愛里奈さんにはなにか異様な雰囲気が漂っている。本能が感じる不穏な空気。良くないことが起こるという根拠のない危機感が自分の中で作動しているのが分かる。こういうときは決まって良くないことが起きるんだ。俺は知っている。


「…今日帰りに話してたあの女、誰なの?」


「女?…あー、彩奈のことですか?」


「だ れ な の ?」


 愛里奈さんから発せられる謎の圧に俺は気圧される。色気を含んだその瞳がギラリと輝き、獲物を見据えた。


「えっと…ただの女友達…ですよ?」


「ふ〜ん…なら、詳しく聞いても大丈夫よね?」


 彼女からの質問は小一時間続いた。

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