第9話 不変の桜
電車に揺られること数時間、乗り継ぐ間に田舎へ、そしてまた都会へと向かい、降りた場所からさらにバスを乗り継いで、都市の周縁部まで来ていた。
菱津はあまりにも目立つ服装を気にせずラッシュの中を乗り継いでいたのだが、ここまで来るうち人もまばらになり、いやでも引き裂かれた服が目についた。
(ゼンエイ?ファッションってことにならないかな。)
胡乱げな人々の視線に笑って応えつつ、肩をすくめる。たとえオーバーサイズでも、三峰の服を借りるか、後で怒られそうでも、吸血鬼が夜の間だけ着ているお気に入りの服を拝借した方が良かったかもしれないと思う。
(まあ、いいや。)
懐にある、狐から預かった鈴を確かめつつ、脇差に手をかける。太刀は目立つので
仕方なく三峰のところへ置いたままにしてあったが、この服装では未だに手放せないでいた。
(この国も、平和になったものだよねぇ・・・内乱も騒乱も、戦争さえも、まるで何もなかったみたいだ。武器を持ち歩く人も、それを恐れる人も、もういないんだな。)
少しずつ畑や田んぼが増え、古民家が増えても、どこか昔とは違う。着ている服、道具、空を這う電線、全てが、懐かしさよりは、得体の知れない誰か見知らぬ人の故郷を見せられているような気分だった。
(だから、異界は居心地がいいんだろうな・・・それに、都会も。)
何度も行った場所であっても、匂いも、景色も、服も、全て新しいもののように感じることができたし、どことない懐かしさを、その中に見ることもできた。それと同じように、前を向き未来へ進もうと、変化していく都会も、案外肌に合うのだ・・・そんな気風は、見慣れていたから。
「次で・・・って、そうだった。」
変な目で見られながら、チャイムを押して、それに応える古ぼけた機械的な声を聞く。そこにはどこにも、憧憬はない。
小さなバス停を降り、水の張られ、水面に日の光り輝く田んぼや青々としてきた道端の雑草を見ながら、目的地へと急ぐのだった。
*
いつの間にか人の姿を取り、寄り添うようにして歩いていた白蛇に導かれるまま、さらに人家がまばらになったあたりまで来た時、何かにぶつかったような衝撃があり、顔を見合わせる。外見上はそのまま道が続いているようだが、どうにも、通れそうにない。
「これ、ここら辺に住んでいる人困らないのかな。」
「そもそも、あまり人が通りそうではないがな。」
それもそう、と肩を落とし、鈴を取り出した。こうなることを狐がわかっていたならば、おそらく効果はあるだろうと思われる。
「鳴らしてみるよ。」
「ああ。」
そっと、小さな銀色の鈴を鳴らすと、澄んだ音が周囲一帯に響き渡り、目の前の景色に罅が入ったのがわかった。
「全て壊れる前に、静かに入ろう。」
「・・・壊してからの方が、依頼達成は楽だと思うんだが。」
「中がどうなっているか、知りたくない?」
鞘に納めたままの脇差で、微かに銀色の筋が入った部分を突くと、少しばかり削れる感覚がある。菱津は人一人入れるくらいの穴を開けると、肌を傷つけるのもかまわず中に入り、白蛇も仕方なさそうにそれに続いた。
「なんだ、これは・・・」
「見事に、夜だね。君、これを見て昼の方が楽だって言ったんじゃなかったんだ。」
先ほどとほとんど変わらない一本道は月明かりに照らされ、昼間のように明るい。しかし、確かに吹いていたはずの風は凪ぎ、虫の羽音も鳥の声も聞こえない。
「しかもこの匂い・・・土と草と、菜の花の匂い、これは、春に匂いだ。」
ふり仰げば空は淡く煙り、穏やかで怠惰な空気が肌を撫でる。道なりに歩きながら、ふと、白蛇を振り返る。
「・・・ねえ、姉妹の首輪の効果ってどんなだったっけ?」
「詳しくはないが。ただ、信頼関係を深めるとか、絆を強固なものにする、領域の守り、そのような系統のものだったし、おそらくこの空間も権能によるものだろうが・・・ただ、この世界に持ち込んで、全く同じ効果かどうかは、不明だ。」
菱津は無言になり、ひたすら歩を進める。そのうちに道は途切れ顔を挙げると、満開の桜が花を咲かせていた。
「へえ、いいね、散らない桜だ。」
「散るから綺麗なんじゃないのか。」
「バカ言わないでよね。昔は、桜が散らないように心配したものだよ。せっかく咲き始めた時に嵐なんか来るなよって・・・えっと。確か友達の親のおじいちゃん?だかひ孫だか、そこらへんの人とかも、世の中に絶えて桜もなかりせばって歌ったみたいだし。とにかく、散らないでほしいんだよ、切ないからね。」
「・・・・・お前が言うと、洒落にならん。」
「・・・だってさ、散っている姿も、その落ちた直後も綺麗でも、そのあとは踏みつけられて、鮮やかな色を失って、誰の目にも触れなくなるだけだよ。湖に落ちたものも、最初は綺麗でも、最後にはただの塵芥だ。どうして、それを望めるんだ?」
月の中に佇む桜は、花びら一枚落とすことなく、端然とそこにあった。しかしその姿からは、生の息吹もまた、感じられない。
「・・・こんなふうに飾られているのが、風情があると?」
「飾られて見えるのは、僕たちが干渉しているからだよ。そうでなければ、永遠に咲き続ける桜は、そのように作られたように、その場にあるだけだ。悪趣味には思えないでしょう。」
そう言って笑う菱津に、肩を落とす。これだけ長い歳月を生きてなお、なぜそう生に対して好意的でいられるのか、わからない。
