第29話 盲点

いつも通りに三峰が学校に着くと、菱津がパッと顔をあげ、駆け寄ってきた。それだけで教室は少しどよめいたが、関係性が今ひとつはっきりしないためか、割り込むことも騒ぐこともできず、観察に努めているらしい。


「おはよう、恭弥君。あのさ、今度魚のものも食べてみたいんだけど、作ってくれる?」

「・・・猫になる気か?」

「だってさ、不公平な気がするじゃん?僕も食べてみたい。」

そうして話していた時、ふと、小室が話したそうな雰囲気でいることがわかり、ちょっと笑った。その種類は違えど怖がられているもの同士、(菱津が懐いていそうなのは微妙な気分だったが)ちょっとした親近感を持っていただけに、軽く菱津に合図してみる。


「ん?・・・小室、どうした?」

「その・・・餌付けしていたのが、三峰だったとは、思わなくてな。」

「嬉しそうだから、ついね。」

「そもそも、調理実習が悪いんだよ?チョコレートのロールケーキなんて・・・ん?恭弥?」

「菱津、そんな楽しげな調理実習、この学校にはないぞ。」


と、小室が要らぬことを言ったせいで、三峰はあまりの居た堪れなさに、赤くなって顔を背けた。


「・・・・・どういうこと?」

「なんでもないから、気にしないでいいよ。」

「そういえば確かに、放課後に一人で調理実習なんて、普通ないか。」

「忘れていていいことも、あると思うんだが?」


そう言われると是が非でも思い出したくなるのが人間というもので、ほんの数秒のうちに、その時の状況を思い出していた。

「・・・あの時、先生もいなかったね。しかもなんか、すごく散らかっていた。」

「・・・・・思い出さなくていいって。」

「もしかして」


三峰は顔を真っ赤にして首を振る。頼むからやめてくるれ、なんでもするから、と幻聴が聞こえた気がして、ニヤリと笑う。

「あれって、何月何日だったかな?」

「菱津、明日から朝食をささみかマグロしか出さないようにするぞ。」

「うっ・・・氷砂糖を添えてくれるなら、我慢する。それより、僕の記憶によると君って固形物は食べられないよね?一人で作って、どうするつもりだった?」

「・・・・・友達に」

「いなかったよね?」

「・・・・・屋敷に置いておくと、勝手になくなるから」

「いやあのね、君が固形物食べられないの、その人のせいだからね。その人も食べられないからね。・・・それで?一体誰に・・・」


うるさい、と言いたげに肩を掴まれ、言葉を切った菱津は、そのまま怒られるか、と見上げていると、何も言わず、ふわりと抱きしめられた。

(え?・・・・・ぼ、ぼく、今・・・・・)

体格は(外見ではそうは見えなくとも)菱津の方がいいはずだったが、上背はずいぶん三峰の方が高い。そのことはもちろん、知っているはずだったが、なんとも落ち着かない気分にさせられた。


「クマに抱きしめられたらこんな感じ?久しぶりに命の危機を感じた気がする。」

「それは大変だな。清貴、また後で。」


いい子、と撫でられるところまでセットで、もう完全に何を話していたのか忘れ去った菱津は、危機が去っても鳴り続ける鼓動に、首を傾げるのだった。



「と、いうことがあったんだ。」


吸血鬼とのんびりと、二人でココアを飲みながら話していると、吸血鬼は一瞬固まった後、腹を抱えて大笑いした。

「お、お主、長く生きすぎてバカになったのではないか?」

「ボケたとか鈍くなったとかでなく?」

「ふは、ああ愉快。全く、お主のそれは危険察知などではないわ。」

「・・・・・相手は大きかったんだよ?」


菱津はその時のことを思い出して、自分の身を抱いた。

「なんか、変な感じだよ。」

「ほほう?・・・つまり、恭弥が大きいから、恋愛対象にはならんと、そう思っておったのか?」

と、言われた瞬間に、ハッとして顔を上げた。

「だ、だってさ、近くに来られると、結構な威圧感があるんだよ?君とはさほど身長も変わらないけどさ。」


赤い目を細め、ずいと近くに顔を寄せると、徐々に白い肌が赤く染まっていく。


「な、なに?」

「お主、ペレペラと世辞を並べる悪癖があるゆえ、どうせあちこちに一夜の恋人でも拵えていたのではと思っておったが、もしや本当に、一千年来恋もしたことがなかったのか?」

