第22話 閉じられた部屋

二人が揃って、夜遅く、古びたアパートを訪うと、やつれた女が一人、鈴の力を借りる必要もなく、扉を開けた。


「セールスの方でも、強盗の方でも、ありませんね。」

 最も、盗るものなんて何一つありませんがと言って、繕い直してあった着物を着た菱津を、何お警戒もするそぶりも見せず、招き入れた。


「どうして、何も聞かずに入れてくれるんですか?」

「あなたと同い年くらいなの、私の息子は。・・・何が原因だったかわからないけれど、夏休みからこのかた、一度も外に出てこないのよ。どうしたらいいのか、もうわからなくて・・・それで、見ず知らずの方ですのに、同世代なのあなたなら、なんて。」


気弱げに笑う女は、身なりさえ整えれば可愛らしい顔立ちをしているはずだが、髪はほつれ、手入れのされない爪は黒く、どこか無惨な風情があった。

「えっと・・・強行手段を取っても、大丈夫かな。僕、変な仕事をしているもので。」


躊躇いながらも頷いた女は、意外と広い家の中を案内し始めた。奥の部屋に行くまでにいくつもの扉が道を塞ぎ、菱津はその都度窓も開け放ちながら、最後の扉を開けた。


「息子はその先にいます。」

リビングで休んでくる、と女は取って帰したので、菱津は仕方なく、内開きの扉に触れた。


「開けてくれないかな?開けなかったら、強行突破するけど。」

「嘘だ!」


剣で切ろうか、燃やそうかと考えているのを見透かしたように、ふっと現れた白蛇が首を振った。


「この扉の先は簡易的な異空間になっている。扉は外側からは決して開かない。」

「なら、あちらが開けてくれない以上、この鈴を使うしかないね。」


便利だな、と鳴らしてみると、扉が外開きになった気配がある。ただ彼はそのまま扉に寄りかかり、中の人物に向けて話しかけてみる。


「やあ、こんばんは・・・で、あっているのかな?出てきてくれない?」

「嫌だ!」


これは面倒臭い、と早くもどうでも良くなり始めた菱津はため息をつきながらも、会話を試みる。


「どうして?お母様が心配している。」

「外の空気は僕にとって毒なんだ!風は僕の肌を刺すし、肺の中が重くなるんだ。お願いだから、開けないで!」

「やれやれ、全く救えないねえ。」


菱津が主人の意思を無視して扉を開け放った途端、数週間とは思えない悪臭が充満し、そして部屋の中央では、とても同い年には見えない老人がうずくまっている。


「嫌だ!この空気に蝕まれて、みんな死ぬんだ。やめてくれ!」

菱津は本の合間を縫って歩き窓に向かい、泣きじゃくる老人を放って窓を開け放った。

「嫌だ、やめて・・・」

老人に向き直った時、澱んだ空気が薄らぎ始めているのが、その変化から、すぐにわかった。

縮緬の様な肌は、徐々にハリを取り戻し、つやつやした若者の素肌へ、剥き出しの目は穏やかな、憂愁の混ざる美しい二重瞼に、抜けていた歯は揃い、少し厚めの男らしい唇の中に隠れた。


「やめて・・・僕は外が怖い。」

「不老不死って、こういうのもありなんだねえ。まあ、僕の好みではないけど。

で、君はなぜ、不死なんて求めたんだ?君は死が怖いようには見えないんだけど。」

「僕は、そんなもの望んでないよ!ただ、誰にも邪魔されずに、小説を書きたかっただけ。」


気づくと、布団の上には血まみれの紙が散乱していて、しかし何も書かれていなかった。おそらくは果てしない時間の空費を持って、その余白を埋めていたのだろう。

「はは、まるで呪いだね。書き終わるまでは死ねないみたいだ。」

「違う。書くことが多いから、死ねないんだ。」

「ははっ、人はそんな勤勉にはできていないよ。死なないうちは、何もなさなかったのと同じだよね。・・・土にもならず、ただ生を飾っているだけだ。その時に意味を見いだそうとするよりは、親孝行でもしていた方が・・・・」


それは違うな、と反射的に思った。あまりにも長く生きすぎたせいで、ただ、生きることの価値が、自分の中で下がってしまったというだけ。

(それに・・・恭弥の生を、否定したくはないな。)


「まあ、なんでもいいけど、やり残すことがあるくらいが、多分ちょうどいいんだと思うけどね。」

「そんな・・・」

「満足は刹那のもの、生涯にそれを求めるは、間違っている。」

菱津がそう言って部屋から出ていきながらも、その言葉は自分に向けたものだと自覚していた。1000年近く、何も区切りもなく生きてきたせいで、満たされるという感覚も、どうせ10年ともたないと諦めてしまう。

(今度、僕のことを、話してみようかな・・・うん、恭弥に聞いてみよう。生きていた方がいいのか、どうか。)

吸血鬼は、もう十分に生きていると言っていた。恭弥は、あまりにも長い生命を、どうみるのか。わからないが、どうしても自分では答えなど出そうにない。

・・・でもきっと、死ねと言うまいという、計算をしている自分もいる。


(でも、このまま行くと三峰も、僕をおいていくのか。・・・そうしたら2度と、あのお菓子を食べられない。)

これまでも、同じように失われたものは数多くあった。その度に、少し惜しい気がしたが、それも運命だと諦めていた。・・・なぜだか今は、それができそうにない。

(だからと言って彼は、自分の不死を望んではくれない気がする。死なないことは、寄り添う人がいなければ、辛いだけだから。)


もし、もしも恭弥が子もないまま死んでしまったら、と思うと、絶望感が胸を締めつける。だからと言って、その隣に誰かがいることを、想像したくもなかった。

(話をして・・・そうしたら、また、離れようか?)

それで、本当に死んでしまったら、どうするのか。

(関わりになんて、ならなければよかった・・・)

あの時、甘く優しい匂いがしたから。食べられないから、捨てるしかないと言ったから。・・・ただそれだけで、手を伸ばした。短い時間の方へ、焦がれるようにして。

(三峰に聞こう。・・・・それで、区切りだ。)

菱津は、何もいない水槽を横目に見ながら部屋を出て、屋敷の方へと向かうのだった。


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