第27話 屋敷の住人

腰の曲がった、寂しげな老婆は、出した羊羹をさも美味しそうに食べる美しい青年に微笑んだ。

 彼女は大きな屋敷の主人であり、女中さんを五人抱えていたが、もう何年も前に夫を亡くしたという話である。


「あの人は、あなたのように綺麗な方ではありませんでしたけれど、なんだか愛嬌のある人で。わたくしは財産なんか全部無くなっても、添い遂げたいと申し上げたのですが、あの人は何も捨てる必要はないと仰って、この家を買ってくださったのです。」

「とても立派なお屋敷ですよね。」

「ええ。・・・でも最近、なんだか寂しくなってしまって。」

老婆は机の横に開かれた窓の外を見つめる。枯れた草木が物悲しく、嘗ては滔々と流れていたであろう川も池も、今は干上がってしまっている。


「あんまり豊かな庭が隣り合わせにございますと、わたくし自身の生活の貧しさや寂しさが、浮き彫りになるようで・・・」


滑らかで上品に甘い菓子に気を取られながらも、そっと老婆の方を観察する。悲しげで、寂しそうなその姿が、いつかどちらかが先立たれた未来に待っているものだとは、思いたくなかった。


「ああ、これ以上見ていたら、あなたを殺してしまいそうで怖い。わたくしは花が咲くのも子が生まれるのも、祝福する気になれないのです。咲き誇る前に、無惨に散って踏み躙られる、哀れな花の残骸を見てしまうのです。」

「生きることが苦痛ですか。だから、あなたは生きた世界を放棄したんですか。」

光のない目が、青年の表情を見て、微かに見開かれた。それは哀れみとも違う、微かな苦痛をも帯びた光だった。


「生きる目的が消えた世界は、あまりにも虚しいのかもしれない。好きな人も、親しい人も、いなくなってしまうのは寂しい・・・でも、終わりがあるなら、必ずまた会える日を、待てるんだよ。その時間が悲しいものだったら、あまりにも切ないでしょう。人の受け売りだけど・・・それほど大切な人がいたなら、だからこそ、残りの人生は、その人に会うための準備期間だと思えた方がいい。悲しみを束ねた枯れた花束よりも、ささやかでもたくさんの幸せで編んだ贈り物をあげた方が、きっと喜ぶから。」


菱津は菓子の礼を言い、外へ出た。美しい月が枯れ果てた庭を照らしていて、どこか廃墟の風情があった。

「僕、この庭も実は嫌いじゃないんだよね。花盛りよりも、趣がある。白蛇君、そうは思わない?」

「枯れた庭が好きというのは、理解できない。」

「無粋だねえ。」


菱津は再び、蜘蛛の巣から持ってきていた露を取り出し、そっと庭に置くと、澄んだ音と共に弾け、ゆっくりと庭全体へと流れていく。


「なんだか、美しいわね。」


いつの間にか外に出ていた老婆は、水が通った後を草木が繁り、川の流れが生まれる姿を目の当たりにして、目を細めた。


「なんだか、若返るような気分だわ。」


月が雲に隠れ、暗闇が庭を襲った時、微かな雨粒の音が聞こえ、花が開き芽を吹く音が、聞こえた気がした。


「あなたの庭は、この姿がやはり一番美しい。」


再び月が顔を出した時、不思議な客はいなくなっていたが、その代わり青葉がしげり、梢の囁く豊な庭が戻っていた。

「・・・人は前進する限り、老いることはない、ですか。確かに、過去を振り返っていては、老け込むはずですね。」


老婆の表情は晴れやかで、足の向くまま、美しい庭を見て回った。

「こんな花も咲いていましたっけ。それに、これはあの人が川から持ってきた小石・・・あら、あれは私が植えた沈丁花だわ。その隣の花壇はまた何か植えようと言って。・・・また会えた時のために、美しく保っておきましょうね。」

老婆は優しく微笑み次に植える花を夢見ながら、いつまでも庭を歩き回っていた。

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