第6話 「夜の間」
仕事のための準備は、数百年前から何も変わらない。普段着の紺色の着物に、地上では持ち歩けなくなった太刀と脇差を腰に佩き、いつ、どこで好みのタイプがいてもいいように愛用の笛を懐に忍ばせることも忘れないが、それがあまり上手くないことを、白蛇は知っている。
「で、えっと、なんだっけ。探し物?」
「それはいつもと同じなんだが・・・・話を聞いていないのも同然の平常運転だな。もう、依頼人から直接聞け。」
「不機嫌にならないで?顰めっ面も可愛いけどさ?」
「さっさと行くぞ。」
人から見ると、白痴か何か病気を疑われるほど忘れっぽく、計算もおぼつかない。しかし本人はそれを気にした様子もなく、ただ、必要なこと、覚えていたいこと、大事なことだけを覚えていればいいと思っている。そして、いついかなる時でも役に立つからと、唯一体術だけは突出して優れていた。
「今回の行き先は、地下五階の夜の間だ。大丈夫だとは思うが、炎によらず発光するものは持って行くなよ。」
「それは先に言うべきだ。」
懐から携帯を取り出して机に置いた。
「現代人とは難儀なものだな。」
「これは万が一の時のために、持ち歩いているだけ。便利なものは使うし、生きにくくならないように覚えるべきことは覚える、それだけさ。」
菱津は、目立たないようにか、白い鳥の姿に変化した白蛇を伴い、三峰が出て行ったのと同じ扉を開く。
「留守を任せるよ。」
小さくつぶやいて、扉を閉める。鏡の前で一礼、振り返り一礼と一連の動作を行い、蛍光灯から外へ出る。
傍目にはほとんど変わった様子のない地下空間だが、ひんやりとした延々と続きそうなそこは構造もわずかに変化しているらしい。そして、地面に引かれた目印もまた、以前のものとは違う。
「この赤でいいんだよね。」
「それしかないだろう。」
赤い糸が道を這っているのを手繰り、細いそれを見失わないように歩く。
「ねえ、今回の仕事で成功したら、今度は何を教えてくれる?」
「どうせ聞いたところで、すぐに向かいはしないんだろうに。お前の仕事の在り方次第では、私が取りにいくことになるかもな。」
「そ、それはやめてほしいな・・・」
赤い糸が途切れた場所の扉を開け、暗い階段に出ると、その階数を確認する。
「地下五階、か。割と浅いね。」
それから上へ向かう階段をひたすら登ると、途中から木製の階段に変わり、出口の引き戸を開けると家と家の細い隙間に出た。蛍光灯の代わりに朧げな提灯が下がり、目の前の桶には赤い風車が置かれている。
「趣味がいい場所だ、気に入った。」
もう何回も来ているだろう、と言う言葉を飲み込んだ。本当に忘れているのなら、特に思い出させる必要もない。
青年は楽しそうに、白蛇の喉を撫でた後、気分良さげに細い道を歩く。空にかかった青い月が、賑やかな往来に至る道を照らしている。
「あんた、見ない顔だね。」
不意に声がして、歩みを止めた。道の端の方を見ると白い玉砂利かの間から、ほっそりとした菖蒲が咲き、さらに視線を上げると、巨大な蜘蛛の巣と、そこに腰掛ける美しい女が見えた。しかしその頭に、一筋の髪もない。
「なぜ、髪を抜いてしまうの?せっかく、綺麗なのに。」
小さなシャボン玉くらいの大きさの、光るつゆがついた糸に触れ、琴より繊細な音を奏でるそれに、笑みを浮かべた。
「貴様のような奇体な妖に賛美されて喜ぶ魔物など、ここにはいない。」
ゆっくりとまた顔をあげ、ビー玉のような青い瞳を見つめる。真っ白な肌になんの装飾もなく、生まれてきたままに何も身につけず、必要以上の捕食をしようとしない女、これこそこの世界の流儀なのかもしれないと、ふと思う。
「さっさと行きな。直に大嵐が来る。それとも、私に食い物にされたいか?」
