第2話 吸血鬼

 最後のバラの飴に取り掛かっていた時、ふとこちらを見る視線の種類が変わったことに気づき、菱津は楽しげに笑った。


「この季節は、日が長すぎる。そうは思わない?」


花弁から顔を離し、昼とは全く違う人相の「何か」に向かって話しかけた。三峰の茶髪は、この姿の違和感をなくすためにやったのではないかと、菱津は見るたびに思う。


「さっさと出ていけ!顔を見るのも不愉快だ。」

「えー、君がそれを言うの?元はと言えば、君が僕にここにいてって頼んできたのに。」

「一体お前は、何百年前の話をしている!?あの黒歴史を掘り返すでない!」

「あはは、君もちゃんと今っぽい言葉を吸収しているんだね。」


飴を舐め上げながらニヤリと笑うと、相手は嫌そうに顔を顰めた。

肌は青白く、髪は茶色の短髪から長く本物の銀髪になり、瞳はルビーのような赤に、そして目元は、鋭くともどこか優しげな、男らしいながらも甘さを感じる顔立ちから、中性的で、あまりに整いすぎて冷たさすら感じる美しい容貌へと変化したものは、明らかな別人だった。先程までの服が大きくなってしまったのを煩わしそうにしながら、ニコニコしている青年を睨み上げる。


「全く、性格の悪い。恭弥は何を思って、こんな奴を気に入ったのか。」

「顔じゃない?いや、もしかしたら運命ってやつかもよ。数百年来の付き合いがある君の、昼間の姿の人間と全く予想外の場所で知り合うことになるなんて、ちょっとロマンティックじゃないか。」

「飛んだ災難、の間違いだ!お前のせいで私は死ねなくなってしまったのに、よくも平気で会いに来れるな?」

「だって他に、昔からの知り合いなんていないからね。で、今日はどうする?お菓子のお礼っていう体で、献血してあげてもいいけど?」

「誰がお前のまずい血など飲むか!もう帰れ!!」


白く鋭い牙が、闇に飲まれていく部屋の中で光って見え、それを美しいと思う。過去の自分の失態を心の中で称賛しつつ、美しい人の元へと歩み寄った。


「いいじゃん、少し舐めるくらいさ。貰いっぱなしって言うのも、よくないでしょう?」


目を細め、まるで獲物を観察するようにじっと銀髪美人を見つめていると、苦虫を潰したような顔をして、ふいと顔を背けた。


「気分じゃないから嫌だ。」

「嘘つき。それとも、耄碌して牙の立て方も忘れたのかい?」


その時、先ほどまで確かに目の前にいたはずの影が掻き消え、恐るべき力でソファに転がされ、上から押さえつけられていた。抵抗しようかどうしようかと悩んでいる間にも、首筋を闇に晒され、鋭い痛みが走った。牙が皮を容赦無く突き破って血管の中に入り込み、そのあまりの激痛に、思わずそばにあった銀髪を掴む。難儀しながら血を吸い、飲み込む音を聞きながら、荒い呼吸を繰り返した。


「・・・・そろそろ、いいんじゃない?・・・僕、死んじゃうよ?」


細い眉を寄せ、目尻に涙を溜めながら、細い声で呼びかけてからさらに数秒後、ようやく牙を抜くと、唇についた血を指で拭った。


「ふん、耄碌しただの、死ぬなどと。お前にだけは言われたくないわ。」

「お、人生の先輩って崇めたくなった?」

「お前のそのとうの立ちすぎた頭は、いっそ一度すりつぶして、新しく生やした方がいいかもしれんな!!」

「あ、それはまだやったことがなかったね。ねえ、試しに君がやってみない?吸血鬼君のその鋭い爪で。」

「・・・お前の不死は、その程度ではどうにもならんことくらい、知っているだろうに。」


先ほど噛んだ痕が、もうすでに塞がり始めている。それも、治っていると言うよりは、元の状態に戻っていると言う方が正しいらしいことを、吸血鬼も知っていた。


「もう帰れ。お前の相棒に睨まれたくはない。」

「ねえ吸血鬼・・・」

甘えたような声で呼びかけてきた青年を素早く張り倒し、首根っこをつかんで鍵のかかる部屋へ放り込んだ。


「あの遊び人めが。」


口の中に残る甘い香りに身を震わせ、その扉の前でうずくまった。菱津に対し、何を期待することも無駄だと知っている。どうでもいいとみなされた記憶はさっさと消し去り、吸血鬼にとっては大事だった思い出さえ、彼にとっては昨日の夕食ほどの価値もないことすらザラだった。


 そして何より、移り気で、誠意のかけらもない。


「恭弥め。なぜよりによってあいつを餌付けしてしまったのだ・・・」


この世界に来てから、菱津の血以外を口にしたことはない。数十年会うことなく、飢えて死ぬことすらできずにいると、ふらりと現れ、心を乱して去っていく。あまりにもタチの悪い知り合いだった。


「次に私の前に現れたら、一度四肢を引きちぎってやろうか。それとも、首を刎ねてやろうか。」


そう独り言を言いながら、深いため息をついた。どうせ、楽しそうな本人を目の前にしようが、何かあって悲しそうにしていようが、結局爪で引っ掻くくらいのことしかできはしない。


「うん、いや・・・そんなことをしても意味はないな。どうせ次の日にはけろっと忘れているだろうし。・・・ふむ、そうだ、ジャムの中に血でも混ぜておこうか?奴ならば簡単に引っかかりそうだな。ふふ、今から楽しみだ。」


吸血鬼も大概、気持ちの切り替えは早く、軽い足取りで食材にあれこれ細工し、後々恭弥が首を捻りながら苦心惨憺する羽目になるのだった。

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