第7話 水辺の隠れ家
地下五階の世界から戻ってくると、白蛇は
「吸血鬼が気になるのだろう?会いたくなったのなら、行けばいいだろう。」
「・・・・・まずは、仕事が先。それに僕は、吸血鬼君に嫌われているからね。あんまり頻繁に会いに行ったら、本当に屋敷にすら入れてもらえなくなっちゃうよ。」
「・・・一体それは、いつのことを根拠に言っている?」
「えっと、初めて会った時・・・任務に失敗してから50年目くらいだから、ええと・・・今から考えてどれくらい前かわからないけど、それくらい。」
数百年前じゃないか、とこき下ろしたい気分に駆られつつ、首を振る。心情的にはもしかしたら、昨日のこととさほど変わらないのかも知れなかった。
「よく、覚えているな。」
「当たり前でしょ、吸血鬼君の事を忘れるはずがない。」
「よくすっとぼけているくせいか?」
「あれは・・・僕にも色々と、思うところがあるの。それより、早く仕事を終わらせよう。話はそれからでも遅くない。」
菱津は物憂げな笑みを浮かべた後、パッといつもの表情に戻り、白蛇君の肩をぽんぽんと叩いた。
「と、いうわけで。大した情報は得られなかったけど、君は場所を特定するのが上手いからね。なんとかなるでしょ。」
「ものには限度というものが・・・」
「大丈夫、今回は形状も装飾もバッチリ見えたから。この右目にしっかりと記録しておいたから、優秀な君の左目で、在処を見定めてよね。」
「息を吐くように世辞を言うな・・・」
と、言いつつ、色のない手を菱津の右目に添えると、慎重に取り出し、自らの右目に埋め込んだ。
「見えたかい?」
「・・・慣れすぎて痛覚まで麻痺したか?」
「普通に痛いって。それで、場所は・・・」
ちらりと菱津を見、回復する様子のない痛々しい傷痕に眼球を収め直してやると、何事もなかったかのように血も傷も消え失せる。
「そうだな、少し遠いから、私に乗っていけばいい。」
「お、それはありがたい。」
ニコニコしている青年に首を振りながら、外に出るための道を踏む。下を見ることもなくさっさと歩いて行く菱津について行きながら、本当の記憶力が空恐ろしくなるのだった。
*
地下二階、普段生活している世界に出てみると、こちらも夜中に近く、菱津は空に輝く銀色の月を見上げた。
「・・・行くぞ。」
「うん。」
白蛇の肩に手を添えた瞬間に、人の形が崩れ、巨大な怪鳥へと
「今回の地域は?」
「北の方だ。」
「そう・・・って、ちょっと!いくら吸血鬼君のことで頭がいっぱいだったからって、悪かったから、落とさないでよ!?危険飛行しないで!宙返りされたら落ちる・・・・!」
言わんこっちゃない、と、落ちながらため息をつく。輝く街は美しいものの、転落した後の痛みを考えると、普通にはなかなか楽しめない。
「完治するまで数分・・・いや、数秒だろうけど、もうちょっと寛容であってほしいよね・・・」
死にはしないから構わないけど、とそのまま勢いを殺す努力すらせずに落下すると、運悪く何かの柵が下にあったようで、腹を突き破ってしまっていた。
「わお、グロテスク。」
「下りんか、馬鹿者。私が潰されるであろうが。」
聞き慣れた声にハッとして、無理やり体を引き裂く形で下りてみると、吸血鬼が嫌そうな顔をして立っており、その手から伸びた長い爪からは、鮮血が滴っていた。
「ご、ごめん!うっかり空から落ちちゃって。怪我してない?」
「腹を引き裂いた奴が問う事ではないわ。・・・・・治るのか?」
「もっちろん!前辻斬りに胴体を真っ二つにされても問題なかったからね。それより、血はいいの?早くしないと、全部僕の中に戻っちゃうよ?」
「こんな時にそんなことを気にするでない!!さっさと治せ!」
地面に座り、ヘラりと笑う間にも、服に滲んでいた血も、吸血鬼の爪や服を汚していた血も徐々に吸い寄せられるようにして菱津の傷口から中へ戻り、その傷も少しずつ塞がっていく。
「ごめんね、邪魔して。・・・それにしても、外で何をしていたの?ここ、隠れ家の庭だよね。」
キラキラと月の光を受けて輝く湖と、そこに今にも咲きそうな睡蓮を見ながら、首を傾げる。今の世の中は適度に周囲への関心が薄く、特に昼の顔となっている三峰恭弥は不良、として通っているため、誰も近づこうとはせず、まして夜に訪おうとするものはおそらくほぼ皆無だろう。それゆえ、姿を隠す必要もないはずだった。
「いや何、髪を切ろうかと思ってな。恭弥は短髪のようだし。」
「え!?君冷えやすくて、前切った後すぐに風邪を引いたじゃないか。やめなよ、そのままで十分綺麗なんだから。」
「・・・・・忘れたと思っていたのだが?」
「君が体調を崩した記憶なんて、忘れたいに決まっているでしょ!全く、それにこんな薄着で。白シャツ一枚なんて、何の役にも立たないからね。羽織貸してあげるから、早く家に入りなよ。お湯沸かそうか?」
返事を聞く前に、寒いと嫌だからと家から持ち出していたものを着せ、背中を押すようにして向こう岸に見える木製の小屋の方へと導き歩く。
「もう、さほど寒くはないであろう。これから憂鬱な夏だぞ?」
