第2話

 朝食後、ラスティと私は再び私の部屋に戻り、ラップトップを起動してもう一度スペースホライズン・エクスプロレーションズから送信されたテキストを開いた。


 再度読んでみる。今度は粗探しではなく内容を理解するために。丁寧な文章を作り上げるために加えられた余計な修飾を省くと、大体の内容はこうだった。


 スペースホライズン・エクスプロレーションズは宇宙開発に関わる民間企業である。歴史はまだ浅いが従業員は新進気鋭の粒揃いで、現在は政府とタッグを組んで火星移住のプロジェクトに取り組んでいる。そのプロジェクトの一環として、家政婦アンドロイドが地球外の環境でも同じように機能するのか試したい。そのために火星に連れていく機体として、小倉ユキが所有しているアンドロイドが選ばれた。……らしい。


「すごいよ、ラスティ!」私は歓喜のあまり叫んだ。「君は火星に行くんだ!」


「ええ、そのようです」


「どういう経緯で選ばれたのかはわからないけど、とにかく嬉しいよ」 


 椅子から立ち上がってラスティの両手を掴み上げると、彼女は小首を傾げた。


「なぜユキさんが嬉しいのですか? 火星に行くのは私だけです」


「友人にとって喜ばしいでき事は自分のことであるように喜ばしいものだよ」唐突にもたらされた非日常へのチケットにはしゃいでいたが、ふと冷静になった。「……断らないよね?」


「はい、お受けするつもりです」


「そっか、よかったよ」私は頷いた。「それにしても、嬉しいのはホントだけど1週間とはいえラスティがいなくなるのは寂しいね」


「それはお互い様です。寂しくなるかもしれませんが、興味深い経験ができるまたとないチャンスですから」


「同感だね。じゃあいい返事をしておくよ」


 可能な限り丁寧な文章でテキストを打ち込んでラスティの頭脳も借りて3度は見直し改稿し、スペースホライズン・エクスプロレーションズに返信した。


 画面の端の時計で時刻を確認するとまだ午前9時を10分ほど過ぎたころ。珍しくまだ午前だというのに脳が目覚めていた。


 アカデミーへ提出しなければならないレポートの提出期限が差し迫っている。講義への出席を免除してもらっている代わりに、他の学生には期末にだけ課されるレポート課題を最低でも5つは提出しなければなかった。そのうえ、どれか1つでも基準を満たせなければ単位はもらえない。


 なかなかに厳しい条件ではあるが、私のような履修方法を選択する学生は他にも数は少ないがいることにはいたし、そのおかげで規則やメソッドが整っていたのはありがたかった。


 私はそのメソッドに従ってとある必修科目の前期課程3つ目のレポート――つまり、講義に出席していれば提出する必要のないレポート――に取り組んでいた。差し迫っている期日とは、つまりは3日後のことだからだ。


 ラスティに板状のミルクチョコレートと濃く入れたアールグレイを持ってきてもらい、それらをお供にレポートを進めた。ラスティが昼食に私を呼びに来たときには、レポートはどうにか8割ほど書きあがっていた。


「もうすでにご覧になりましたか、ユキさん?」


 食卓についてカルボナーラをフォークに巻き付けていると、ラスティはいつもより少し笑顔でいった。


「何を? 多分まだ見てないけど……」


「そうなのですね。17分前にスペースホライズン・エクスプロレーションズ様からテキストを受信しまして、私が火星へ行く日が知らされました」


「早いね」仕事のできる人はテキストの返信が早い、という誰かの言葉を思い出した。画面の向こうにいるのはきっと優秀なエージェントだ。「で、いつ?」


「3日後です」


「3日後! は、早いねえ」


「ええ。ですが最後までレポートの提出のサポートはできますのでご安心ください」


「それはありがとう。でもそうか、3日後か……心の準備をするには時間が足りない気がするよ」


「お手伝いしましょうか?」


「気持ちはありがたいよ。けどね――」私は小さく笑った。実はすでに寂しくなりはじめている、なんて子どもじみた気持ちを悟られないように。「それはできないよ。ラスティでなくても、誰にもできない」

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