第3話 女の髪が変わるとき

銀行の融資があっさりと決まり、会社は延命した。なんでも明石くんという若手の行員がうちの事業の魅力を上司である担当者に必死で問き伏せてくれたのだという話を聞いた。俺はその明石くんに礼を言いたいから会わせてくれと頼んだが、断られてしまった。


ケイコは、1週間に一度ほど俺の前に現れた。そして、俺の愚痴を聞いてくれたり、料理を振る舞ってくれたりして、俺の心も身体も癒やしてくれた。俺はいつしかケイコに恋をしてしまっていた。ケイコに会いたいと思うことが心の糧となり毎日を頑張れるようになってきたのだ。そして、そのうち事業にも少しずつ光が見えてきた。


ある日、俺はケイコに聞いた。


「なあ、俺はケイコのことが好きだ。俺はケイコのお陰で毎日をがんばれている」


「そう言ってもらえるとうれしいわ。もっと、隼人さんのためにがんばってみたくなる」


「俺、これまでEDというか、セックスはできない状態だったんだけど、最近、心の状態が良くなって、またできるようになってきたんだ。今夜、いいかい?」


「ごめんなさい」


「どうして?」


「私は隼人さんのことが大好き。大好きだけど、エッチをするには、ものすごく自分の中でいろいろなことを受け入れる覚悟して、身辺の整理もしなきゃいけないの。怜香としてはそういう経験があるのかもしれないけど、ケイコとしての私には全く縁がなかったし。それに、怜香さんに無断でそういうことをしたら、それはきっと不倫っていうことになっちゃうと思うんだ」


彼女の口から出た『いろいろなことを受け入れる』という表現にそこはかとなく色気と神秘性を感じた。


「同じ体なんだから不倫ではないだろう」


「どうだろう?」


「それに、怜香に無断とは言うけれど、相談はできないのか。もう一人の自分と話し合いというか。二重人格にそういうのがあるのかはわからんけど」


それを言うと彼女はいつもの仕草でじっくり考え込んでしまった。


そして、「時間がほしい」とだけ答えた。


セックスについての返答はすぐには聞けなかったが、その日以来、ケイコが俺の前に現れる頻度は、徐々に増えていった。


最初は週に2回だったのが、徐々に3回4回と増えていき、やがて、週に6回ほとんどがケイコになってしまった。


それにしたがって髪型の趣味が徐々に変わってきた。前はおでこを出していたのだが、いつの間にか前髪をおろすようになっていた。そして、さっぱりしたショートカットだったのが、肩まで伸ばすようになっていた。


彼女は保育補助のパートをやるようになった。前からやりたかったけどできなかった仕事らしい。家計が苦しいので正直助かっている。仕事をやりはじめるとはじめは内気だったケイコがだんだんと明るくなっていった。


家庭は徐々に華やかになっていった。ゴミ屋敷に近かったのが、観葉植物が飾られ、キャラクターもののぬいぐるみの数がふえていった。


一方で俺の事業の方も、純利益にはまだつながらないものの、取引先が増えていった。驚いたのはケイコが経営に興味をもちはじめたことだ。俺が家で資料を確認していると、後ろからこの数字は何?と次々と質問し始めた。質問の内容は俺からすればピントのずれたものばっかりで、なんでこんな専門知識がなければ面白くもない数字の羅列に彼女が興味を持つのか疑問に思った。だけど、一度だけ、彼女の質問がきっかけで、悪質な投資家が会社の乗っ取りを画策していることに未然に気づき、対策を講じる事ができたことがあった。それをわかって質問をしたのかと彼女に聞いたが、「わかってたんだぞ、えっへん」と、腰に手を当て高笑いするのを見て、やはり天然ボケなのだと考え直した。


ある日、あの明石くんが自分から僕に会いたいと言ってきた。

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