第10話 報酬

再び依頼主のいる階層に入り込んだ時、目の前の風車はなくなっていて、代わりに杜若の花が生けてあった。それに暗い路地を形作る家も微妙に変わり、提灯はランプになっていた。


「そういえば、君は一応、時空も操作できるんだっけか?」

「・・・いやまあ、私が一度経験した過去時空に飛ぶことはできないが、2階世界の時間経過と等しい時間にすることは、できなくはない。・・・妖の寿命は長いものだし、この結果が変わるわけでもない。気にすることはないと思うんだが。」

「でも、大嵐が来るって言っていたでしょう、無事かどうか、わからないから。」


仕方がないなと、巨大な鳥の姿を取ると、一回、二回と羽ばたくうちに、景色は急速に変わり、少し古びた風車、消えかけの提灯といった具合で、嵐にやられたのか、家は少し傾いている。


「・・・蜘蛛の人、大丈夫だったかな。」

心配していたのはそちらだったかと首を振り、肩に止まってうずくまった。そのまま歩を進めた菱津は、瓦礫の散らばった道を慎重に進み、そしてふっと、表情を曇らせた。

「・・・ああ、残念。」

呟いて俯いた青年の目線を辿ると、白い蜘蛛は胸を傷つけて死んでいる。

「・・・妖の寿命は、長いんじゃなかったっけ?」

「寿命でなくとも、死ぬときは死ぬものだ。そんなことも忘れたのか。」

菱津は首を振ると、蜘蛛の亡骸へと近づき、もう少しで宙吊りになるところだった彼女の体を所定の位置に戻し、力無く垂れていた腕や足はいい塩梅に調整された。


「白蛇君、少し、あちらに持って帰ってもいい?この、露だけでも。」

悲しそうに目を閉じ、巣に残っていた、青い月の光を受けて輝く玉のような露に手を触れた。

「これだけでも、持ち帰りたい。」

「・・・階を跨いでの物のやり取りは、依頼人と以外は完全に規則違反だ。その結果、あちらが大災害に見舞われる可能性だってある。」

「そうなる前に、戻すから。だから、お願い。」

「・・・仕方ないな。」


輝く露は手に収まると薄い膜で覆われ、やがて水晶のように硬くなった。よく見るとその中に、ごく微細な蝶が舞っている。


「依頼主が、待っているぞ。」

「わかっているよ。・・・行こうか。」



少し憂鬱そうな青年は、以前のように妖に囲まれることもなく、方向を間違えそうになった時だけ、白蛇が指示を出せばいいだけのことだった。


「お待ちしておりました菱津様。どうぞ中へ。」

狐銀が迎える声にも少し頷いただけで、獣は心配そうに、青年の顔を見下ろした。


「どうしたんだ。」

「別に、なんでもないよ。・・・ただ、君がなぜ、黒い魔物から僕の魂を取り戻したがっているのか、少しわかった気がしただけ。あの首輪が無くならなければ、きっと嵐を乗り切ることができたから。」

「・・・それでもお前は、体の部品がある地下15階へは向かわないつもりなんだろう。」

「うん・・・ごめんね、白蛇くん。・・・本当に。」


優しそうに見える白い瞳を見つめていると、いつも申し訳ないような気分になるのだが、一度頭を振ると、先に進んだ。


二人は変わらぬ立派な扉を開けると、依頼主の妖の女は立って出迎えた。そのそばには、人の膝ほどまでしかない少女が控えていて、二人揃って頭を下げた。

「その品物で、間違いございません。」

その言葉を聞いたあとで、懐から、手袋に包まれた二つの指輪を取り出した。


「随分、小さな首輪だね。」

仄かに笑った女は、首元を取り巻く、獅子のような立て髪を持ち上げて青年に示した。それはあまりにも細く、指輪程度の大きさしかなくとも、十分だろうと思われた。

「では、約束通りに甘い砂糖菓子を差し上げましょう。」


同時に行われた交換により、手に乗った、少し重みのある、赤い布で包まれた菓子を見つめる。ある意味、あの二人の死と引き換えに手に入れたものこそ、この小さな塊であった。

「帰るぞ、長居するな。」

獣に言われ、小さく頷きながら、ぼんやりと、手の中の重さを感じていた。


畳敷の部屋に戻り、薄い布を開くと、表面が少しざらざらした透明の菓子が出てきた。それを蝋燭の火にかざすと、水辺に佇む鶴の模様が現れる。


「これは・・・うん、多分、こうするものかな。」

蝋燭の炎の中へ入れると、模様の鶴が翼を広げ、そして飛び立ち、明るく輝き始めた。白蛇は人の姿になり、寝場所というよりは休憩所を整えつつ、様子を見守った。


「・・・そんなに見られると、食べにくいでしょ。三峰もそうだけど、そんなに僕が食べるところは面白いの?」

「さあな。」

相変わらず、少し退屈そうな白蛇は美しく、菱津は小さく微笑むと、二本指で大きめのをれを摘み、熱いなと思いつつも、口の中に放り込んだ。

「あっつ!!・・・だけど」

舌から喉まで、焼けるような熱さに慣れてきてから、軽く舌の上で転がした時は、ザラメ付きの雨のような味だったが、薄氷のような表層を噛み締めてみた瞬間、さらに激しい炎の熱と共に舌の上で弾け、強いが快い刺激の後に、中からえも言われず甘いシロップが流れ出して、表面のカリッとした食感と共に、強烈な甘みを与えていた。

「一応、美味しかったようだな。」

「あっついけどね。」


口を開くのも少し名残惜しく、そのまましばらく味わった後で麗人を見つめると、ふっと笑った。

「やっぱり、生きるのは楽しいよ?白蛇君。」

「あの少年たちは、どうだったのだろうな。」

穏やかな寝顔を思い、ふっと息をついた。あのような死であったなら、少しは苦しまないのだろうか、と。

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