第23話 告白
照りつける日差しと、蝉時雨の中を三峰の家へと向かうと、ちょうど庭先に、薄い茶色の髪がチラチラとみえ、笑みを深めると玄関を飛び越え、中に入った。
「やあ、来ちゃったよ。」
「ちょうどよかった。そろそろ量も溜まってきたから、呼ぼうと思っていたんだよ。おはぎも会いたがっていたからね。」
「嘘だあ。あのニャンコは僕のこと絶対嫌いだって。・・・ねえ、三峰、今日はちょっと、色々と話していいかな?」
「もちろん。今日はお茶請けには困らないよ。ケーキも焼いたんだ。それに、アイスとキャラメルもね。」
「やだなあもう、聞くだけなんて酷い拷問だよ。」
家に入り、せっかくなので、今日は自分の部屋でと菱津を招いた。
「君の部屋に入るのは、初めてかな。」
「そうだったね。まあ、勉強する以外ほとんど使ってはいないんだけど。」
寝ることがない、もしくは寝ている間吸血鬼が出てくるのだから、寝室というものは飾りの様なもので、一階の廊下付きあたり、その左側の部屋には、一応ベッドはあっても、そこにも本類が山のように積まれている。菱津はちょっと微笑みながらそんなベッドの隅に腰掛け、改めて部屋を見まわした。
「なんだか、君の部屋って感じがしないね。なんでだろう。」
「多分、もともと父さんが使っていた部屋を、そのまま流用したからじゃないかな。・・・それじゃあ、お菓子持ってくるね。」
「僕も、手伝うよ。」
少し驚いて青年を振り返ると、少し照れくさそうに微笑んでいる。
(相変わらず、綺麗な人だな。)
この関係が始まったきっかけは、調理室でロールケーキを作っていた時・・・・・バレンタイン前日の放課後という、ある種特殊な日に、こっそりチョコレートのロールケーキを作っていたのを、見つかってしまった時からだった。
(その言い訳に、調理実習だ、なんて。よく信じたよな。)
その時のことを思い出して微笑みながら、チョコレートやキャラメルの乗ったプレートを渡した。
「つまみ食いはしないでよ?それから、おはぎには毒だから、気をつけて。」
「はーい!」
せっせと運んでいくのを見送り、自分も冷蔵庫からケーキを取り出し、菱津の後を歩きながら、ふっと笑う。
「夜の方の人とは、いつ頃からの付き合いなんだ?」
「数百年前からだね。」
「ひゃっ・・・そうなのか?」
「あんまり、驚いてないね?冗談だと思ってる?」
「いや・・・君が不老らしいことと、怪我がすぐに治ることは知っているから。流石に、そこまで長く生きているとは、思わなかったけど。」
今度は菱津の方が驚き、三峰を二度見した。
「嘘、かなり気をつけていたのに、どうしてバレたの!?」
「小さい頃に、君を見かけていたから。高校で見た時は、本当に驚いたよ。」
「じ、じゃあ、怪我の方は?君の前ではざっくり切られたりしていないはずなんだけど。」
「おはぎに引っ掻かれたところ、すぐに治っていたから。」
「あの猫は・・・」
再びベッドに腰掛け、それからちょっと笑った。そうして、なんてことのないように、努めて冷静に、菱津は三峰を見上げた。
「ねえ、僕のそんな体質を、どうにかした方がいいのかな?このままにしようと思えば、多分いくらでも生きられるんだけど。」
きっと、そのままでいいと言ってくれる、生きていればいいと、そう言ってくれる、そんなずるい計算の上で、菱津は鳶色の瞳を見つめていた。
そんな青年を前にして、三峰はちょっと眉を下げ、隣に座った。
「どうにかできるなら、した方がいいよ。両親を亡くした俺が言うんだから、少しは説得力もあるだろう?」
「それは、どうして?」
縋る様にして、少し微笑んでいる三峰の瞳を覗き込む。自分が、どんな答えを期待しているのか、もうわからなかった。
「ねえ、どうして、そう思うの?」
