第29話 【過去】臨界点(前編)

期末テストが終わり、夏休みまであと一週間となった時だ。

学校からの帰りの電車の中、俺は文弘と二人だった。


「なあ、今年の夏祭りだけどさ、また四人で一緒に行かないか?」


文弘が明るい調子でそう言ってきた。


「四人で?」


それを聞いた俺は、浮かない表情で聞き返す。


「そうだよ。俺と真理恵が付き合ってちょうど一年目の記念日になるんだ。それでさ、真理恵が『今年もまた四人で夏祭りに行きたい』って言っているんだよ」


文弘が言う通り一年前の夏祭りの夜。

俺と千夏は『文弘の恋を成就させるため』に四人で夏祭りに行き、そこで文弘が真理恵に告白できるように計画を立てたのだ。


「そうか、あれからもう一年になるのか」


「去年は俺が真理恵に告白できるように、ハルと千夏がセッティングしてくれたじゃん。でもその代わりに四人で花火は見られなかったよな。真理恵は『今年こそ、四人一緒に花火を見たい』って言っているんだよ」


楽しそうにそう言う文弘に対し、俺の方は暗くなる一方だ。

あの春休み以来、千夏は俺を避けているように思える。

もちろん駅や電車で会えばそれなりに話はするし、田舎の駅なので本数も少ないため一緒になる事は多い。


だが千夏は出来るだけ俺と会わないようにしていると感じられた。

そして俺の方も避けられている雰囲気の中で、千夏に自分から声をかける勇気はなかった。


「俺は別にいいけど……千夏はどう言うかな?」


俺と千夏の変化に気づいていないらしい文弘は、呑気にこう言った。


「千夏は別にダメとは言わないだろ」


そう言った後で文弘はしばし考える。


「そう言えば最近、ハルと千夏ってあんまり一緒にいないよな?」


俺は黙って床を見つめていた。


「どうかしたのか?」


文弘が俺を覗き込むようにして聞いて来る。


「どうかしたって訳じゃないんだが……」


「ケンカでもしたのか?」


「ケンカにはなっていない。ただ……三年になってから、千夏とはほとんど一緒に帰る事はしてないよ」


文弘が驚いて身体を浮かせる。


「何があったんだ!」


「千夏は……どうやら関がお気に入りみたいなんだ」


俺としては『好き』という言葉は使いたくなかった。

文弘が意外そうに確認する。


「関って、数学教師のあの関先生の事か?」


俺は黙って頷いた。


「確かに関先生は女子に人気があるみたいだけど……でもあの千夏が? アイツの好みのタイプには思えないけどな」


「俺も意外だったよ。だけど千夏は実際に休みの日なんかには、関のアパートまで食事を持って行ったり、部屋の掃除や洗濯なんかもしているんだ」


今度こそ本当に文弘が飛びあがった。


「それ、マジか? ハルの想像とかじゃなくて?!」


「本当だよ。俺は実際に千夏が帰って来た所で、直接聞いた」


「千夏ってそんな尽くすタイプの女だったのか? 信じられねぇ~」


文弘はそう言った後で、すぐに口調を変えた。


「って言うか、ソレってかなりマズイ事なんじゃねーの? 若い男性教師の一人暮らしの部屋に、女生徒が一人で行くなんて」


「俺もそう言ったさ。だけど千夏は『文句を言われるような変な事はしてない』って言ってさ。俺の注意なんて聞く耳持たないんだよ」


「でもそうは言ってもなぁ。実際には何もなくても、世間はそう見ないかもしれないぞ。そんな噂が広まったら、関先生だった講師は辞めなくちゃならないだろうし、下手をしたら千夏だって退学になるんじゃないか?」


「退学だって! まさか!」


俺の声が高くなる。


「だってそうだろ。生徒同士の不純異性交友だって退学の理由になるんだぞ。ましてやそれが教師と生徒だなんて……」


(千夏が退学になる……)


その事は俺の心に衝撃を与えた。

関自身は教師という立場に、それほど執着はないのかもしれない。

元々が臨時講師の立場で、本来は大学院での研究が本人の仕事だろう。

今年は研究室での助手の職が見つからなかったから、仕方なく臨時講師としてウチの学校に来ているだけだ。


一方、千夏の方は高校を退学なんて事になったら……。


(関とこれ以上関わるのは、絶対に辞めさせないと……)


俺がそう考えていると、文弘が再び話しだした。


「俺、真理恵に聞いてみるよ、千夏の事」


「真理恵に?」


「そうだ。真理恵なら何か知っているかもしれない。千夏と仲がいいからな」


俺は救いを求めるように文弘を見た。

文弘も俺の方を見る。


「真理恵に千夏と関先生の事を確認して貰って、事実なら何とか千夏を止めよう」


「頼む、文弘……」


俺は何にもできない自分に歯痒さを感じたが、ここは文弘と真理恵に託すしかなかった。


「こんな噂が広まったら、集落での千夏の評判がさらに悪くなっちまう。その上で高校を退学なんてなったら、アイツの人生はメチャクチャだろう。俺だって千夏とは長い付き合いだ。アイツが悪く言われるのは嫌だからな」


