第五話【私の戦い】

 豪雨だ。黒い雨雲から放たれる地べたを這いずるものへの罰。天空に座して地上を害悪の箱庭に沈める垂涎。


 雨に濡れた全身鎧が、ひとつ、またひとつと折り重なっていく。それ自体が、血染めの墓標のように。


 私は、怖気づき逃げ出そうとする騎士に、手のひらを向ける。心なしか、私の手が少しだけ震えた。


「リュジマン・ロワ《覇王の遠吠え》」


 逃げ出そうとした騎士の目が、見開かれて剣を持つ手からは、ギチギチと音がなる。


 リュジマン・ロワ《覇王の遠吠え》は、心を縛り付け、戦いへと向かわせる神聖補助魔術の一種。


 下位ではあるが、精神抵抗の弱い一般人には十分効果を発揮する。


 私は、こうして何百──何千。いや、何万もの逃亡兵を戦場へと戻してきた。


 彼らは、目の前にいる巨大な敵の一薙ぎで鮮血の墓標と化す。


 逃げた先に待っているのは、墓標すら建つこともない不名誉の罪。私のしたことは、褒められることではなかったけれど、非難されることも──でも。


✢✢✢



 ジェルルマンは、私の魔術が効かなかったことに気を良くしたのだろう。液状の体を上下に動かした。その無防備さは、こちらを挑発している。


「神聖攻撃魔術……やるしかないわね。でも、その前に……」


 私を監視している王国の魔術師に見つからないように偽装しなくてはならない。


 もし、このまま神聖攻撃魔術を使ってしまっては、危険人物として賞金首になる。


 これからの新生活にも支障が出るはずだ。静かに普通の生活を楽しみたい願いは、無惨に打ち砕かれることになる。


 王宮魔術隊ほどの使い手でも、偽装することは可能だ。私は、神聖魔術のマスタークラスだけではなく、巫女術に関しても、中級までは修めている。


 巫女術の一つ幻覚の魔術をかけつつ、神聖補助魔術の結界魔術をかければ……


 今の私の姿は、ジェルルマンと必死に戦っている治癒術士にしか見えないはずである。


 余程の刺客。私と同レベルの魔術師でなければ、見抜くことは出来ない。


「さあ、もう大丈夫ね。本来なら、ジェルルマンに使う魔術ではないけれど、貴方は特別種のようだし。ここで、足止めされるわけには行かないの」


 私の言葉など通じていないだろうが、ジェルルマンは、こちらへと体当たりをしようと体を縮めている。


「詠唱破棄、下位神聖攻撃魔術『アンフェリ・デュートネール《神なる雷》』」


 目の前が、真っ白に明滅すると地面をえぐり飛ばすような轟雷がジェルルマンに降り注ぐ。


 もし、自然に発生したカミナリであったならば、確実に鼓膜が破れていただろう。


 しかし、私が隠蔽魔術を使用しているためこれほどの激しい攻撃をしても、王都の誰にも気づかれることはない。


 ただ、完璧な隠蔽とは、言えないけれども王都にこの隠蔽を破れる者などいないだろう。


 爆風が私の髪を揺らす。久しぶりに嗅ぐ戦場の匂い。いや、実際は数日前まで身を晒していた場所である。


 私は、久しぶりに──時間的概念ではなく──流れる髪を手で押さえながら静かになるのを待つ。


 聖戟の痕跡は消えて、ジェルルマンが炭化する。


「あ、暗業魔王サマ……『万歳』っ!!」


 ジェルルマンは、蒸発し大気の中へと紛れていった。はっきりと言葉を発したのだ。



✢✢✢


 ああ、嫌な雨だ。私は、窓から見える降り止まない黒雲の空を見つめる。


「ルフェーブル様、暗業魔王の消滅を確認いたしました」


 息を切らした兵士が、テントへに入ってくる。右手を左肩につける敬礼をして報告をする。


 兵士の声には、喜びが込められている。私が振り返ると、兵士は顔を赤らめてうつむいた。


「よろしい。ベトフォン将軍は? どれほどの犠牲が出た?」


 私は、努めて平坦な声で厳しさを込めながら聞く。戦場では、声に色などつけたりはしない。


「はっ、ベトフォン将軍は無事です。無傷とはいきませんでしたが、魔王の死を確認しておられました。犠牲者は、完全には集計されておりませんが、数百人規模になることは間違いないとのこと」


 私は、握りこぶしに力を込める。完全治癒の名声が、いかにお飾りかと──涙が視神経を濡らすものの流れることはない。


「分かった。ジルベール……いえ、ベトフォン将軍のもとに行きます。伝令役、ごくろう。戻って、ゆっくり休め」


 兵士は、私の言葉に嬉々とした表情を浮かべてテントを出ていった。


 風が吹き付けて、テントを揺らした。まるで、亡霊たちの声で、テントが揺れているようだ。


 私は、姿鏡に映る自分を睨み据えた。



✢✢✢



「暗業魔王……復活したのね。ジルベール……ジルに伝えるべきかな」


 魔王の復活は、ありえない。ジルベールは、魔王のコア──心臓──を砕いたのだ。


 私も確認した。それは、確かである。でも、ただのジェルルマンが、ここまでの強化をされているのだ。


 復活し、自らの軍団を再編成していることは間違いない。


 このジェルルマンが、何匹目の配下なのか、どこに本拠地を作っているのかを調べる必要がある。


「……私、何を考えているの? 『今は、ただの治癒が得意なだけの女』じゃない。ジルに任せておけばいいのにね……」


 夕闇が、西に沈んでいく。


「とにかく、ギルドミッションの完了を報告しないと……。魔王の情報は……ジルへの手紙に書けばいいのよ」


 私は、自分に言い聞かせるように呟く。地面にこびりついたジェルルマンの炭化した破片を指先で摘むのだった。

 

 第五話【私の戦い】完。

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ソレイユ・ルヴェルの生きる道 SSS(隠れ里) @shu4816

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