第4話翌日

「…ぁ…うぅ…」


 窓から差し込んでくる日光に俺の意識は引きずり出された。ふわふわとした視界が次第に定まっていく。

 目を擦って起きるといつものリビングの景色が目に入ってきた。どうやらソファに座ったまま寝落ちしていたらしい。なにを考えるのも嫌になってきて思考を遮断するようにソファにもたれこんだのを覚えている。


 辺りを見回してみると、テーブルの上にラップがかけられたサンドイッチが置かれているのが見えた。

 不思議に思って近寄ってみると、皿の手前に一枚のメモ帳が置かれている。手にとって見ると、きれいな文字でこう書かれていた。


『昨日はお疲れ様。色々あって心もまだ落ち着いて無いでしょうけど、ご飯はしっかり食べなくちゃいけないわ。もし学校に行けそうだったら、洗濯物は部屋に置いてあるからそれを着て頂戴。一緒に行きたいのは山々なのだけれど、この関係が今バレるとまずいの。申し訳ないけど、私は先に学校に行かせてもらうわ』


「…」


 どうやら差出人は愛里奈さんらしい。俺が寝ている間に作ってくれたようだ。洗濯までやらせて申し訳ない。…いや待てよ、洗濯してくれたってことは俺の下着まで…ダメだ。考えないようにしよう。

 愛里奈さんに感謝しつつ、サンドイッチを頬張る。優しい卵の味が口いっぱいに広がった。昨日カレーを食べたときもそうだったが、彼女は料理が上手だ。容姿端麗、才色兼備か…


 とりあえず俺も学校へ向かうとしよう。彼女に振られたからといって休んでいてはあのクソ女に負けた気になる。あんな女に負けるくらいなら死んだほうがマシだ。

 俺はサンドイッチを手早く食べ終えると、準備を整えるために部屋へと向かった。




 いつも通り騒がしい廊下を歩いていく。友人との談笑を楽しむ者、今日の時間割に不満をたれる者。様々だ。

 昨日はあんなに酷い一日だったというのに、世界は構わず回っている。残酷なものだ。誰にでも平等、ということはときに弱い人間に牙を剥く。今この憂鬱な気分が晴れない俺もその一人だ。


 扉を開いて教室へと入る。中心でいつものように談笑しているクソ女の様子が目に入る。俺はそれを視界に入れないように目を逸らすと、自分の席へと着く。窓際の角の席だ。

 愛里奈さんは先に行ってると言ってたが、姿が見えない。あとから来るのだろうか。


「おい天内、聞いてくれよ〜」


 席に座ると、近くにいた一人の生徒が俺の机に情けない声を上げながらもたれこんでくる。

 彼は時雨恭也。高校からの俺の友人の一人だ。サッカー部の彼はサッカーをしている時以外はナヨナヨとした性格で、よくこうやって俺の元へとやってくる。対象的にサッカーをしている時は荒々しい感じなんだが…どういいうわけか普段はナヨナヨだ。


「…どうした恭也。挨拶もできなくなっちまったのか?」


「おはよぉ〜…それでよ〜今日提出の数学の課題忘れちまってよ…」


「あ、俺も忘れてたんだよ。見せてくれ天内」


 時雨と俺の間に割り込むようにもう一人の生徒が声をかけてくる。目元を覆っている前髪が特徴的なこいつは水無月凪。こいつも高校からの友人だ。こいつに関してはサボり魔なので忘れてたんじゃなくてやらなかっただけだろう。

 

「…凪、お前に関してはやらなかっただけだろ」


「いやいや忘れてたんだって…昨日はゲームのイベントでよ」


「やっぱサボってたんじゃねーか。自分でやれよ…」


「あ、おいあれ!愛里奈さんだ!」


 バックからノートを出そうとしたところで一人の男子生徒が声を上げる。扉の方を見ると、愛里奈さんの姿が見えた。

 百合の花のように美しい姿勢にクラス中の男子の視線が愛里奈さんに向けられる。思わずため息を漏らす生徒の声や両手を合わせて拝む生徒までいる。その美しさはまさに神の最高傑作と言ったところか。

