最後の子 (お題「危機一髪」)
静寂に包まれた廊下。
その突き当たりにある扉は、固く閉ざされていた。
男はその手前にある長椅子の前で、祈るように手を合わせる。
扉の向こう側からは、少し慌ただしい気配が伝わってくる――気もするが、あるいはそれはあちら側で行われていることを知っているからそう感じるのか。
臨月で、予定日を来月に控えた妻が車に接触しそうになったのは、一時間ちょっと前。幸い接触したわけではないとはいえ、本当にギリギリ。
信号のない交差点だったとはいえ、十分に明るく、余裕をもって渡った筈だったが、いかんせん思いお腹で歩くのが遅かった。
そのため、ドライバーも目測を誤ったのだろう。
文字通り、危機一髪、というほどだった。
あと十センチずれていたら、接触していたほどだ。
ただ、影響はその直後に出た。
その衝撃からなのか、突然産気づいてしまったのだ。
すぐに救急車を呼んで――そのドライバーは何かあったら連絡を、と名刺を渡してくれた――元々分娩を予約していた病院――それが最も近かった――に駆け込んだのが、日替わりまで一時間もないくらい。
これまで安定していただけに、最後が突然慌ただしくなってしまった。
分娩室に入ったのが四十分前だ。
怪我はしてなかったから、それは心配していない。
来月予定日と言っても、来月上旬のことだから、衝撃と関係なしに産気づいた可能性は十分にある。
ただ、最初の子――初産だ。
何が起きるか分からない以上、心配の種は尽きない。
現代日本においても、出産時に何かの理由で母体に影響があることは、皆無ではないのだ。
だが、今夫である自分にできることは、無事を祈ることくらい――。
「無事産まれてきてくれ――」
こういう時、男は本当に無力だと思い知らされる。
普段神など信じていなくても、この時だけは祈らずにはいられない。
果たして――。
オギャア、という赤子の大きな鳴き声が響いたのは、男が何度目の祈りを呟いた時だったか。
「産まれた、のか……」
しばらくすると赤子の声も止まる。
しかしそれから五分ほど、何の連絡もない。
何かあったのかとどうしようもないほど不安に駆られたが――。
扉が開いた。
看護師の女性が出てくる。
「産まれましたよ、おめでとうございます。母子ともに健康です。とても安産でした」
その瞬間、全身の力が抜けた。
同時に、嬉しくて涙が流れそうになる。
言われた性別は、事前にわかっていたものと同じ。
「そう、か……」
「出てくるのはもう少しかかりますから、お部屋でお待ちください。もう大丈夫ですから」
「あ、はい。わかりました」
病院に来て最初にあてがわれた部屋に戻る。
入ってすぐに慌ただしく分娩室に行ったので、荷物なども置きっぱなしだ。
そもそもベッドに横になった瞬間にすぐ連れていかれたくらいである。
とりあえずスマホを見ると、親からの返信が届いていた。
どちらの両親も遠方にいるのですぐに来れないため、心配する文言が並んでいる。
『産まれたよ。性別は予定通り。母子ともに健康で、安産だったって』
とりあえずグループチャットにそれだけ送ると、大きく息を吐いた。
とたん、意識が朦朧としてくる。
気付けば日が変わって三十分ほど。
眠気が襲ってきて、少し横になるかと思いかけ――。
「――さん」
遠くで名前が呼ばれた気がして、意識が浮かび上がる。
「奥さんとお子さんに会えますよ。いらしてください」
一瞬で意識が覚醒した。
「はい!」
連れていかれたのは、あの廊下。
車椅子に座った妻と――その手に抱かれているのは、小さな命。
「ありがとう、お疲れ様」
「……うん」
小さい。
本当に小さい。赤ん坊を『赤』というのは本当に赤いからなのだと、なぜか納得してしまった。
この世界に来て、まだおそらく一時間も経ってないその命は、今は母親の腕に抱かれて、安心しきっているように目を閉じている。
おっかなびっくり触れてみると、驚くほど柔らかかった。
「名前、考えないとね」
