第11話 少しずつ

学校が終わり、家路についていた三峰は、その自宅の門の前に佇む菱津に気付き、声をかけようとしてやめた。目鼻立ちの整った、凛とした横顔が、今はいつになく憂いに沈んでいて、なんと声をかければいいのか、分からない。

(でも、このまま帰せないだろ。)

 何があったのかを話すのは、自分自身でなくてもいいからと、今用意できている菓子類を思い浮かべながら、青年の方へ近づいた。


「菱津、よかったら、うちに寄って行かないか?」

「ありがとう・・・・・」


門を開け、招き入れても、いつものように楽しそうではなく、もう着替えは済んでいることから、家に帰ったっものの、家族に怒られたか何かしたのではないか、と思う。


「お菓子、食べるか?」

「食べる・・・」


扉を開け、ソファに座らせると、冷やしておいたチョコレートやプリン、それにシュークリームなどを手早く出していく。


「三峰、今日は隣に来て?」

「構わないけど・・・・・」


何だかいい匂いがするんだよな、と少しばかり緊張しながら腰掛けた時、菱津はこの日初めて、少し笑った。


「ありがとう。理由はよく分からないんだけど、何となく、悲しくてさ。泊まっていってもいい?」

「もちろん。親もいないからな。」


まともに聞かれたのは初めてだったことを思い出し、何となく嬉しく思いながら、チョコレートを手に取り、ほいっと菱津の口に放り込んだ。


「だから、とりあえず食べなよ。」

「うん!もちろん、全部食べるよ!」


そう言ってまた一つ、チョコレートを放り込む。口の中で溶けていくチョコレートの、普段よりビターに近い味の中から、マカデミアナッツの豊かな香りが広がった。それをあまりに美味しそうに食べる姿に、思わず目が釘付けになってしまっていたことに気づき、三峰は慌てて話題を探した。


「そういえば、あの和菓子は・・・」

「全部食べちゃった!」

「そのうち糖尿病になっても知らないよ?」

「僕の体は丈夫みたいだから大丈夫。それに、指先から腐っていくとしても、これをやめるのは地獄に落ちるより嫌なことかもしれないね。」


小さめに作られたプリンを幸せそうに頬張る青年に、うっかり触れてしまわないよう気をつけながら、なぜそんなに甘いものが好きなのかと、詮無いことを聞いてみる。


「ふふ、当然でしょ、幸せだからだよ。特に君のお菓子を食べている時は・・・」

ふと隣を見たら、驚いた顔をした青年と目があい、そのまま口を注ぐんだ。薄い鳶色の髪は細く柔らかそうで、不意に、何代か前にこんな髪色の人がいたことを、思い出していた。


「どうした?」

「な、何でもないよ。」

滑らかな舌触りのプリンに集中することにすると、途端に幸福感に包まれる。スプーンを突き立てると、奥から少し苦めのカラメルが溢れてきて、笑みが漏れる。とりあえず甘ければ文句はないが、そのバランスはほどほどに重要でもある。


「よし、次はシュークリームにしよっと。」

「夏になったら、アイスを入れてあげるよ。」

「それはそれで美味しそう。」

そう言いながら、そのままかぶりついた。

「君のは本当に美味しい。特にシュークリームは、もう店じゃ買えないよ。」

表面はサクサクしているのに、噛むとクリームと渾然一体となって、口の中に溶け込んでいく。風味のいいカスタードは菱津のために多めに入っており、こぼさないように食べるのは至難であった。青年は手を汚したクリームまで丁寧に舐め取り、ふと、顔を上げた。


「今日は、早く感じるね、吸血鬼君。」

美しい銀髪に指を絡ませながら首を傾げた吸血鬼は、ガトーショコラに手を伸ばす菱津に目を細めた。


「なんだ、あまり食が進まぬのか。」

「食べ始めたのが遅かっただけだよ。・・・全く、三峰はさ、本当に優しいんだよね。」

「ふん・・・」


ちょっと横を向きながら、ひしづの頭を雑に撫でてやると、くすくすと笑った。

「そんな歳じゃないよ?」

「ふん、こちらに来てからの年月はお主より短いにしても、本当に生きた年月は私の方が長いかもしれんぞ?」

「でも、初めて会った時は、まだ小さくなかった?十一歳くらい?で、すごく威嚇してた。可愛かったなぁ。」

「・・・血を飲むまではその年頃の外見のまま変わらんのだ。しかし、まだ覚えていたとは・・・」

「だってさ、その後すぐに今の姿になったから、すごくびっくりしたんだよ。あれは1500年の記憶も吹っ飛ぶ驚きだった。」

「それもう脳が吹っ飛んでいないか・・・」

「あはは、そうかも。」


穏やかに話をしながら、ケーキを口に運んだ。まろやかな甘みが、心のどこかを癒していくように感じる。


「・・・お主も、もう死にたいなどと思うことはあるのか?」

「ないかな。だって、生きているのは楽しいからね。」

「・・・本当か?」

「君がいなかったら、どう思っていたかわからないけど。」


と、ケーキを平らげ茶を飲みながら、じっと赤い瞳を見つめる。


「それに、これまでの楽しみでもあったけど、三峰の子供とか、孫とか、ひ孫とか、もっと先まで、ちゃんと見たいじゃん?」

「発想がすでにおじいちゃんだな・・・」

「そりゃあもう、君の・・・三峰の血統は、数百年前まで全部知っているからね。」


あははと笑う菱津に、肩を落とす。そんなふうに言いながら彼が訪うのは、宿主の体が少年期から十七、八の頃までで、記憶にある限り、看取った経験はないのではと思う。

(薄情なのか、繊細なのか、今だにわからん・・・結局こやつはいつまで経っても、死は怖いのか。)

