第一話【私の友達】

「ヴェニス、本当にやめるのか? 要職にあるものが、やめるなんて前代未聞だぞ」


 ジルベールの淡い緑色の瞳が、半ばあきらめたようにこちらを見つめている。


 長年の友人だ。私の決意が、絶対にゆらがないことを理解しているのだろう。


 私は、赤鷲城の玄関フロア。赤いくちばしと呼ばれる大広間で深呼吸をする。


 アニエスの花の香りが、私の鼻腔を通って玉座の間で感じた胃痛を癒やしてくれた。


「うん。新しい生き方を探したい。要職って言ったってさ……。代わりは、いくらでもいるよね?」


「…………」


 ジルベールは、無念そうに顔をゆがめて下を向く。拳を握りしめる姿を見ると、心が傷んだ。


 私の言葉を否定なんてできるわけがない。ベトフォン家に生まれたものに、友達とはいえうわべだけの言葉なんてかけられるはずもないのだ。


 我ながら、少し意地悪だと思う。でも、ジルベールだからこそ、当てつけることができる。


「ほらね。ああ、でも。悲しくないよ。積み上げた功績に未練なんてないから。ジルベールは、剣聖を目指してよ。ベトフォン家の生き方をつらぬいてよ」


「陛下は、諦めないと思うぞ。それだけじゃない。ヴェニスの生き方を認めないと思うぜ。いや、うーん。なるべく、後押しはするさ……」


 私の前に赤い絨毯が、続いている。このまま、いまの地位で居座れば約束された未来が待っているのだろう。でも、私が進もうとしている道は……


「ありがとう。ジルベール。はじめて会ったときのことを覚えている?」


「ああ……。俺が、はじめて悪魔を倒した日でもあるからな。ヴェニスのおかげだ」


 ジルベールは、微笑を浮かべた。言いたいことを飲み込むような、どこか切なそうな笑顔はあのときから変わらない。



*



「あれが、重殺のグラマガね。なら、あの人がベトフォン家の御曹……いえ、ジルベール様?」


 当時、イストワール王国の周辺で多数の人間を食らっていた悪魔がいた。


 イストワール王国は、騎士団や軍を動かさずにベトフォン家の長男ジルベールを派兵する。


 ジルベールの箔付けのためだった。悪魔とは、魔族の階級で魔王の下。名のある冒険者でも、逃げる以外の選択をしてはいけないほどの脅威である。


「はい、ルフェーヴル様の任務は、ジルベール様の援護をしつつ。ジルベール様を勝利に導くことです」


 お付きの騎士は、いとも簡単に言ってのけた。相手は、悪魔だ。私は、治癒術師なので戦力として数えられない。


 ジルベールは、重殺のグラマガの大斧を剣で弾き飛ばして、後退させた。


 あの大斧は、重装騎士ですら真っ二つにしたほどの破壊力を持つはずだ。


 さらに、悪魔の体躯はジルベールよりも二回りほど大きく、筋肉のかたまりのような腕から振り下ろされる大斧をなんどもなんども、軽く受け流している。


 紛れもなく、ベトフォンの名を継ぐものだ。私の援護など必要ないと思う。また、政治的な用兵だ。本当に必要な場所で、必要としてくれる人を助けたい。


 私の手が震えた。まただ、この言いしれぬ緊張感。いつからか、感じるようになった謎の不調。


 血汐の杖をジルベールに向けた。傷を治癒しつつ、悪魔に対する殺傷力を付与する。


 治癒魔術と付与魔術を組み合わせた完全治癒ソレイユ・ルヴェル


 私だけの魔術……


「サーント・ジャルダン《聖なる箱庭》」


 ジルベールの足元に光るサークルが刻まれる。同時に無数の剣と花が浮き上がった。


「…………」


 ジルベールは、こちらを振り向く。青いスカーフが、風にたなびいていた。まだ、目を出したばかりの若葉のような瞳で、私を見つめる。


 微笑みを浮かべると、刹那のうちに重殺のグラマガは真っ二つにされていた。



*



 私は、リュンヌ教国から授与された悪魔滅殺の征勲を頭上に掲げてから、カバンに入れる。


 ジルベールは、援護に入っただけの私に自らが授与された勲章を手渡してきたのを思い出した。


 私は、出会ったときの話をしたあとにジルベールと再会を誓って別れた。いまは、自室の片付けをしている。


 整理するのは苦手だ。思い出が、次から次によみがえってきて作業が進まない。


 良い思い出ばかりではないけれど、情熱と愛をかたむけてきた日々だった。だからこそ、辞める決断ができたのだ。


 ジルベールは、ルロワ二世の妨害があると忠告をしてくれた。もちろん、覚悟の上だ。もとより天涯孤独の身なのだし、後顧の憂いはない。


 いざとなれば、国外逃亡も……


「あっ……」


 魔術書の間から、少し古くなった紙製の首飾りが落ちてきた。手に取ると、むかしの記憶がよみがえってくる。


 王国領の小さな村が、魔物に襲われたときのこと。私は、部隊から離れて単身で村を襲う魔物と戦った。


 助けた村の子どもたちが、一生懸命に作って送ってくれたのだ。下質紙でおられた青い花の首飾り。


 少しだけ、視界がにじんできた。


「忘れてたわけじゃないけど…………」


 私は、折り紙でおられた青い花の首飾りを大切にそっとカバンに入れる。


 必要なものは、意外と少なかった。必死になって戦ってきた十数年間も、大したことはなかったんだと思えてしまう。


 私は、部屋中を見回して心のなかでお別れを口にした。二度と見ることも、帰ってくることもない。


 ドアノブを握った。振り返ると、部屋がいつもより遠くせまく見える。


「さようなら…………」


 私は、自室だった場所から出ていく。これで、王国軍の自分を捨てられる。部屋を出た瞬間は、感慨深さよりも、少しだけ安心感が上回っていた。


 私の生き方を探す旅が、はじまりを告げる。


 第一話【私の友達】完。

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