「ああ、そうだな」
事前に色々考えてはいたが、決めきれてない。
名前は、この子への最初の贈り物だ。
夫婦で色々悩んでいたが、最後は会ってから決めようと話していた。
「そういえば、面白いんだけど」
「ん?」
「この子、産まれたのが二十三時五十九分なんだって。で、出産時間って多少調整できるのよ。なので、昨日か今日を自由に選べるそうなんだけど……」
「昨日か今日……あ」
「そ。どっちにする?」
今日は西暦なら二〇一九年五月一日。
和暦にすると、令和元年五月一日。
そして昨日は――平成三十一年四月三十日。
なんともすごいタイミングで生まれた子供になってしまった。
「まあ、普通に生まれた時間でいいんじゃないかな」
「ん。じゃあこの子は、ほとんど平成最後の子、ってことだね」
あと一分ずれていたら、令和最初の子だったか。
それはそれですごい。
文字通り、紙一重の差で生まれた『時代』が違う感じだ。
「これから、頑張らないとな」
「そだね。頑張ってね、『お父さん』」
初めての呼ばれ方に、少し驚きつつ――今日からそうなったのだと、改めて実感した。
「……ああ、お互い頑張ろうな、『お母さん』」
赤子を抱く手を少しだけ浮かした彼女の指を握る。
その時、赤ん坊が笑ったように――そんなはずはないのだが――見えた。
「笑った、かな?」
「どうだろう。ただ――」
彼女の頭の横に顔を近付ける。
「みんなで幸せになろうな」
「うん、きっとね」
それはやはりどこにでもある、この国だけでも一年に何十万回と起きる光景。
だがそれでも、その人それぞれにとっては、一生のうちに何回もない、特別な瞬間だった。
―――――――――――――――――――――――――
最初の話の続き……かも?
タグを『結婚』から『夫婦』に変えて逃げました(ぉ
……次のお題は何だろう(戦々恐々)
あとこれで参加したことになるのか。
新作発表扱いになるのか(多分ダメ)
ボールペンは欲しいのですが(ぉぃ
ちなみに、これは私の実体験ではありません。
うちの最初の子は、素直に生まれてきました。
が。
産まれたのは前にノートにも書いた通り、大晦日。
当日の朝5時過ぎくらいに妻に起こされて、産まれそう、と言われて大急ぎで病院にタクシーで移動したのを覚えてます。
ただ、ここからが異様に早く。
とりあえず病室に入ったのは八時前くらい。
昼ぐらいから分娩室に、と言われたのは覚えてます。
で、テンパってて、親(私の親は同じ市内)に連絡してなかったので、その連絡のために一度病室を出て、戻ってきたら妻が部屋にいなくて、朝ごはんが手も付けずにおいてありまして。
なんでもすでに分娩室に入ってたという。
驚いて、分娩室前(ちょっとこの話とは違う感じですが)に行って待つこと数分。
ふと、親に状況を伝えておくべきと思って、そこを一度離れようとしたら……
「〇〇さん! もう産まれますからいてください」
といきなり言われて。
マジでそこから数分で生まれたそうです。
まあ対面したのは大分後、親も来た後でしたが……。
病院も驚く超安産かつ超スピードだったようで、本当に良かったです。
ちなみにこの現象は第二子でも同じで。
二人目の時は計画出産(お盆時期だったので薬で出産タイミングをある程度調整した)だったこともあって、妻は普通に入院していたのですが。
連絡をもらって、上の子と大急ぎで病院に向かいました。
到着までは一時間もなかったはずです。
が。
着いて開口一番『産まれましたよ』でした。
マジかい。
ちなみにその日は出産が立て込んでいて、担当の医者も忙しかったようで、『先生来るまで産まないで!』などと言われたらしいです。
元々立ち合い出産は希望してなかったのでいいのですが、してても間に合わなかっただろうという(笑)
今やその二人も高校生と中学生。
大きくなったものです。
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