「そ、それは違う、誤解しないで。君がいたから。・・・ずっと、君と生きていられたらって、死にたくないじゃなくて、生きていたくなった。でも、そんな対象は、一人いれば、それで十分だよ。」

「お主・・やはり耄碌したのではないか?数百年だぞ。我らの関係性は甘くも辛くもない。恋人より家族に近しいであろうよ。」

「えぇ・・・・・それはそれで微妙な気分なんだけど。」

「私としては、恭弥を好いてくれると嬉しいのだがな?」

「でもなぁ・・・最初は、元はと言えば、ただ、お菓子が好きだっただけだし・・・」


吸血鬼は肩を落とすと、美しい黒い瞳を覗き込んだ。


「清貴よ・・・本当に、恭弥が菓子作りが得意と思うか?」

「それはもちろん。だって美味しいもん。」

「味見もできぬ、できるとしたら、ケーキをミキサーにかけるしかないようなやつが、おそらく外見だけを参考にして、いい感じに作ったものだぞ?しかも、作り始めたのもおそらく半年くらいのことだ。」

「・・・・・そ、それは、そう。」

「お主は、最初から自分のためだけに作られたものを、これまで食べたことがなかったのではないか?果物の取り合わせも、味の調和も、ただお主のためだけに考えて、気に入ってくれるかと試行錯誤を繰り返したものなど、そうありはせん。1000年前など、普通貴族階級が手作りの菓子など作ることは、そうはなかろうしな。」


再び騒ぎ始める胸を掴み、ため息をついた。


「君さ、どうしてそこまで積極的なの。」

「一つには、面白いものが見られそうだからという理由もあるが・・・・一番は、恭弥が一人になることを、望まぬゆえに。あやつ、好みが独特すぎて、おそらく他のものなど愛せぬからな。」

「独特かどうかはともかく!・・・確かに、一人にはしたくないな。ずっと前の君の宿主のように、心から孤独を愛しているふうじゃないからね、恭弥は。・・・ね、ねえ吸血鬼君、本当に嫉妬は」

「半々なのに嫉妬しても仕方あるまいよ。それに、直接会うことは叶わずとも、恭弥のことは気に入っておるのだ。文句はない。」

「そう?」

「それに、お主の血を呑めるのは私だけだからな。」

と、自慢げに牙を見せる吸血鬼が可愛いなと思った後で、はたと思考を止めた。


「あ、あのさ・・・今更だけど、その・・・・・君にとって血を飲むことって」

「特別なことに間違いなかろうな。・・・特に、初めての人からの吸血は。しなければそれこそ永遠に十二、三の外見のままゆえ。・・・前話さなかったか?」

「話していたけれども。・・・なんだか、僕配慮もなかったし無神経なこと言ったりしていたよね。ごめん、気づかなくて。」

「別に構わん。まあ?もう2度と、勝手にいなくならないともう一度誓って欲しいところだがな。」

「わかっているよう。それに・・・次仕事をすれば、君との時間が少なくなってしまうんだ。絶対に、無駄になんてしない。」

「よろしい。次にまた同じことがあったら、出会い頭に引っ掻いてやるからな。」

「それバラバラになっちゃうからね・・・」

微笑んだ吸血鬼の、月に輝く銀色の髪を撫でながら、ちょっと笑った。これまでの時間を取り戻したくともそれが叶わないのなら、もう絶対に、寂しい思いだけはさせない、と。

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