第二話【私の景色】

 これほどまでに違って見えるのかと驚く。市民街は、任務に向かう途中の道でしかなかった。ただの景色で、作戦を反芻するための時間だったのだ。


 活気に満ちた庶民の笑い声が、あちらこちらから聞こえてくる。平和を歌っているようであり、勝利を重ねてきた大国を象徴するものだ。


 子どもたちが、無邪気な大声をあげながら走り回る姿に胸が苦しくなった。


 私は、いま微笑ましいと感じている。それなのに、今までは通り道としてしか見ていなかったのだ。


 何よりも、私にとって子供の声は痛みや苦しみを訴えるものでしかなかった。


 血に染まった顔を恐怖でひきつらせながら、走り狂う姿でしか見ていなかったのである。


 手を繋いだ男女が、お互いにほほえみながら人混みに消えていく。この平和を守ったのは、敵の血で全身を染めた剣戟のすえなのだ。


 私は、首を振った。もう、そんな日常は終わりを迎えたのだ。これからは、この光景と一緒に生きていくんだと何度も頭の中で言い聞かせた。


(私の服……少し浮いてるかな。しばらくは、市民街で暮らすつもりだから、もっと質素なのが良いよね)


 私は、任務のために習得していたマッピングの魔術を使い商業区を目指すことにした。


 イストワール王国は、もうすぐ建国千年をむかえる。人口の増加にともなう拡張工事の影響で、商業区だけでも数区画もある。


 衣服専門の商業区は、第二区だ。普通の庶民が着るような服は売っているだろうか。


 姿鏡に映る私は、数日前まで戦場を走り回っていた軍人とは思えない。


 緑白色の長い髪は、肩まで伸びていて吹き抜ける風で優雅に揺れていた。おっとりとした顔つきの女性がこちらを見つめている。


 青空のような瞳は、私だ。こんなにも落ちついた表情を見るなんて思いもしなかった。


(庶民が着る服にも、色んな種類があるんだね。知らなかった……)


 貴族の子女が着るような可愛い服はないけれど、似せたような服は売られている。


 鏡の前で、服も合わせない私を不審に思ったのか店主がこちらを怪訝そうに見ていた。


 どんな服を見ても、心が動かない。これが欲しいとはならないのだ。


 私は、親の顔も知らない孤児だった。小さな頃に親を失った子供を引き取っている貴族に拾われたのである。


 最後の最後まで、自分の望みを誰にも言うこともなく王国軍に入隊した。


 育ての親である貴族からは、欲のない子供だと言われ続けたのだ。だから、どんなものを見ても物欲がわかない。欲望を抑えることが癖になったのだろう。


(服は、また今度でいいよね。この服でも浮いたりしてないし。住む場所、住む場所を決めないとね)


 穏やかな日差しを受けた人々の笑顔が、鏡に映っている。人生を謳歌する声が遠くに聞こえた。絵空事とは良く言ったものである。


 私は、深いため息をつく。返り血は、なかなか落ちないものだ。


「お母さ〜ん。待ってよ〜」


 私の心臓が冷や汗をかいて跳ね上がる。ゆっくりと声のする方を振り向くと、母親と思われる女性の手を掴む少女がいた。


 少女は、欲しい物でもあったのだろう。必死に母親にねだっている。


 私には、生まれたときから母親がいなかった。だからといって、その光景が羨ましく思えたり憎らしく思えたりはしない。


 暗闇からノックの音が、聞こえてくるような底しれない恐怖を感じるのだ。


 少女に手を引かれた母親は、アクセサリーショップの前まで連れて行かれた。


(これが、イストワール王国なんだね。平和ってこういうことなんだ……)


 魔物に滅ぼされた町、凶賊に襲われた村。私が見てきた日常は、どこも悲惨なものだった。人々は、生き残ることに必死だったのだ。


 私にとって王都の人々は、ただの景色だった。王国領の外れでは、今も魔物や盗賊による略奪が行われている。


 イストワール王国は、精霊世界リテリュスのなかでも屈指の強国だ。中央に行くほど穏やかで過ごしやすい。


 私は、リュンヌ教国の魔族征伐遠征隊に参加したこともあり、悲惨な世界は見慣れている。


 自分を守ることができない子供は、いつも犠牲者だ。物言わぬ遺体を前にした母親の哀哭には、復讐を誓ったし、戦意を高揚させていた。


 いつからだろう耳をふさぎたくなるくらい嫌になったのは……


(ううん……違う。最初から理解なんてできてなかったのかもね。だって、私は生まれたときから天涯孤独だったんだから)


 購買意欲がなくなってしまった。欲しい物もないのに商業区をウロウロしても仕方がない。私は、住む場所を探すために居住区に移動しようとした。


(ッ!? 魔力……。この感じは、王宮魔術隊の刺客だね。やっぱり、陛下はお許しにはならないんだ。私が、自由に生きることを)


 ルロワ国王から見れば、私はヴェニス・ルフェーヴルでしかない。それ以外になろうとすることは、裏切りなのだろう。


(暗殺をするつもりなら、とっくに襲われてるはず。監視なのでしょうね。私が、敵対組織に通じる可能性を考慮して)


 心が、欠けるような笑いが込み上げてくる。もちろん、祝福されるなんて思っていなかった。ジルベールからも警告されていたことだ。


 私は、刺客に気づかないふりをして目がくらむほど平穏な商業区を後にした。


 第二話【私の景色】完。

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