第31話 最後の旅

地下100階、これまで来たことのない、異次元の数字に、息を呑んだ。


「ねえ、84階でもあれだったんだよ?三桁って。ねえ白蛇君」

「ここは特殊な階層だから、問題ない。」

そう断言する相棒に肩を落とし、そっと扉を押した。懐かしい木と香の匂いがした。


「ここは・・・・・」

「お前の記憶の中の世界だ。」


桃の花が咲き、鶯が囀り、向こう側で兄が笑い手を振っている。穏やかで、幸せだった日々。

「生きたいか、死にたいか。」

「あ・・・・・」

試されているのだ、と悟った。ここで間違えれば、地上に戻れない、その事実が、痛いほどにわかった。


「死を望むなら、お前のこれまでの記憶全てを消して、この美しい記憶の中で死なせてやる。」

「僕は、吸血鬼君のところへ・・・恭弥君のところへ帰りたい。これを見せるなら、もっと昔にすべきだよ。」


砂の地面を踏み、振り仰げば青い空が広がっている。昨日のことのように思い出される街並みが、目の前にあった。

(懐かしいけど、帰る場所という感じがしないな。)

 あまりにも、世界は変わりすぎた。この国も、昔のようではない。そこに、自分は順応しながら、生きてきたのだから。


「本当に、いいんだな。」


次の瞬間、街の中を馬が行き交い、仰々しい格好の武者達の姿が現れる。自分もまたそんな中の一人として馬を駆り、戦場を馳せる。

(大勢、殺した。)

刀が血を吸い、赤く見えた。目の前の敵軍の武者を、ひたすら借り尽くした。そうしないと、自分が殺されるからだ。


「生きていたいか?今ならお前は、華々しい功績と共に死ねる。」

「やめてよ・・・そんな死に方は望まない。痛いし、一番嫌な死に方だ。それに、待っている人がいたから。今も、昔も。」


だから、切り掛かってくるものを全て倒した。首を掻っ切り、弓を射て、一人も残すことなく借り尽くした。・・・そうやって、生き抜いたのだ。


凱旋すると、病がちな父も、それを看病する母も、誇らしげに迎えたが、共に帰った兄弟と甥は、こちらと目を合わせようともしなかった。


「後悔はないのか。」

「ないよ。・・・親が喜んでくれたのが、何より嬉しかったから。悔いるとすれば、魔物の対価に両親の魂を捧げてしまったこと。なぜ、兄と甥でなかったのだろうね。」


そう言って微笑む菱津の体は、盛られた毒によって気を失い、目を覚ませば暗く、湿っぽく、カビ臭い牢の中だった。兄によれば、再び戰が起こり、自分はその最中に死んだことにしてしまったという。その時の無念と悔しさが、胸を締め付ける。

目の前では、少し歪な笑みを浮かべた兄が、こちらを見下ろしていた。


「生きたいか?これから先起こることがわかっていてもなお。」

「死にたくない。僕は、生きて帰りたい。」


鎖で繋がれ、身じろぐと悲鳴のような音が鳴った。しばらく水も与えられず、衰弱していく中で、ちょっと笑った。


「苦しい。飢えるなんて、この時以来か。」


その後しばらくして、姫が現れる、そう、固く目を閉じた時聞こえたのは、優しい青年の声だった。


「恭弥!?・・・白蛇君、一体これはどういうことなの。どうしてここに、彼がいるの!?」


白蛇の声は聞こえず、柔らかそうな茶色の髪が見えた。共に笑い、これから先を夢見る勇気をくれた人に、刃物が添わされる。


「彼に何かしたら、許さない!早くこれを終わらせて!」


知っている、知っているのだ。きっと恭弥も、菱津に何かあれば、何をおいても助けに来てくれると。その結果切り刻まれても、文句は言わないだろうと。


「・・・嫌だ。」


彼だけは、糧にしたくない。生きるためであっても、死なせたくない。


「ならば、お前が死ぬか。」


恭弥のために、自分は死ねるのか。己を差し出して、後悔はないのか。

 飢えは最高潮に達している。三峰の指が、切り落とされようとしている。そのままにしていいのか。自分が死を望めば、この悪夢は終わる。そうすれば恭弥は助かる。それでいいではないか。

「・・・・・ばか。」

目の前いいるのが吸血鬼だったならば、彼は言いなりになどならないはずだ。誰かのために体を切るなんて、絶対にそんな真似はしない。

「バカだ、本当に。」

だからと言って、愛していないのではない。愛し方が、違うのだ。


「僕は・・・・・」


渾身の力を振り絞って、鎖を断ち切った。まるで砂でできているかのように脆く崩れ去ったそれを後ろに残し、牢を破り、恭弥の体を抱きしめる。


「僕は自分を犠牲になんてしないし、できない。その代わり、誰よりも、君たちのことを愛してみせる。誰よりも大事にして、幸せにしてみせるから。」

だから、と白蛇の方を見ると、諸悪の根源とも言える黒い毛玉のような魔物を片手に抱え、少し寂しそうに微笑んでいた。


「小指はここだ。お前の両親の魂の器は、これで揃った。あとは、お前の体から抜き取れば、お前は不死身でも、不老でもなくなる。・・・本当に、それでいいのか。痛みを抱え、苦しみの中で生きる道は、これまでよりも長く感じるかもしれないぞ。」「構わないよ。・・・このまま死ぬんじゃ、ないかぎりは。」

目を閉じた白蛇は、小さく首を振った。



「お前にとっての死は、結局この日を迎えてもなお、美しくはあっても、甘いものにはならなかったらしいから。いつかその時が来たら、迎えに行こう。・・・彼らの魂と供に。」

「待って、白蛇君、君は」

美しい青年はかすかに微笑み、菱津の右目の触れた。

「私はお前の死神だ。それ故に、最後にお前を手に入れるのも、迎えるのも私だ。恭弥にも、吸血鬼にも渡しはしない。いずれ近いうちに、また会おう。」


死神は白い鳥となって、黒い獣を咥えて去り、菱津は力無くへたり込んだ。ずっと共にいたものが、いずれいなくなる。当然のことのはずなのに、今はひどく、寂しかった。

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