「・・・残された側は辛いけど、残していく側も、辛いものだからだよ。それでも、残された人にも、いつか終わりがある、いつか必ず会えるというのは、ある種の救いなんだ。それが遠い未来であれと願うことと、永遠に訪れないのとは違う。そうだろう?」
「・・・だけど、死は怖い。全部消えてしまうし、痛くて苦しい。その先どうなるのか、誰にもわからない。」
「でも、皆が行く先だろう?何もかも消えたとしても、その後になにも残らなくても、綺麗な景色も、楽しいことも、嬉しかったことも、全部自分の心の中に留めて、向こうへ持っていくんだ。悲しいことも、辛いことも、苦しいことも、全部死んだ体に置き去りにしてね・・・少なくとも、癌で死んだ母にとっては、そういうものだったと思うよ。」
その時にふと、数年前の光景が脳裏に甦ってきた。自宅のすぐそばにある寺を、何の気なしにのぞいた時、誰かの墓の前にたたずみ、食べ物を備えて楽しそうにしていた、美しい青年の姿だ。
(そうだ・・・そうだった。どうして若くして死に別れたのに、死者の前でそんなふうでいられるのか、知りたかったんだ。)
そのために高校に入ったはずなのに、肝心なことを忘れ去ってしまっていた。どうして忘れていられたのか、不思議なほどに。
「しかし、なぜそんな体になったんだ?」
「簡単に言ってしまえば、どうしても死にたくなかったからなんだけど・・・そうね、君にも話そうかな。」
菱津はカップを両手で持ちながら、その水面に映った自分の顔を見る。あれから全く変わることのない髪の長さ、眉の形、その全てに、若干うんざりしながら。
「僕は、新進気鋭の元貴族の武家出身でね。大乱が起こった時、その鎮圧で割と功績を上げたんだ。その後色々あって、僕のことが邪魔になった人達に、死んだことにされて、閉じ込められて。・・・・恋人がいたんだけど、彼女が探しに来て、その子も捕まって。それからね、その体が、少しずつ、小さくなっていくんだ。その代わり、これまでは肉なんて入っていなかった汁物に、それが入っていて。
僕は、わかっていても、食べていた。目の前の彼女が、どんどん弱って、死にそうになっているのに、僕はただ、死ぬのが怖くて、飢えが苦しくて、抵抗することすらできずに食べていた。
・・・・何もかもが、憎かった。死んでしまいたいくらい苦しいのに、それでも・・・食べなければ死ぬことがわかっていて、食べないでいることができない。僕はそれまでに、何百人も殺してきた。首を斬る時の感覚も、胸を貫く感覚も知っている。だから、その時に苦しそうなのも、痛そうなのも、悲しそうなのも知っている。僕もそうなる、それだけのことが、恐ろしくて、仕方なくて。
・・・彼女が話すこともできなくなって、ついにその目から光が消えた時、心が引き裂かれそうなくらいに苦しかったのに、それでも、死んでしまいたいと、願うことすらできずに、僕は逆に、ずっと生に縋っていた・・・彼女の死を無駄にしてしまうと、自分に言い訳をしながら。それが、あまりにも浅ましくて、醜くて、決して許されないことだとわかっていて、抗っても死にそうな僕の前に現れた魔物に手を伸ばして、つけいられた。
今風に言えば、低級の悪魔とか、そんなところなのかな。いずれにせよ多分、どこかからか紛れ込んだ、イレギュラーってところだろうけど。
それで、僕は大切な両親の命と引き換えに、不老不死を手に入れた。・・・その部品を集めれば、魂を返してくれる、それを知っていて、僕は積極的に集めようとはしなかった。結局、相棒が探し集めていたみたいなんだけどね。」
三峰は黙って聴きながら、ほんのわずかに微笑んだ。
「菱津、死ぬのが怖いのは、誰でも同じことだよ。でも、俺はさほど怖くないんだ。」
「どうして?」
「満足しているからさ。・・・君に一目惚れしてから、そして君を高校で見掛けてから、本当に毎日楽しいんだ。これくらい幸せな記憶があるなら、明日死んでも、後悔はないってさ。」
