第8話 見なかったことにしておいた方がいいもの
目が覚めたような気がして顔を上げると、山の端から太陽が登り始めたところで、自分は布団のそばで肩肘をついていたらしい。
「え・・・・・・?」
そして目の前には、他のクラスメイトよりは親しくとも、それ以上にはなかなか踏み込めないでいる、心から美しいと思う同級生の青年が、眠っていた。
「・・・菱津。」
開け放たれた窓からは、水辺の匂いと初夏の香りが混ざり吹き込んでいて、長い黒髪をかすかに吹き上げている。肌はあまりに白く、黒々とした弓形の眉は凛々しく、少し血色の悪い唇は薄く、少しばかり頼りない。そんな青年に触れようとして、ふと、手を止めた。
(やはり、夜あいだの何かと、知り合いなんだろう。いや・・・かなり仲がいいんだろうな。)
目が覚めて自分がいたら、きっと残念がるだろうと、少し申し訳ないような気がしながら、凝った体をほぐしほぐし、調理へ向かう。
自分の中にいる、他の何かについて気付いたのは八歳ほどの頃のことで、他に誰も住んでいないはずなのに、家の中の物が勝手に動いていることがあることも、家にいたはずの自分がいつの間にか、どこか違う場所にいることがあるのも、決して怖いとも不気味とも思わないくらいに、普通のことになってしまっていた。
(こういうの、なんて言うんだろうな。二重人格とも違う気がするし。)
甘い香りが漂い出し、ふっと笑みを浮かべる。自分用にはスープを用意しつつ、奇妙な級友の目覚めを待つのだった。
*
どう言い訳したものか、と頭を悩ませながら身を起こした時、簡易な調理場から甘い匂いが漂ってきたことに気づき、頬を緩める。
(この匂い、多分あれだ、リキュールか何かを使ったんだ。)
今の世の中は未成年。・・・少なくとも、戸籍上未成年の場合酒は御法度らしいが、菓子類に含まれているものは問題ないらしい。外見的にはそこら変頓着しなさそうな三峰でも、おそらくここにあるものに手をつけたことはないのだろう。
(まぁ、吸血鬼君が普通に飲んでいるから、意味ないんだけどね。どうせ液体しか口にできないんだから、お酒くらい構わないだろうに。)
そうやって、布団の上であぐらをかき、ぼんやりしていた時、三峰がこちらの様子を見に来た。
「おはよう、一応ご飯作ったけど、食べる?」
「食べるよ!ありがとうね。」
さっさと邪魔な髪を束ね、机に向かいながら、ふと三峰の方を向いた。
(何も聞かないな、そういえば。その方が楽でいいけど。)
意外とそんなものなのかも、と微笑みつつ、ホットケーキと紅茶が並べられた椅子に座る。
「そういえば、今日の授業ってなんだっけ?」
「二限目に体育、五限目が物理じゃなかったか。」
「よし、昼間に体調悪くなって早退しようっと。」
「・・・授業には出なよ、物理が嫌いなのは知っているけど。」
「2時間目で疲れちゃって、そのまま熱が出る予定なんだよ。よし、それで行こう。」
「決意を固めるな。谷島の場合テストの点が八割内申を決めるんだし、君の場合授業態度以外は本当に最低だからな。」
「やだー、僕悪口言われてる?ま、本当のことだけれども。」
「そんなわけで・・・」
「いやいや、授業はちゃんと受けていても、身にも皮にもならなければなんの意味もないからさ!ま、いいってことだよ。」
へらっと笑った菱津は大きく切ったホカホカのホットケーキを口に頬張りながら、さっさと仕事を終わらせた方が得策、と、きっと今頃不機嫌だろう白蛇を思う。
「・・・ちなみに、制服持って来ているのか?」
「いや?着のみ着のままだね。あ、しかも破けているんだっけ。」
服も治ればいいのに、とヘラヘラしていると、三峰がため息をついた。
「ここから君の家まで遠いでしょう・・・バスを乗り継いで行っても、多分二限目に間に合わないよな。俺の制服・・・はサイズ的に無理か。」
「そうね、仕方ない。今日は休むか。連絡して・・・は無理だから、親にしておいてもらうよ。」
最後まで出させるつもりが、うっかり全休にしてしまった三峰は、自分のうかつさを呪いながら、壁に立てかけられている刀を見ていた。
(あれ・・・・・まさか、ホンモノじゃないよな?まあいいや。見なかったことにしておこう。)
三峰は鈍いとか細かいことを気にしないとかそういうことではなく、単純に、危に近寄らないタイプなだけであった。
*
三峰を送り出した後、菱津が呼びかけるとすぐに、白蛇は鳥の姿で肩に止まった。
「今日は学校はお休み、オーケー?」
「ふん、仕方ないな、話は聞いていた。その代わり、明日はちゃんと行くんだな。」
「はいはい。それで仕事は・・・昼間でも大丈夫なやつ?」
「その方が都合がいいかもしれないくらいだ。さっさといくぞ、公共交通機関でな。」
「うわぁ、そうだった、夜なら目立たないけど、昼はまずいよね。」
昨日吸血鬼と話したか、楽しかったかとなじられながら、ため息をついた。少し前までは妖怪が空を飛んでいった、神獣が現れたと、ある種の説明を勝手につけてくれていたのにと、眉間を押さえた。
「どれくらい遠いの?」
「国・・・県は跨ぐが、さほど遠くはない。」
「シンカンセンで行けそう?」
「高いから鈍行でいけ。」
「ケチだなあ。」
「歩いて行かせるぞ。」
「せめて馬は用意して?」
「鹿なら調達してやろう。」
呆れた様子で返され、仕方なく小銭を受け取りながら、学校へ行った方が楽だったなと、今更ながら後悔するのだった。
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