ソレイユ・ルヴェルの生きる道

SSS(隠れ里)

プロローグ

 私は、数え切れないほどの血を見てきた。私は、数え切れないほどの人間を戦地へと送った。


 私は、活力に満ちた生まれたての背中を見送って、死にかけた顔を出迎えてきたのだ。


 私には、胸を張って自慢できることがあり、顔を背けたくなるほど卑下したいこともある。


「イストワール歴代最高の治癒術師ルフェーヴルよ。余に上申したいことがあるそうだな。ルフェーヴルならば、遠慮することはない。忌憚なく申してみよ」


 何度も見た顔。イストワール王国に住むものなら、どのような形であれ見ることになる。私は、毎日のように拝謁してきた。


 とても、名誉なことらしい。イストワール王国最強で、この精霊世界リテリュスにおける武人の頂点であるベトフォン家以外だと、私だけ。


 玉座に座る髭面の男は、ルロワ二世。


 触手王と呼ばれたルロワ一世の末の子だ。兄や姉を政治的に排除してきた。暗闘の末に国王の座についたのに、その地位に耽溺することはなかった。


 あと数日で……


「うん? どうかしたのか。もしや、余の顔に不吉な相でも出ているのか? ううん?」


 ルロワ二世は、少しうろたえたような口調で問いかけてくる。どこか救いを求めるような目つきは、私に否定して欲しそうに見えた。


(私は、占い師じゃないんだけどね。この雰囲気、嫌だな。はやく、言って終わりにするんだ。私)


 ルロワ二世の横に立つ大臣が、咳払いをした。早く否定しろとでも言いたいのだろう。


「いえ、陛下。そのような相は、出ていません。それよりも、申し上げたいことがあります」


 私は、足元を見つめる。赤い鷲が翡翠を咥えた意匠の杖が見返してくる。私のなかに、こみ上げるものがあった。


 この杖は、ルロワ二世より貸与されたイストワール最高の治癒術師の証である。赤い鷲は、王家の象徴だ。


(あぁ……さいしょは、すごく重たかったっけ。でも、これは……もう)


「あぁ……。そうだったな。そのための拝謁だったな。関係ないことを聞いた。許せ。……あらためて、ルフェーヴルよ。遠慮せずに申してみよ」


 私は、ルロワ二世の顔をまっすぐと見つめた。何度も言うべき言葉を心のなかで、繰り返す。


「私、ヴェニス・ルフェーヴルは……。私は、王廷治癒術師長の職を返上いたします」


 ルロワ二世は、手に持っていた錫杖を落とす。謁見の間は、まるで時間魔術を行使したかのようにゆっくりと静止していく。錫杖の転がる音だけが、いくえにも響いていた。


 普段であれば、側近たちが慌てて拾う許可をもらって即座にルロワ二世のもとへと戻さなければならない。


 誰もが、目を丸くして口を開けていた。緊迫した空気は、人から人へと伝播して私の肌に張り付くほど向けられる。


 錫杖は、玉座へといたる七階段を転がり落ちた。王廷治癒術師長の証たる血汐の杖に衝突して停止する。


「あ、えーと。陛下……。錫杖を……」


 私は、沈黙に耐えかねた。錫杖を取る承諾を得ようと発言する。


 ルロワ二世は、玉座に座り直し、側近に手で合図をすると、錫杖を取りに行かせた。


 側近は、私の顔を見ながら近づいてくる。周りを見ると、重臣たちは互いに顔を見合わせて何やらささやきあっていた。


「ルフェーヴルよ……。その血汐の杖は、余の王錫などよりも価値がある。それを貸与された者の価値は、その血汐の杖よりも上だ……。価値には、責任がある。貴族に価値があり、平民が無価値なのと同じだ」


 ルロワ二世は、側近から錫杖を受け取る。せわしなく、錫杖を触りながらルロワ二世は続けた。


「無価値な言動は、許されない。故に……返上は認められん。ルフェーヴル、現状を理解しているか? 北部の魔物どもが活発化している。ベトフォン騎士団まで動く事態だ。休戦中とはいえ、南のターブルロンド帝国も警戒しなければならない……」


 ルロワ二世の言葉に、左に立つジルベールが拗ねたような顔で大きく頷いた。


 短いブロンドが、玉座に差し込んだ日差しを反射している。青いスカーフの先が肩から落ちた。


「ジルベールからも、何か言ってやって欲しい。ルフェーヴルとは、友人であろう。余ももうすぐ退位だ。息子の時代を前に才能ある重臣を『失う』のは耐えられん」


 ルロワ二世は、顔を伏せた。肩を大きく上下させて弱々しい口調で錫杖を握りしめる。そのようすからは、落胆だけでなく怒りも感じた。


 それでも、私の決意は揺るがない。職を辞すことを決めたのは、一ヶ月も前のことだ。タイミングが悪かったのは、仕方ない。ルロワ二世の退位は、その後に決まったことなのである。


「まあ、北部戦線は妹が頑張ってるから、オレとしては強くは言えないんだけどな。ヴェニス、お前にはさ。妹のところに行ってもらいたいんだよ。アレは、ベトフォン家の要だ。すげー強え。でも、活発化している魔物のなかにはな……あっ」


 ジルベールの言葉をさえぎるように大臣が、咳払いをする。目を丸くしたジルベールは、少し慌てたように「とにかく、辞めるな」と強い口調で、私を見つめてきた。


 私もそうすべきだと思う。治癒術と付与術を掛け合わせた完全治癒ソレイユ・ルヴェルは、私だけの魔術式だ。他にできるものなんていない。


 ベトフォン家の宝……。いや、イストワールの至宝と呼ばれるジルベールの妹アニエス・ベトフォンは、何があっても守らなければならないだろう。


 北部の魔物が、活発化している状況は予兆だとも言われている。まだ、噂レベルに過ぎないけれど。


(魔王の……暗躍ね。噂……いえ、予想が本当だったら、いくらアニエス様でも怪我一つなく戦い抜けるとは思えないものね。分かってる……でもッ!!)


 青ざめた老婆の姿が、私の頭によぎった。歯を食いしばって、深呼吸。もう、決めたことだ。治癒術を完全治癒を戦争のためには使わない。


 たとえ……


「理由は何だよ。辞める理由。友であるオレにも言ってなかったよな? それを話してくれ。いきなり返上しますじゃ納得いかないだろ?」


 ルロワ二世は、ジルベールの言葉を受けて顔をあげた。私を見る目が、すがるように揺れ動く。息子のために辞めないでくれと言っているようだ。


「理由……。それは、私の生き方のためです」


 私は、首飾りのようにしていたイストワールにふたつしかない「術師長」の称号を首から外して、血汐の杖の上に置く。


 その場にいる誰もが、同じ顔をしている。呆れて言葉もでてこない感じだろう。


 きっと誰もが、胃の中をかきむしられた不快な感覚を我慢しているのではないか。誰もが、なんとも言えない表情で私を見つめて立ち尽くしていた。


 もう、決めたことなんだ。今さら、撤回はしない。私は、一礼してルロワ二世とジルベールに背を向けた。


 プロローグ【私の生き方】完。

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