ロボットオデッセイ:少女型家政婦アンドロイド、火星へ行く
佐熊カズサ
第1話
『火星移住プロジェクトへの協力のお願い』
テキストのタイトルにはそう銘打たれていた。送信者はスペースホライズン・エクスプロレーションズとかいう聞いたこともない企業。
当然、私はスパムだと考えた。
火星移住はもう何十年も前から折に触れてはネットニュースのトップを飾るが一向に実現する気配を見せない夢物語で、真に受けているのは暗闇を怖がる小学生か大統領はヘビの親戚だと思い込んでいる陰謀論者くらいだ。それに、もし仮に火星移住プロジェクトに具体的な進展があったとして、どうしてただの不登校作曲家に『協力のお願い』をするだろう?
5、6秒間、誘惑的なテキストのタイトルを睨みつけ、ラップトップの液晶をタップしてテキストを開いた。大丈夫、要は添付されたURLを開かなければいいだけなのだ。私はスパムの荒唐無稽ででたらめな文章を読むのが好きだった。
開いたスパムの文面は正直いって期待外れだった。
どこかからコピーしてきたような定型文の挨拶が3行。よくある企業のダイレクトメッセージよりも丁寧でつまらない。恐らく自動文章作成を使って書かれたのだろう。膨大な挨拶を学習した頭脳が吐き出した、最大公約数的な文を改めて吟味した。改めて、つまらない。
近年の自動文章作成は目覚ましい発展を遂げ、人間と大差ない文章を数秒のうちに仕上げてしまう。速度や普遍性は申し分ないが、その新規性はやはり人間を超えない。あまりに当たり障りがなく理路整然としていて、突飛な奇天烈さは期待できない。私がスパムに期待していたのはまさにそこだったのだ。
まあ、その恩恵を多分に受けておきながら批判する筋合いなど私にはないのだけれど。
何の予兆もなく、ガチャリと自室のドアが開かれた。
「おはよう、ユキさん! 朝食ができましたよ」
軽やかな少女の声が部屋に響く。注意深く聞けばかすかに混ざっているざらついたノイズも、今では耳に心地いい。
「おはよう、ラスティ。ありがとう、今行くよ」
ラップトップをスリープモードにし、先にキッチンに向かうラスティを追いかけた。階段を下りるラスティの肩の上で切りそろえられた淡いピンクブラウンの髪が揺れて少しだけ振り向く。
「メニューはシナモンロールとスクランブルエッグなのですが、飲み物は何にしますか?」
「熱いコーヒーをお願い。砂糖はなし、コーヒーとミルクは7対3ね」
「わかりました。では先に席について、少し待っていてくださいね」
ラスティは少女型家政婦アンドロイドである。あどけない少女のような外見とは裏腹に、かなりの高性能で家事の精度は熟練したメイドオブオールワークの動きそのものだ。臨機応変さに欠ける――例えば、洗濯物は午後6時に取り込むと教えれば、たとえ雨や雪が降っていてもその時間にならなければ取り込んでくれない。――など多少の欠点はあるものの、日常の雑事が苦手な私はそういった類の一切を彼女に頼り切っていた。
ダイニングキッチンに入り、飾り気のない木製のテーブルの隅に昨夜の私が置き去りにした文庫本を手に取って席につく。私に背を向けてコーヒーメーカーと向かい合うラスティを見て、大体5分くらいだろうと算段をつける。しおり代わりに付箋でマークしてあったページを開いて文字を追うが、内容が思い出せずに結局は段落の初めに戻って読み直した。
「どうぞ、ユキさん」突然の声に驚いて顔を上げた。ラスティは気に留める様子もなく私の前に朝食の載った白いプレートと湯気の立ち昇るマグカップを置いた。「朝食とコーヒーです。ゆっくり召し上がってください」
「ありがとう、いただくよ」いいながら、小説に付箋を貼りなおして端に置いた。
私はシナモンロールを手に取り、ラスティは私の向かいに座った。はじめは食事をする必要はないし自分はメイドだからと着席を拒んでいたが、理屈をこねまわして命令を繰り返して、食事のときは着席するよう上書きした。
「本日は作業の開始が早かったようですね」ラスティはいった。
「いいや、まだテキストのチェックをしていただけだけど。どうして?」私は小さくちぎったシナモンロールを口に入れた。
「ドアを開けたとき、ユキさんは難しい顔でラップトップとにらめっこしていました。なにか問題が発生したのですか?」
「ああ、いいや、問題じゃなくてね。スパムが届いたんだよ。ラスティ、私のラップトップに接続して見る事はできる?」
「もちろん」
ラスティは姿勢を正して目を閉じた。彼女が私のテキストボックスを漁っているであろう間、しばし無音の時間が過ぎる。その間に朝食を食べ進める。塩こしょうのかかったスクランブルエッグは私好みの半熟。卵や周囲の環境に関係なく毎朝同じような焼き加減のスクランブルエッグが提供されるのは、アンドロイドならではの技巧。人間ではこうはいかないだろう。
ラスティがゆっくりと瞼を開いた。なぜか眉根を寄せて困惑しているような表情を浮かべている。
「申し訳ございません、ユキさん。スパムは見当たりませんでした」
「いいや、そんなはずはない。火星移住プロジェクトの……みたいなタイトルのテキストだよ。ホントになかった?」
「そのテキストなら確かにございます。しかしユキさん、それはスパムではございません」
淡々と告げる合成音声に、心臓がぞくりと震えた。
「ということはつまり……そういうこと?」
「はい、あのテキストの内容は嘘ではありません。ユキさん、あなたは火星移住のプロジェクトに関わらなければなりません」
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