「え・・・?」
「本当は、言わないつもりだった。・・・拒絶されるのが怖かったし、正直、今も怖い。これまで通りの関係性のままでいいって、逃げてきた。でもきっと君は、何も言わないでいたら、いつかいなくなってしまうと思ったから。
俺は、同じ時間を生きる君のそばに、ずっといたいんだ。ちょっと首を切ったくらいで死ぬような脆弱な体に戻って、長くてもこの先100年は耐えられないような時間でも、君のためだけにお菓子を作って、隣にいたい。死なない人といるのは、先立たれる心配をしなくて済むけれど、きっとその後を気にして思い切り楽しめないんだ。・・・君が、憂鬱に生きていくのだけは、見たくないんだよ。」
「恭弥・・・・・ぼく、僕は、いつか君のことも・・・・・・・」
「それで、構わない。」
日が沈み、涙が流れ跡だけが残った、美しい顔がこちらを見上げた。
「何の話をしていたか知らんが・・・何だか、苦しいな。まだ体がおかしい気がする。」
「吸血鬼君・・・吸血鬼君、僕、恭弥に死ねって・・・」
「だとすればきっと、私もこの代で終わるのだろうな。・・・告白か。何とも青いではないか。」
「なんで、わかるのかなあ・・・」
泣きながら、その膝に顔を押し付けた。その存在がいなくなることは、己の死よりも怖かった。
「どれだけ長い間、お主といると思っておる。だいたいわかるわ。・・・で、どうするのだ?」
「わからないよ・・・怖いんだ、本当に。自分が死ぬのも怖いけど、恋人なんて、もっと恐ろしい。僕は自分が生きるために、恋人を食い、親を殺した。・・・僕は、恭弥のために、死ねる?」
「それは今後次第であろう。相棒の道行に、素直に従うのなら、死に向かうのと同義、ならば、恭弥を犠牲にしてまで生きようなどとは思うまい。」
最近取り付けた電気を点けて見ると、菱津が微かに笑ったのが、はっきりわかった。自分がその不死性ゆえに、決意を変えることができなかったのだと、ようやく悟った。
「そう言えばお主、昔語っていたが、なぜ監禁などされたのだ。恋人の肉を食わされるなど、いくら何でも尋常ではない。一体、何をしたらそんなことになる?」
「僕ね、かなり強かったんだよ。戦に出れば負けることはなくて、兄様の手柄も、甥っ子の手柄も、奪っちゃってね。・・・それだけでも散々恨まれていたのに、恋人っていうのが、元々兄様が好きだったお姫様だったわけ。」
「・・・・・災難じゃな。」
「災難なのはお姫様だよ。・・・どうして、薄情な僕のために、助けになんか来たのか。わけがわからないよ。屋敷から一歩も出たことがないようなお姫様が、侍女に道案内をさせてまで。僕が、死んでいなくて、よかったって・・・痛みの中でさえ、彼女はそういった。あなたが生きているなら、どうなってもいいって。恭弥も・・・どうしてなのかな。痛くて、苦しいはずなのに、どうして、そんなふうに思えるんだろう。」
「それは無論、生きることよりも、大事だったからであろうよ。この先の未来と引き換えにしてもいい、そう思わなけば、その姫君もお主のために身を捧げようなどとは思わなかったであろうし、恭弥も、眉を顰め拒絶しただろう。それをしなかったのは、ただひたすらに、お主のことが大事だからに他あるまい。」
「そう・・・・・そうか。」
美しい銀髪の、赤い瞳の少年が目の前で血を吐いて倒れた時、その少年が牙を見せ、襲いかかって来た時、咄嗟に抵抗しなかったのは、死んでほしくないと、切に願ったからだったのかもしれない。実のところ、血を吸い尽くされて仕舞えば再生することはなく、そのまま死んでいただろうに。
「僕、君に死んでほしくない。」
「無理を言うでない。永遠なるものなど存在しない。それはお主が一番よく知っていることであろうが。」
