The other side of "0".

 「ふん…。時化てるわね。たった3万ぽっち?」アタシは使い古されてペラペラにくたびれている黒い皮の長財布から2万だけ抜き取ると持ち主の尻のポケットに押し込む。全部抜き取れば強盗を疑われる。ましてやカードなんて。


深夜2時35分。8月の都会にゲリラ豪雨が降った夜、泥酔した中年男が一人、繁華街の裏通りを歩いていた。一足、踏み出すごとに水たまりがビシャッと音を立て、男のズボンのすそを濡らす。このまま何処かで始発を待つか、それともタクシーを拾うか。まだ少しだけ残っている理性を振り絞り、男はふらつく足取りでどこかへと向かっていた。煌めく飲食店の看板が並ぶ、飲み屋街のその先に、ふとエアポケットのような暗い空間がぽっかりと現れた。

「あれ?」男は酩酊する頭を振り絞り、自分の置かれた状況を理解しようとした。

なぜなら、そこには、この街ならどこにでもいるような安っぽい真っ赤なミニドレスをまとった金髪の女がベンチに座って手招きをしていたからだ。

「お兄さん、こんばんわぁ。随分とご機嫌ねぇ。」女はわざと見せつけるかのように脚を組み替え、首を傾げて煽情的なポーズをとった。

「よお、姉ちゃん。どうした?こんなところで。おじさんとどこかで休憩するかい?」上手く行けば、良い思いができると思ったのかもしれない。男が女の肩に手をかけると、彼女はうっとりと微笑み「まあ、お兄さん、気が早い。その前に、もう一杯いかが?」と頭を掴むやいなや、傍にあったバケツに男の顔を思い切り突っ込んだ。

!?!☆▼◎§ッ!!

しばらく男は暴れていたが、女は押さえつける力を緩めない。やがて男はぐったりと大人しくなった。女が男の顔にすっぽりとハマって抜けなくなっているバケツを無理矢理に外すと、大量の水があふれ出てきた。そのまま、男を転がし、残った水も顔の周りにぶちまける。

「雨水は美味しかった?おじさん。」女は何とも言えない薄ら笑いを浮かべると、男の尻から財布を抜き取った。


清掃員の作業服を着て掃除用具の入ったバケツを持った女が早朝の飲食店街を歩いていた。これから酔客の汚したトイレや階段、通路などを掃除しに行くのだろうか。朝の繁華街のありふれた風景だが、すれ違った誰かがよく観察してみれば、そのバケツの中に、掃除用具で隠すように、金髪のウィッグがある事に気がついたかもしれない。


昼過ぎ。眠らない街の朝がやってきた。そして、酔って転倒し、誰かが悪戯で掘ったのか、結構深い水たまりに顔を突っ込んでハマってしまったまま溺死をした中年男の死体が発見された。真夏の炎天下、35℃に達しようかという太陽の元で、既に腐敗が始まりつつあった。




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