 俺が視線を向けていると、一瞬だけ彼女と目が合う。彼女は一瞬だけ微笑むと、すぐに元のクールな表情に戻って席についた。


「お、おい、今の見たかよ?一瞬微笑んだぞ!」


「今俺に向かって微笑んだんだよ!はぁ…心が浄化されていく…」


「ありがたや…ありがたや…」


「…すっげぇな愛里奈さんって」


「今に始まった話じゃないだろ。…学校に来るだけでこんなに騒がれるなんて、モデルってのはすごいねぇ…」


 凪の言葉も正しい。普段見慣れているからもうこの景色は日常茶飯事になってしまったが、学校に来るだけでこんなに騒がれているのは異常だ。まるで違う世界の人間を見ているような、そんな感覚に陥る。

 俺とは全く違う世界に生きている彼女はどんな景色を見ているのだろうか。そんな事考えても俺には分からない。だが、不思議と彼女のことを知りたいと思ってしまった。これもモデルの力なのだろうか。


「あの美貌を持っておきながら彼氏の噂はないんだから、不思議なもんだよな」


「…作ろうが作るまいが愛里奈さんの勝手だろ。この学校には好みの人がいなかったんだよきっと」


「そういうもんなのか…そういえば、甘寧さんもそういう噂無いよな。あの人も負けず劣らず美人なのに」


「…ま、見た目が全てじゃないってことだ。人には誰にも見せない内面ってのがあんだよ」


 そう恭也に諭すと、ポケットの中でスマホが揺れた。取り出して見てみると、画面にメッセージアプリからの通知が映し出される。見覚えのない連絡先からだ。タップして見てみると、案の定彼女からの通知だった。


『いいことを言うわね透くん。さすが私が惚れ込んだ男ね』


「…」


 …いつの間に連絡先交換したんだこの人。俺のスマホにはパスワードまでかけていたはずなのだが、いつの間にか特定されてしまっていたようだ。これから貴重品の管理には気をつけなければ。


「なぁ天内そんなことよりよぉ〜課題見せてくれよ〜」


「あぁ、はいはい……あ」


「ん?どうしたんだよ天内!早くしないと先生来ちまうよ!」


「…てた」


「え?」


「…俺もやるの忘れてた」


「「…はああああああああああああああああ!?」」


 昨日俺は気絶させられた後、気を失うように眠ってしまっていた。その後起きたのはいいものの、あの変人のせいで課題なんて頭からすっ飛んでたし、変な時間だったから普通に寝てしまった。授業開始まではHR含めてあと20分といったところ。とどのつまり、かなりピンチだ。


「おいおい、なんでやってねぇんだよ!お前がやってなかったら誰がやるんだよ!」


「うるせーな。俺だって忘れることぐらいあんだよ。ていうかお前が最初からやってればいい話だろ」


「おいどうすんだよぉ…俺達このままじゃ怒られちまうよぉ…更科先生こわいからやだよぉ…」


 この状況、どうしたものか。他の人に頼み込むのが得策だろうが…あいにく俺は他人とコミュニケーションを取るのが得意ではない。できない訳では無いが…困難を極めることは確実だろう。まずこの時間から写してなんとかなるのかも分からない。…詰んだか?


「透くん、これ」


 頭を抱えた俺の耳に聞き覚えのある声が入ってくる。顔を上げると、そこには愛里奈さんが立っていた。


「え…愛里奈さん?」


「課題、やってないのでしょう?」


 愛里奈さんの手からノートが差し出される。地獄に垂らされた糸にすがるかのごとく、俺はそのノートを受け取る。


「いいんですか…!ありがとうございます!」


「いいのよ」


 愛里奈さんは素っ気なく返すと、自分の席へと戻っていった。学校だからか、塩対応だ。そこらへんの線引はしっかりとできているらしい。


「おいおいマジか…あの愛里奈さんのノートを見れる…?写真撮って転売しようかな…」


「やめとけ恨み買うだけだぞ。いいからさっさと写せ」


 愛里奈さんから受け取ったノートを開き、早速写し始める。綺麗な文字で整えられたノートがかなり見やすい。

 書き写している途中に再びスマホが揺れる。画面を見やると、愛里奈さんからだった。手にとってアプリを開く。


『お返しは透くんからの愛でいいわよ』


 …ただのメッセージのはずなのにあの人が打ったメッセージというだけで恐怖が増す。なんか大変なことになりそう…

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