「……ありがとう」


胸が一杯になった俺は、そう言うのがやっとだった。



その二日後の夜。

文弘からの電話があった。


「真理恵に聞いたよ」


それが彼の第一声だった。

そしてその声は暗かった。


「どう言っていた?」


「状況は思っていた以上に悪いみたいだ……」


不安が胸を横切る。


「何て言っていたんだ」


「真理恵も、千夏と関の事を知っていたよ。いや、千夏が関の家に通い妻みたいな事をしているまでは知らなかったけどな」


「真理恵も知らなかったのか……」


千夏にとって真理恵が女子の中で一番の親友のはずだ。

その真理恵にさえ隠しているとは、本人も後ろめたいとは感じているのだろう。


「問題はそこじゃあない。どうやらクラスの女子たちが、千夏と関の仲を勘ぐり始めているらしいんだ。『あの二人は何か怪しい』ってな」


「千夏と真理恵のクラスでそんな噂が?」


「千夏って男女の区別なく対等に接しているんだけど、関に対してだけは態度が違うんだってさ」


それはそうかもしれない、と俺は思った。

誰だって好きな相手には、どうしても隠し切れない想いが出てしまうものだ。


「女子たちはいつぐらいから、気づき始めているんだ?」


「一部の女子では去年の年末くらいかららしい。関の家ってT町で俺たちの路線の途中だろ?」


「ああ」


「関は他の教師と一緒で自動車で通っている。それで千夏が委員で遅くなった時、関に何度か車で送って貰っているそうなんだ。それをある女子が見ていたみたいで……」


俺は改めて驚いた。


「そんな事が?」


「そうだよ。まったく、関の奴も何を考えているんだろうな? 自分の学校の、しかも受け持ちの女生徒にそんな事をするなんて……」


「……関にとって高校の教師は臨時のバイトでしかないからな。本職は大学での研究者だろ?」


「それにしたって、あんまりだろ。まだ噂の域を出ていないみたいだが……表で話題になった時には手遅れだからな」


俺はもう何も言う事が出来なかった。

文弘の言う事があまりに衝撃的だったのと、俺が思っていた以上に事態は以前から進行していた事に、どうしたらいいのか分からなくなっていたのだ。


そんな俺に、文弘は言った。


「ハル、オマエ、千夏に告白しろよ」


あまりに唐突な文弘のその言葉に、俺は一瞬、何かの聞き間違えかと思った。


「……どういう意味だ」


「言葉通りの意味だよ。ハルが正式に『ずっと前から千夏の事が好きだった。付き合ってくれ』って言うんだよ」


「いや、そういう事を聞いているんじゃなくって……なんで今、この状況で俺が千夏に告白する事になるんだ? どう考えたって無理ゲーだろう。フラれるだけじゃねぇか」


「フラれるとかフラれないとか、そんな問題じゃないだろ? 千夏が退学になるかもしれないんだぞ! そこまで行かなくても、これが公けになれば、学校には居づらいだろうが!」


確かに、文弘の言う通りだ。

関と千夏が関係を持ったとしても、新聞沙汰にでもならない限り退学はないだろう。

だが二人の関係が知られれば、学校に居づらくなるのは確かだ。

それが原因で自主退学って事もあるかもしれない……。


「ハルの、小学校時代からの想いをぶつければ、千夏だってきっと心が動くはずだ」


文弘の言葉が、俺の足りない勇気を後押しする。


「分かった。俺は千夏に告白してみるよ」


「そうしろ。って言うか、むしろ決心するのが遅すぎるくらいなんだよ。小五の時からずっと好きだったんだろ」


「……」


「そんなだから、関なんて陰キャに横からかっさらわれちまうんだよ。男ならもっとガツーンと行かなきゃ」


「オマエの言う通りかもしれないな。俺が臆病すぎた」


「そうだよ、頑張れ! 俺たちも応援するからさ」


「ありがとう」


「礼はなんていいよ。それより告白を成功させてくれ。そうすれば俺たちも一年前の借りが返せるって訳だからな」


文弘のその言葉が、俺の胸に温かくも力強く響いた。



その後、真理恵から千夏に「去年のように四人で一緒にお祭りに行こう」と誘ってくれた。


「去年は約束したのに、四人で花火が見られなかったから、今年こそ一緒に見たい」


そう真理恵に言われては千夏も断れなかったようだ。

こうして俺たち四人は、一緒に夏祭りに行く約束をした。



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この続きは明日正午過ぎに公開予定です。

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