第31話 【過去】臨界点(後編)

そしてとうとう夏祭りの日になった。

真理恵はその日、調理部のミーティングもあるので、学校でお菓子を作ると言っていた。


「調理部の集まりがあるのに、俺たちがそこに行くのか?」


その話を聞いた時、俺は疑問に思った。


「ミーティングは午前中で終わるんだとさ。だから午後は丸々調理実習室は空いているらしい」


「そうか」


「調理実習室の午後の使用許可は真理恵が取っておいてくれた。だから俺たちは午後四時くらいに行けばいい。そこでその後の計画を決めようぜ」


そんな訳で、俺は午後四時前に学校に向かった。

グラウンドではサッカー部や野球部が練習をしている。


(暑い中、頑張っているな……)


そう思いながら校舎に入る。

校舎の中も暑い。

普段なら教室内は冷房を付けているのだが、夏休み中は授業もないのでそれもない。

結果として校舎全体が普段より高い温度になっているのだろう。

俺はスマホの時計を見た。


(まだ約束の四時までは、少し時間があるな)


そう思った俺は、何となく校舎の中をブラついてみる事にした。

人気がほとんどない校舎に気を引かれたのと、緊張をほぐすためだ。

今夜の事を考えると、どうしても緊張してしまう。

とりあえず自分達の教室がある三階に向かってみる。

教室には誰もいなかった。


(まぁ、当然だろうな)


そう思った俺は「図書室なら誰かいるかもしれない」と思って図書室の方に向かった。

途中で同じクラスで中学校も同じだった女子・高橋さんに出会った。

当然彼女は、俺と千夏が仲がいい事も知っている。


「あ、陽人くん、こんちは!」


「ああ、こんちは」


「珍しいね。休みの時に陽人くんが学校に来るのは」


「ちょっと約束があってさ」


「約束? ああ千夏と?」


高橋さんが何気なくそう言ったが、俺はその言葉に反応した。


(千夏? 千夏が学校に来ているのか?)


「千夏は……どこにいるんだ?」


俺は出来るだけ平静を装ってそう尋ねた。


「ん~、分からないけど『数学のプリント作成の手伝いをする』って言ってたから……どこかの教室にでもいるのかな?」


「そうか、ありがとう」


俺はそれを聞くと、いま来た廊下を引き返した。

数学のプリント作成の手伝いをする……

と言う事は関が一緒にいるのだろう。

何か、凄く嫌な予感がした。


俺は人気のない三階の教室を、一つずつ覗いていった。

どの教室も日光が差し込まないように、遮光カーテンが引かれていて薄暗い。

やがて一番奥の教室までやって来た。

その教室も他の教室と同じく、扉は閉じられ、中は遮光カーテンが下ろされているらしく薄暗い。

だがその教室だけは、エアコンの作動音が聞こえていた。


俺は恐る恐る、教室の扉を開いた。

そして……俺は目にしたのだ。

一生忘れる事のできない、その光景を!


そこには二人の人影があった。

二人は立ったまま抱き合い、唇を重ねていた。


それは……千夏と関智樹の二人だった。


俺は目の前が暗くなった。

立ち眩みのような感じがして、思わず身体がよろける。

そのため廊下のすぐ横に置かれていた金属製ロッカーに手を掛けていた。

ガタン、と小さな音がした。


二人がハッとしてこちらに目を向ける。

関も、そして当然、千夏も、俺の姿を目にしただろう。

俺は逃げるようにその場を立ち去った。

しかしすぐ後から、俺を追いかけて来る足音が聞こえる。

俺は走り出そうとしたが、眩暈がするような感じがして走る事ができない。


そうして階段の近くで、背後の足音は俺に追いついた。


「陽人……」


千夏が静かに俺の名を呼んだ。

だが俺はそれに答える事はできなかった。


「……ごめんなさい」


彼女は静かにそう言った。


「……なんで謝る?」


「アタシ……まだ陽人にキチンと返事をしていなかったのに……それなのに……」


俺は目を閉じ、小さく深呼吸をした。


「つまり、俺の告白は断るつもりだったって……そういう事だな」


俺が千夏を振り返ると、彼女は小さく頭を縦に振った。


「アタシ、やっぱり関先生が好きなんだよ……」


そう言った千夏は、今にも泣きだしそうな顔をしていた。


「相手は大人でイケメンで尊敬できる数学教師で……ガキの頃から知ってる俺じゃ、幼稚で敵わなかったって事か」


「そんなんじゃない! そんなんじゃないよ! 陽人の事は大好きだよ、今でも!」


「そんな慰めはいらないよ!」


思わず俺の声も大きくなった。

そんな俺を見て、千夏の目から涙が零れた。

やがて小さな声で語り始める。


「関先生とアタシは似てるの。陽人も知ってるでしょ、アタシがあの集落でどう言われているか……」


俺はただ黙って聞いていた。

千夏が母親や祖母の事もあって集落の中では評判が悪い事は、俺も既に十分に理解している。

それは山本良美も言っていた通りだ。

実際に口さがない集落のオジサン連中は、集まりで酒が入るとよく千夏の家について口にしていた。

中には聞くに堪えない下品なものもあった。

オバサン連中だって集まって影口を言っているのが、俺の耳にさえ入った事がある。


「関先生も母子家庭で、ずっと辛い思いをして来たんだって。その気持ちを理解できるのは、アタシだけなんだって」


「……俺は、千夏の味方じゃなかったのか?」


「陽人がずっとアタシの味方をしてくれていた事は分かっている。でも、陽人にはアタシの気持ちは分からない。陽人には立派なお父さんと優しいお母さんがいるでしょ。だけど関先生の気持ちを理解してあげられるのは、アタシしかいないんだよ!」


千夏の言葉一つ一つが、ナイフのように俺の心を切り刻んでいく。

結局、俺と千夏は最初から別々の場所に居たと言う事なのだ。

千夏を自分と一つのように感じていたのは、俺だけだったのだ。


「もういい。分かったよ……」


俺は力無く、そう言った。


「本当に、本当にごめんなさい。陽人……」


千夏が再び頭を下げてそう言った。

今度は顔が見えないほど、深く頭を下げて……

廊下に彼女の涙の雫が落ちる。


「別に謝るような事じゃないよ。千夏は、俺より関が好きだった。ただそれだけの事だろ」


俺は彼女に背を向けると、そのまま歩き出した。



階段を降り、校舎の外に出る。

グラウンドで活動している部活の連中が、やけに霞んで見える。


(泣くもんか。こんな所で泣いてたまるか! 少なくとも学校を出るまでは……)


そう思いながら俺はポケットからスマホを取り出し、文弘の部分の『音声通話』をタップした。


「お、ハルか? 今どこだ? コッチはもう準備できたぞ。あとは一緒に計画を……」


「悪い。その話だけど、もう必要なくなった」


俺は文弘の言葉を断ち切るように、そう言った。


「え、必要なくなったって、それはどういう意味だ?」


「もう全て終わった。終わったんだよ」


俺はそれだけ言うと、スマホの通話を閉じた。



******************************************************

この続きは、明日朝7:40に公開します。

明日は以下の時間に3話公開します。

 7:40、正午過ぎ、夕方5時半過ぎ

明後日1/31のエピローグが最終話になります。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る