「それは遠慮しておくよ。」
青年はまた歩き出すと、少し不満そうな鳥型の白蛇を撫でた。
「なんだい?思うところがあるなら言いなよ。」
「依頼主以外と話すことを、時間の無駄とは思わないのか。」
「え?無駄っていうのはね、好きじゃないことをしている時間のことだよ。・・・お、なんだかこの先、賑やかじゃない?」
道幅のある、大きな道に出てみると、見た目は人とあまり変わらないように見える者たちが、夜の明かりの中で肩を揺らしながら歩いている。中には金箔を貼り付けたように輝く和傘を指しているものや、髪にかんざしを挿している者もいるが、いずれも少しずつ、人間と違った。
「人間のおおまかな形にキツネっぽい顔と、獅子みたいな立て髪を首周りに足したような感じだね、暖かそうだ。・・・絵にしたら、また怒られるんだろうなあ、現実のものを描けって。」
「わかっていて描くのだから、お前は本当にタチが悪い。しかもあの時はクラスメイトの肖像画を描く課題だっただろう・・・・」
あははと笑いながら、道を示す白蛇にはほどほどに従いつつも、往来に出されている銀細工や反物に目を奪われてはあちこちフラフラと歩き、そのうちに妖どもの目を引き始めた。菱津は吸血鬼に似合いそうだ、と羽織りや着物を見ていたが、それを店主が、ニヤリと笑って引き留めにかかった。
「これが欲しいなら、その髪と交換でどうだい、一級品じゃないか。」
そうして無作法に触れようとしてくるのを交わしながら、ため息をついた。わかってはいたものの、ここでは常識的な取引は望めないらしい。
「いいや、いらないよ。ただ物珍しくて綺麗で、羨ましかっただけだからね。それに、君らの顔や、髪?の方が、よほど美しいじゃないか。取り替えるなんて、勿体無いよ。」
奇声、としかいえない声を発し、交換が成立しない無念さも忘れたように青年に笑いかけては熱烈な視線を送る。・・・そんな有様に、白蛇は鳥の頭を振りながら、先を急げと菱津の頬を突いた。
「全く、ギャラリーが多いことだな。依頼主はあの建物だ。」
「ははっ、君の口から外来語が飛び出すなんて、なんだか不思議な感じだ。流行りにも敏感なの?」
「お前の影響だ。ぼんやりしているといつの間にか一人称も話し方も変わっているし、名詞もさっさと乗り換え、信仰でさえも適当にのらりくらりだ。そんな奴と話すためには、こちらも合わせるしかないだろう。」
「嬉しいな、そこまでしても、僕と話したいと思ってくれているなんて。」
と、ニコニコしながら頭を撫でてやると、白蛇は気持ちよさそうに少し目を瞑った。
「ま、話が通じないと、面倒なだけだがな。」
「素直じゃないんだから、もう。ほら。ここの建物なんでしょ?」
先程までの建物より数段豪華な、朱色の3階建ての建物の門の前に立つと、待っていたかのように清らかな声が聞こえてきて、それと同時に門は開いた。
「菱津殿、お待ちしておりました。主人は「五階」におられます。どうぞごゆっくり。」
「この世界で花のような美人、というのはちゃんと褒め言葉なのかな。・・・まあいいや。ありがとう、君は?」
「この屋敷の守り手、狐銀でございます。名前と言った、たいそうなものはございません。」
目元はほのかに赤く染められているのが、妙になまめかしく感じ、嬉しそうに微笑んでいたが、今度は狐銀が華やかな赤い着物の袖を抑えて鈴を振るので、今度は涼やかな音色の方に気を取られている。そんな青年を今度は強めに突いて歩かせながら、中華と和と洋を一緒にしたような洒落た建物の奥へと進ませる。