「それでもまだ、夜は冷えるからね。それに夏でも、油断すると体を冷やすから、氷とかもあんまり食べちゃダメだよ。君、かき氷も丸呑みする勢いだからね。」
「あいにく!私には臼歯などないからな!もう、お主は何をしに来たのだ。介護でもするつもりか?」
「大丈夫、万が一ボケても僕が責任を持って面倒を見るから。」
「老老介護にも程があろうが!!もういい、さっさと帰れ!」
「えぇ、せっかく会えたのに?」
手を握り、少し切なげに見上げてくる青年に、ふいと顔を背けた。
「まぁ、別に、どうしてもというのなら、泊めてやらんでもないが。しかし、恭弥にどう説明するつもりだ?」
「空から落ちてきたら介抱してくれた」
「お主の正体が疑われるぞ。」
「いや、多分冗談だと思われるだけだよ。君の前までの宿主ほど、細かい性格じゃないからね。」
そういうものか、とすぐに納得した様子で、水上に浮かんで見える月に微笑む。
「そういえば、お主の嫉妬深くて怖い相棒はよかったのか?」
「・・・その、嫉妬深くて怖い相棒に、空から落とされたんだよ。結局、君のところに届けてくれたようなものだったし、多分仕事は明日でいいってことなんだろうけど。」
朽ちていく前に、少しずつ修繕を重ねているおかげもあって、木の小屋は古びているものの、荒屋にはなっていない。少し立て付けの悪い木戸を無理やりこじ開けると、中から果物の芳醇な香りがした。
「何だか、懐かしい気分になるね。お酒でも作っているの?」
「そんなところだ。私の数少ない嗜好品だからな、取るなよ?」
「わかっているって。ただ、売ると違法らしいよ、今のご時世。」
「そ、そんなもったいないこと、するはずなかろう!?」
心外な、と眉を釣り上げた時、青年が椅子に腰掛ける音が聞こえてきた。
「そういえば、三峰って彼女とかいるの?多分この世の中だから、婚約者とかはまだだと思うけど。」
「いや?その影すらないな。・・・なんだ、気になるのか?」
「やだなぁ、変な勘ぐりはよしてよ。たださ、不思議に思っただけ。この家系ってかなりの高確率で美男美女が生まれるし、いつもみたいにすぐに恋人作って結婚しそうだから。」
「奴はどうやら、そもそも意中の相手もはっきりとしとらんようだぞ?何なら、お主が探してやったらどうだ。」
「それは流石に嫌だけど。・・・ねえ吸血鬼くん、ちなみに君って、昼間の記憶をどれくらい持っているものなの?」
机に肘をついて尋ねてきた菱津に、肩を落とした。
「ほぼないな。ただ、家の中の様子とか、昨今の情報媒体を見れば何となく色々わかるものだ。・・・・珍しいではないか、そんなことを聞くとは。」
「何となく、気になっただけだよ。」
いい香りに目を細め、陶然としながら、銀髪の麗人を見つめる。
「・・・吸血鬼くん、今日は眠りたい。多めに、血を飲んでくれないかな。」
「そうであった・・・お主、眠ることも自由ではなかったのだったな。食べられるのが不思議なくらいだ。」
「それは多分、どこかにある僕の魂を維持するためだろうね。面白いことに、食べた後そのまま消え失せているみたいだし。」
そんな話を聞きながら、ほとんど菱津のためだけにあるような布団を出すと、大人しくそこに横になった。髪を解いてやると、嬉しそうに笑う。
「ありがとうね、吸血鬼くん。」
「・・・一応、唯一の友だからな。」
首筋に鋭い爪を当て、痛点を外し慎重に傷をつけると、そこに牙を入れる。柔らかな血管を破り、溢れ出した血を啜りながら、目を閉じる。
(甘い・・・・)
あれほどたくさんの菓子を食べるせいだ、と罵ってやりたくなりつつ、全く抵抗する気配のない、力の抜けた体を抱き、さらに深く、牙を食い込ませていく。
「う・・・」
(痛いのか。)
一度牙を抜いて見ると、伏せた長いまつ毛に涙の露が降り、微かにまなじりが赤く染まっている。いつもいつも、口を開くと少し残念な青年も、この時ばかりはただひたすらに美しく、傷口から血が流れ出し枝のように流れていく様に見惚れつつ、丁寧に舐めとった。
「吸血鬼君・・・もっと飲んで。お願い・・・」
「もう十分腹は膨れたのだがな。・・・仕方あるまい。」
そっと親指で目元を拭ってやり、それからまた再び新しい傷をつけて血を口に含んだ。牡丹の花より芳しい香りを嗅ぎ、体が温まっていくのを感じながら、吸血鬼は目を閉じた
(このまま吸い尽くしたら・・・それでも彼は、死にはしないのだろうな。)
傷も、痛みも、数秒でなかったことになる不死の体でも、ただ一つ、吸血行為のみ、数時間にわたって影響を及ぼすことができた。それもおそらくは、吸血鬼自身もまた、不老不死に近い存在であることも、関わっているのだろうが。
「あ・・・・・」
「苦しいか?」
長い黒髪を撫で梳かしながら、あともう少しだろうかと思う。唇についた血を拭い、もう一度噛もうとしたとき、菱津の体が完全に脱力し、意識を失ったことが知れた。
「こうしていると、本当に綺麗なのだがな・・・」
丁寧に布団に戻し、冷たい頬に触れる。しばらくそのままじっと、静かな寝顔を眺めていた。
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