擬似的には一応経験していなくはない吸血鬼だったが、もうすでに、長すぎるくらいに生きているという自覚はある。それをなぜ、この青年は全く頭にないのか。

(まあ、いいんだが・・・もし、恭弥が結婚しない選択をしたら、こやつはどう思うのだろうな。)


その時自分の身がどうなるのか、はっきりしたことは何もわからない。菱津の血を飲んだことで、本来不老ではあっても不死ではなかった体が、子を望む一つの血脈を追って体を移る形で、決して死なない体になり、しかも怪我の治りも以前よりはるかに早い。

 

しかしおそらくは、血脈の断絶とともに、消え失せるのではないかと思う。少なくとも、若死にしたり、子を望まなかったりで、もはや恭弥の血脈は遠くまで遡っても、もう残っていないのだ。


(ふむ・・・恭弥は今までのものと、ちと違う気がするからな。どうしたものか。)

死なない体を楽しく享受できている理由が他にあるなら、何の問題もない。しかし、ずっと観察してきた吸血鬼から見ると、どうにもその様子がないのだ。

(他に友がおったとしても、死んでしまうしな・・・・)

菱津はおそらく、自分と同じように、吸血鬼も不滅だと思っているのだろう。しかしそんな夢のようなことが、あるはずがない。

(今日である必要はないが、近いうちに諭してやらねば。)


その時、肩にもたれようとする気配を感じてさっと避けると、膝に頭が落ちてくる。

「お主は眠らんだろう。どういう了見だ。」

「何となく落ち着くから。」

仕方なく頭を撫でてやりながら、ふっと微笑む。以前どの時代かに飼っていた、ふわふわの獣のようで、無性に可愛く感じた。

「君は、そばにいてね。」

「・・・お前が言うな、ばか。」

ため息をつきながら、その夜はずっと、そうしていたのだった。



翌朝は、折角だから、と一緒に登校することになった三峰は、珍しいなと隣を歩く菱津を見下ろした。てっきり、一緒に歩かないのは不良のように見える自分と関係があることを、知られたくないからでは、と少し思っていたこともあって、無性に嬉しかった。


「そういえば、荷物は?」

「大体の物は学校に置きっぱなしだから、大丈夫。それよりさ、また今日も行っていい?」

「それは構わないが・・・流石に菓子の作り置きはもうないぞ。」

「そっか、残念。それじゃあまた、三日後くらいに。」

「わかった、わかった。作っておくよ。」


果てしなく軽いな、と三峰は思う。友人、ではあるのかも知れなかったが、その関係性はすぐにでも切れてしまいそうで、三峰の側から歩み寄り、繋ぎ止めない限り、いつかふっとどこかへ行ってしまいそうで怖かった。

(菓子作りが上手い奴なんて、いくらでもいるしな・・・)

他にも何か特技があればよかったのに、と多いつつ、見上げた空は曇りがちで、今にも雨が降りそうだった。


「急いだ方がいいかな、雨になりそうだよ。」

「傘を持って出ればよかったな・・・」

「まぁ、それはそれだね。あぁあ、これからしばらくは三峰のお菓子はお預けか・・・小室を誘おうかな。」

「少し意外な組み合わせだよな。」

「あはは、いろいろあってね。ちょっと君は連れて行けない場所でさ。」


小室、それは菱津がクラスで唯一、公然と話すことがある人物であり、三峰と同じかそれ以上に背が高く、三白眼の鋭い目つきのせいもあって、やはりクラスの中では孤立気味である。

(ちょっと羨ましいな・・・何か事情があるらしいのは知っているが。)

肩を落としながら、見えてきた正門に、ぐっと拳を握る。このまま何も言わず、いつものように別れれば、いつまでもこの距離感で変わらず、いつか甘味に飽きれば、そのまま終わる関係性だと、わかっていた。だからこそ、少し緊張しながら、菱津を見下ろした。


「・・・今度、暇があったらその場所のこと、話してくれないか?」

「もちろん、いいよ。君は目立たないけど成績もいいし、好奇心旺盛だよねえ。」

「面白そうなことは好きなんだよ。」


もっと知りたいのは別のことだと言うこともできず、三峰は目を閉じた。少し、ほんの少しでも、今よりも近づけたなら、それでいいのだ、と。

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