思い切り抱きしめ、泣きじゃくりながら、首を振った。
「どうして、みんな死んでしまうの?君も、恭弥も、もういなくなるの?」
「まだ逝かんわ、阿呆!!そんなに早く殺すでない!百まで生きてやるわ。」
「・・・ぼく、」
「だから、ちゃんとしね。もう、100年も付き合ってやらん。フラフラするお前を待つのも疲れた。だから、ずっと屋敷にいればいい。」
「吸血鬼君・・・」
「あと、いい加減私に名前をつけろ。私には元々親などおらんし、初めて血を与えたお前が授けるのが筋というものだろう。」
菱津はじっと赤い瞳を見つめた後で、少し赤くなって首を振った。
「やっぱり、君は吸血鬼君だ。」
「諱のつもりか?もう大人だぞ。」
「そうだね・・・そうなんだよね。これから先があるなら、もう大人だ。ねえ、吸血鬼くん・・・僕は今度こそ、誰かと死ねるのかな。」
結局名付けないか、そもそもネーミングセンスが壊滅しているのかとため息をつきつつも、吸血鬼は肩を落とした。
「まあ、多少前後することはあれど、死を取り戻したのなら、必ずいつかは共に行ける。それに、それをするに足る男だと思うぞ、恭弥は。まあもっとも、男だがな。」
「君も男でしょう・・・」
「・・・・・・いや?私は無性だな。性別などない。元々精霊のようなものだし、勝手にお主が決めつけていただけだな。」
一度そのまま相槌を打ちかけて、そのまま二度見した。
「え、え!?そ、それじゃあ恭弥君ってどうやって生まれたの?!コウノトリが運んできた?それとも、木の股から生まれた?」
「おそらく昼間によろしくやっておったのだろうよ。私は夜は逃げておったからな。」
「う、嘘でしょう・・・じ、じゃあどうして僕は、わざわざ避けていたのかな?」
「全く、バカめ。聞けばよかったものを。」
「無理に決まっているでしょ!?大好きな君が、誰かと夜を過ごしているって、想像するだけで苦しかったのに。」
言ってしまってから、ハッとして口を噤んだ。それを見て、吸血鬼が牙を見せて笑う。
「ふむ、大好き、か。いい響きだのう。美しいも綺麗も飽きるほど聞いたが、それは初めてではないか?」
耳の先まで赤くなり、顔を覆った菱津は、しばらくしてキッと睨みつけると、ビシッと指差した。
「わかったよ、好きだよ!愛している!満足か!」
「足りん足りん。もっと言え。100年聞いても飽きない自信があるぞ?」
「悪かった、ごめんなさい!もういなくなったりしないから、君もどこにも行かないで。」
「・・・もう少しこう、雅に言えぬものか?」
「そんなものは千年前に置いてきたよ!今更和歌なんて読んだりしたら、厨二病だよ。流行遅れも甚だしいよ!告るとかいってギター弾き出しちゃうあれだよ。恐ろしくダサいから嫌だ!」
「・・・・・大昔は笛吹いておったな?」
「・・・・・忘れて?お願いだから。」
「それを思えば、和歌くらい」
「・・・・・・笛と同じくらいまずかったからやめて、古傷抉らないで。そこら辺がダメだったせいで、本気でモテなかった。ついでに姫君にはものすごく笑われたらしい。あれはね、才能がいるんだよ、才能ふがさ。」
「・・・結構苦労しておったのだな・・・考えてみればお主の相貌も、今はともかく、昔は美しいとは思われなかったか。」
「まあ、それもこれも、君が好きって言ってくれるなら、何でもいいかな?」
「ふん。向こう10年は言ってやらん。勝手に何年もいなくなったりしたことを、どれだけ怒っていたと思っておるのだ?」
「でも、たった10年?」
「100年後は生きていないからな。」
肩を落とし、笑い合いながら、どちらともなくそっと抱きしめた。お互いに死ぬことはないはずなのに、傷つけることを恐れるかのように、優しい触れ合いだった。
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