第32話 【現在】ネバー・エンディング・ラスト・サマー(前編)

千夏と関の決定的な場面を見た俺は、その後は千夏と話す事はなかった。

通学途中、千夏と同じ電車の乗る場合でも、別の車両に乗った。

そんな俺の様子を察したらしく、千夏の方も話しかけて来る事は無かった。

高三の二学期も後半になると、関と千夏の事は既に学校中に知れ渡っていた。


「関先生と三年の宗像千夏って、付き合っているらしいよ」


そんな声がアチコチから聞こえて来た。

何度か関の車の乗っている千夏が、同級生に目撃される事もあったらしい。

俺自身も、朝の登校時に関の車の乗っている千夏を見かけた事がある。

そういう点では、関智樹はかなり無神経だったのだろう。

流石に高校まで一緒に来るほど馬鹿ではなかったが。


俺と文弘が心配していた千夏の退学だが、それは無かった事がせめてもの救いだ。

千夏は既に18歳だったし、学校側としても「在学中の生徒と先生が交際する」という不祥事は、表沙汰にしたくなかったのだろう。


しかしその代償も小さくはなかったと言える。

関との交際が知れ渡るにつれ、千夏は学校中の女子を敵に回してしまったからだ。

それまで仲が良かったはずの男子も距離を置いた。


そして俺も……千夏からは離れていった。



俺はあの日から、大学の志望学科を理系から文系に変更した。

理由は……数学教師である関に、どんな些細な事であれ頭を下げるような形になるのが嫌だったからだ。

私立の経済学部なら、多くの大学は国語と英語と数学ⅡBまでで受験が出来る。

幸いにして俺は、東京の名門私立大学に合格する事が出来た。

東京の大学を選んだのは……この土地から離れたかったからだ。

より近い名古屋や大阪ではなく、東京を選んだのも同じ理由だ。

それから十年、俺はこの地には戻らなかった……。



遠くから響く花火の破裂音で目を覚ました。

時刻を見るともう11時だ。

そんなに飲んだつもりはなかったが、ワインが思いのほか効いていたのだろうか?


(それとも……悪い酒になっていたのかな?)


俺は起き上がると、まずシャワーを浴びた。

今日はリフォーム業者が家の状態を見に来る日だ。

それによっては鍵を預けて、修理を依頼しなければならない。

再びどこからか、花火の破裂音が聞こえる。


(そっか、今日は夏祭りなんだな)


すっかり忘れていた。

この花火は、祭りを知らせる音だ。

食べ物はないが、今はあまり食欲もない。

業者が来た後で、コンビニにでも行けばいいだろう。


(どうせ明日には東京に帰るんだしな)