青年は香を炊いたような香りにうっとりしながら、階段の途中にあるぼんぼりや、囲むようにして見える障子とともに、違和感なく治るシャンデリアやマホガニーの手すりと東洋趣味の雑貨、それらが橙の光の中に一体となって溶け込んでいるのを楽しげに観察する。特に面白いものはじっくりと眺めて楽しみ、細い指先を階段の外へと差し伸べて、一階で何か焚いているらしいその煙に触れてみようと試みては、あっけなく指の間をすり抜けて、残念な思いをする。
「依頼主の所へ急いだらどうだ?」
「ここでの1日は向こうの1秒なんだし。そんなにせいてどうするの。」
向こうでは、自分が楽しんでいる時間は無駄ではないし、急いだらそれを見逃すと言っていたなとため息をつきながら、何かに気を取られては楽しそうに愛でる青年の肩で毛繕いをする。
そうしていても階段を上り切り、赤地に鶴の模様が描かれたタイルの床にたどり着くと青年はようやく、真っ直ぐに目を据えた。目の前には観音開きらしいい重厚な木製の扉、そこにアラベスク模様の彫り物が施されており、その装飾に青年は静かに触れた。
「これは、菱津様でいらっしゃいますね。どうぞ狐銀、開いてやってくださいまし。」
艶やかな女の声は淀みなく、また歌うように聞こえて、扉がゆっくりと開いた。
まず、菱津の目に飛び込んできたのは、ロココ調に色味だけを中華風にしたような、赤字に金の刺繍が施されたソファに身を預けている、黒髪の豊かに長い、輝くばかりに艶に美しい女だった。
「あら、これはまた随分と「愛らしい」妖精だこと。」
(愛らしい・・・)
菱津は少なくとも。あちらの世界でそのような評価を受けたことはなく、狐のように釣り上がったまなじりの、瞳の澄んだ女を見つめる。
白蛇は青年が女に気を取られていることに、若干の苛立ちを覚えつつも、心底ありがたいと思っていた。この部屋には青年を喜ばせそうな品々が、周囲にも、机からも溢れんばかりに置かれていて、とても仕事になりそになかったからだ。
「それで、仕事の依頼とは?」
細い目をさらに細め、謎めいた笑みを浮かべる女は、金に瑪瑙の飾りのついた付け爪をした手を伸ばし、青年にもっと近くへ来るよう促した。
「あんまり、焦らないでくださいまし。もったいなくってよ。」
手の届くところまで近づいてきた青年の髪を撫で、それから頬を慈しむように包み込んだ。
「報酬は、いかほどにいたしましょうか?」
「この世界で一番甘い砂糖菓子を。」
白蛇は毎度のことながら、深いため息をついた。詳しい仕事内容も聞かずいきなり報酬を決めるなど、バカにしてもしきれないものだった。
そんな菱津に女はコロコロと笑うと、たもとの鈴を鳴らした。
「わたくしの依頼は、大事な親子の首輪を取り戻すこと。この街の防衛にも役立てておりましたのに、どうしたわけか、どこを探しても見当たらないのです。」
青年はその言葉を聞き終わると、女の額と額を合わせ、目を閉じた。右目に、確かにありありとその像が浮かぶのを確かめた後、女に向き合った。
「それは、そのまま素手で持っても大丈夫なもの?」
「いいえ、基本的には親と子、二つの首輪を二人でつけて、初めて効果が生まれるものですけれど、一度手に触れると、誰か大事な人に贈りたくなる衝動に突き動かされるはずですわ。ですから、この手袋と、鈴をお持ちになって。」
非志津は素直に黒い厚手の手袋と銀色の鈴を受け取った。
「手袋は戻していただきますが、その鈴はどうぞお持ちになって。ここを訪れた思い出に。」
女また愛おしげに青年の髪に触れると、名残惜しそうに手を離した。
「必ず、取り戻してきますから。」
「あら、頼もしい。」
部屋から出る時の菱津の表情はしかし、あまり芳しいものではなかったのだった。
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