「・・・目的のものがあるのは、この先のはずだ。行くぞ。」
菱津は黙ってついて行きながら、ふと、満開の桜を振り返る。
(でも、変化しないというのも、不気味だな。周りがそう思うのも、仕方がないわけだ。)
自嘲気味に笑いながら前を向いて、あっと息を呑んだ。むき出しの井戸のそばに少年が二人、手を握り合って眠っているのが見え、慌てて駆け寄る。
「まさか、人がいるなんて。・・・いや、この子達が、あの魔物に唆されたのかな。」
色白で、美しい顔立ちの二人は、この世界の他のものと同じように、動くことも、呼吸することもなく、硬く手を握り合って眠り込んでいる。少し色素の薄い髪の少年は、黒髪の少年に寄りかかるようにして眠っており、とても幸せそうだった。
「そうだ、首輪・・・ちょっと、ごめんね。」
二人の首元を探ってみても、それらしいものはなく、菱津は首を傾げた。
「どういうことだろう。・・・いや、待てよ。」
腕、そして手指へと視線を滑らせたとき、二人の薬指に確かにあの世界で確認した「首輪」と同じ装飾のものが嵌っているのを見た。
「・・・白蛇君。」
「やりなさい。」
息をついて、受け取っていた手袋を身につけると、重なり合っている手を外し、一思いに二人から指輪を抜き取った。
「あぁ・・・・・・」
世界が揺らぐのを感じ、二人の手を硬く握りしめる。薄いガラスが割れるような、繊細で、誰かの悲鳴のようにも聞こえる音は伝播し、猛烈な風が吹き込んでくるのと同時に、儚くも崩れ去った。その崩壊と重なるように、目の前にいた二人の様子も変わり、徐々に形をなくして、晴れ渡った輝く空の下には、白骨となった亡骸だけが残された。
「・・・・・かわいそうに。」
周りを見ると、結界が壊れた影響で半壊した小さな家と、同じくらい小さく、荒れた畑しか見当たらない。親の姿も、彼らを心配するような誰かの姿もない。ただ、まだ若い亡骸だけが、そこにあった。
「原因は病気、かな。・・・このご時世に、疫病か何かで倒れたとしても、離れに隔離なんて。」
「厄介払いしたんじゃないのか?・・・手に負えないもの、理解できないものをどう扱うのか、お前はこれまで、いやというほど見てきただろう。」
覚悟をして、亡骸に額を合わせて見えたのはしかし、恐ろしい人々の記憶ではなかった。いつも隣にいて、看病してくれる黒髪の少年、感染るかもしれないと止めてもなお、訪い面倒を見てくれた、大事な存在の記憶だった。
「これを招き入れたのは、病の子ではないのか。最後の方の記憶まで、とても安らかだ。」
しかし、もう一人の少年の記憶の中にも、美しい記憶しか残ってはいない。ただ、もう息絶えてしまうという時、強く願っていた・・・彼が生き続けることができないのなら、共に死にたいと。
「君がいないなら、生きている意味はない、か・・・僕も、そう思えたらな。」
「吸血鬼がいるだろう。」
「・・・こういう時白蛇君は、いつも自分のことを言わないよね。」
色のない青年を見上げ、首を傾げる。自分が他人と関わること全般が好きではないくせに、だからと言って自分自身にことさら肩入れしてほしいというわけでもない。ただ、存在をうっかり忘れた暁には、数年間、ろくに口を聞いてくれなくなったことはあったが。
「まあ、いい。・・・それにしても、この体の記憶は、少し綺麗すぎるね。」
世話といえど、春の日和の中、体を拭いたり、寄り添いながら本を読んでいるような記憶ばかりで、辛いことも苦しいことも、悲しいことも痛いことも、まるで何もなかったように、満ち足りた幸せがあった。
「・・・そうか、これは、記憶というよりは夢なのかな。この指輪で、結界の中に閉じられて、お互いに同じ夢を見ていたんだ。これから先あったはずの未来全てを犠牲にして、その時間を共有する、それがこの首輪の、この世界での効能なのかな。」
ため息をつきながら立ち上がった時、白い人影がじっとこちらを見ていることに気づいた。
「どうしたの?白蛇君。」
「・・・お前はそれでも、生きることを望むのか。ある意味で、彼らの在り方は理想系ではないか。死を望むものも、あれほど見てきたはずだ。」
「それはその人たちの人生で、生き方で、考え方で、僕のものじゃない。僕は何があっても、生きていたかったし、生きていたい。・・・どれほど浅ましくても、それが事実だ。」
その時、脳を引き裂くような痛みと同時に、これまでの死と生の記憶が喚起された。生きることをあくまで望み、醜く生に縋る人間、死を求め、事実を捻じ曲げる人間、そのどちらも、菱津の手によってあるべきように戻されていた・・・たった一度の、失敗を除いては。
「なぜお前は、否定する。これが正しいことだと、わかっているだろう。魔物に唆され、親を犠牲にし、己の魂を渡して。それがいかに歪か、わかっているだろう?」
「それでも・・・死ぬのは、怖いから。君が早く仕事を終わらせたがっているのは知っているけど、僕はできるだけ引き伸ばすよ。」
「死ぬような目に遭い、痛みを受けることもあったのに、なぜ死が怖いのか。」
菱津は引き裂かれている衣を見て、ちょっと笑った。
「死なないのがわかっている痛みなんて、何も怖くないからさ。帰るよ、白蛇君。」
「ああ。」
青々とした葉をつけた桜の木の下に埋もれた花びらを踏みながら、二人は帰路についたのだった。
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