業者が来るのは正午の約束だが、いつ来てもいいように着替えておく。

居間のソファに身体を投げ出していると、スマホが振動した。

リフォーム業者かと思ったが、相手は文弘だ。


「よお、ハル! 起きてたか?」


「さっき起きたよ」


「今日の夜さ、夏祭りに行かないか?」


「行かない」


俺は即答した。


「なんでだよ。久しぶりの故郷の夏祭りだろ。一緒に行こうぜ」


「真理恵と二人で行ってこいよ。俺は遠慮しとく」


「つれないな。せっかく誘っているのに」


「オマエの魂胆は分かっているよ。どうせ千夏も誘っているんだろ?」


電話の向こうで文弘が沈黙した。

やっぱりそうか。


「文弘、オマエがどう考えているのか知らないけどさ、俺はもう、千夏の事は何とも思ってないんだよ。だから会う必要なんてないし、会いたいとも思ってない」


すると電話から聞こえる声が変わった。


「本当にそれでいいの? 陽人くん!」


「真理恵か?」


それには答えず、真理恵は話を続けた。


「明日には陽人くんは東京に帰っちゃうんだよね? そしてもう、この町には戻って来ないつもりなんでしょ?」


「別にそこまで強い気持ちで帰って来ないなんて、言うつもりはないよ」


「ウソだ。だって陽人くんの家も売り払うんでしょ? 陽人くんは絶対にここには戻って来ない。少なくともまた十年以上は」


「……」


「陽人くんはそれでいいかもしれない。だけど千夏の気持ちはどうなるの?」


「千夏の気持ち?」


「そう。千夏は今でも陽人くんの事が好きなんだよ。陽人くんに会いたい、話したいって思ってる」


「なんで今さら、千夏がそんな事を思うんだよ」


「陽人くんだけが、千夏の味方だったからだよ。十年間も!」


俺の脳裏に、あの夏の日の出来事が蘇った。

一気に感情が押し上がって来る。


「俺が千夏をフッたんじゃない。千夏が俺をフッたんだ!」


「それでも、千夏は陽人くんを嫌いだなんて、一言も言ってないでしょ!」


思わず俺は歯を食いしばっていた。

そんな俺を見透かしたように彼女は言った。


「そうやってムキになるって事自体、陽人くんも千夏をまだ想っているんじゃないの?」


「そんな事は……ない」


「嘘だよね? ううん、陽人くんはそうやって、自分を騙そうとしているんだ」


「……」


真理恵が再び話し始める。


「陽人くんが辛い思いをした事は私も知っている。話を聞いた時は、私も千夏に怒りを覚えた。でもね、千夏の心の中には、ずっと陽人くんへの想いがあるんだよ。その火は消えていないんだよ」


「……関と結婚していたのにか?」


「……激しい炎には、人は惑わされるのかもしれないね」


真理恵は急にしんみりした声でそう言った。


「千夏が前に言っていたんだけど、LIKEの好きとLOVEの好きは違うって話。でも私は思うんだ。LOVEの好きの中でも、一時激しく燃えるLOVEと、ずっと心を暖めるような熾火のように消えないLOVEがあるんじゃないかって」


(ずっと心を温める、熾火のような消えないLOVE)


俺は真理恵の言葉を胸の中で繰り返す。

そうかもしれない。

そして俺の胸の中でも、未だにくすぶっている千夏への想いがあるのかもしれない。

俺はそれに目を逸らし続けているだけで……。


「そういう心を暖めるようなLOVEの気持ちって、時として本人でさえLIKEと勘違いしちゃうんだよ。それって失うまで自分では気づかない」


「……」


「でもね、長く結婚生活を続けていくためには、そういう暖かくて消えない炎が大事じゃないかな? 激しいだけじゃなくって、友情のようなLOVEが……」


「そうだとしても……それに俺が今さら……」


「そうだね。それに陽人くんが付き合う必要はないかもしれない……」


だが次に、真理恵は強い口調でこう言った。


「じゃあこれは私からのお願い。今夜だけ、最後に千夏と会って! 千夏と話して! その上で、陽人くんが『千夏は許せない。もう会いたくない』って思うんなら、それでいい。お互い、これで決着をつけて!」


「決着……か?」


「私にしても、もう千夏が後悔している姿を見たくないの。陽人くんにも、この町が戻ってこられないような、そんな記憶の場所にして欲しくない! どちらの結果が出ても、二人はこれでキッパリと過去にケリを付けて欲しい。それを私たちへの結婚祝いにして!」


電話の声が再び変わった。


「俺からも頼むよ、ハル。真理恵を悲しませないでくれ。そして俺たちが過ごしたこの町を嫌わないでくれ」


俺はしばらく目を閉じた。

千夏とのいきさつがどうであれ、ここまで心配してくれる友人がいるって事は、本当に幸せな事だ。


「わかった……何時に行けばいい?」


俺は二人の思いやりに感謝しつつ、そう答えた。



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この続きは、今日の正午過ぎに公開予定です。

今日は以下の時間に3話公開します。

 7:40、正午過ぎ、夕方5時半過ぎ

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