第26話 【現在】その変わらない家で(前編)

俺はその日、昼少し前に家を出た。

少し離れた知り合いのお婆さんの家に行くためだ。


昨夜、俺は母親に「家の片づけと掃除はだいたい終わった。後は明後日に、工務店が修繕箇所を見に来るだけだ」と言う連絡をしたのだ。

その時に母親から「時間があるなら丸山のお婆さんの様子を見て来て欲しい」と頼まれたのだ。


丸山のお婆さんとは、母がコッチにいる時に懇意にしていたお婆さんだ。

母に野菜の育て方や、この土地で栽培しやすい野菜などを教えてくれた人だ。

丸山のお婆さんは独り暮らしをしており、きっと寂しかったんだと思う。

ウチとはまるで親戚のように付き合っていた。


俺も子供の頃にはよく遊びに行っていたものだ。

そしてそこには千夏も一緒にいた。

丸山のお婆さんの家は、俺の家と千夏の家のちょうど中間より少し外れた場所にあるためだ。

お婆さんはいつも、俺たち二人を孫のように迎えてくれた。


イネが青々と茂る田んぼの中の道を、テクテクと歩いて行く。

やがてかなり立派な門(長屋門というらしい)が見えて来た。

中に入ると広々として庭に、これも大きくて立派な農家屋敷があった。

ただ手入れがされていないのか、さっきの門も屋敷もかなり痛んでいる。


「昔のままだな」


俺はそんな独り言を呟きながら、玄関のブザーを押した。

ここはまだインターフォンになってなくブザーだ。

しかし中から返事は無かった。


「丸山のお婆さん、いませんか?」


俺は大きな声で呼んでみた。

しかし反応はない。

俺は玄関の横にある居間がある座敷を覗いてみた。

そこにも誰もいない。


「なんや、誰かいな?」


後ろからそう声がかかる。

振り返ると丸山のお婆さんだ。

かなり腰が曲がっている。

年齢ももう八十代後半のはずだ。


「こんにちは。神崎です。覚えていますか?」


お婆さんは目を丸くして、腰を伸ばすようにした。


「あれ、アンタ、神崎さんとこの陽人くんかいな。よう来たな?」


「お久しぶりです。文弘の結婚式に出るため、五日前にコッチに来たんです。あ、これお土産です。どうぞ食べて下さい」


俺はそう言って、東京駅で買ったお土産を差し出した。

こういう場合に備えて、予め多めに買っておいたのだ。


「おおきにな。せっかく来たんや。上がってお茶でも飲んでき。ささ、早う、上がんな」


丸山のお婆さんはそう言って縁側から直接座敷に上がると、俺を手招きした。


「すみません。お邪魔します」


俺も縁側から直接居間に上がる。

昔も同じように、玄関を通らずに直接座敷に上がり込んでいた。


「なんもあらへんけど、これでも食べてってな」


お婆さんはそう言って、麦茶とスイカを出してくれた。


「ありがとうございます。いただきます」


出されたスイカを一切れ取る。

スイカなんて久しぶりだ。


「おおきゅうなったなぁ。アンタ、いくつや?」


「28です」


「結婚はしとるんか?」


「いえ、まだです」


「なんや、28にもなって。はよう身を固めんといかんやないか」


お婆さんが口を開けて笑う。

俺も愛想笑いを返した。


「母に言われたんですけど、お婆さんは変わった事はありませんか?」


「別に変わった事なんてないわさ。もうこの歳やで、毎日同じ事を繰り返しているだけやでな」


「そうですか? じゃあ他に困っている事とかは?」


「困っていること? そやなぁ」


お婆さんが考えるような顔をする。


「僕は今日は少し時間が空いているんです。もし何か僕で出来る事があったらお手伝いしますけど」


「ほうか。そやったら裏山の木ぃを片付けてもらおかな?」


「裏山の木? それはどうしたんですか?」


「もう裏山も誰も手入れせんもんでな。木ぃもダメになってしもたんよ。それが倒れてきたんやけど、この腰やでよう片づけられんのや。それを片してもらえんやろか?」


「分かりました」


久しぶりに食べるスイカは、水気たっぷりで甘味が強くて美味い。

子供の頃の夏を思い出させる。

スイカを一つ目のスイカを食べ終わり、二つ目を手にした時だ。


「お婆ちゃん、今日の買い物、持って来たよ。どこに置けばいい?」


そう言いながら縁側に姿を現したのは……千夏だった。


「……千夏」


俺に気づいた千夏も目を丸くした。


「え、陽人……どうしてここに?」


お婆さんがニコニコしながら千夏に言った。


「いっつもすまんなぁ。千夏ちゃんもホラ、上がって、上がって」


千夏はどこかバツが悪いような顔をして、俺を横目で見ながら買い物袋を持ったまま家に上がった。


「とりあえず冷蔵庫に入れる物だけ仕舞っちゃうね」


そう言って千夏は、奥にある台所に入って行く。

しばらくして出て来た千夏は「じゃあアタシはこれで帰るから」と言ったが、それはお婆さんが引き留めた。


「なんや、もう帰るんか? いつもゆっくりしてくやないか。急ぐ事はないやろ」


「でも、お客さんでしょ?」


「お客さんやゆうても、陽人くんは千夏ちゃんの友達やろ。小さい頃はよく一緒にこのウチに来とったやないか。遠慮せんとスイカを食べていきや」


「ん……それじゃ、少しだけ……」


千夏はどことなく居心地が悪そうな感じで、俺とは斜め向かいの場所に座った。


「いま麦茶を入れるでな」


お婆さんが立ち上がると、千夏はさっきと同じ質問を繰り返した。


「陽人はどうして、今日ここに来たの?」


俺はそれに返答していなかった事を思い出す。


「俺は母親に、丸山のお婆さんの様子を見て来てくれって言われたんだ。それで何かお手伝いできる事はないかって……」


「そうだったんだ」


「千夏はよくこの家に来るのか?」


「ん……まあね。アタシはお世話になっていた事もあるし、この集落では一番付き合いがあるのは丸山のお婆ちゃんだしね」


「いつも良くしてもろうてんのよ、千夏ちゃんには」


お婆さんが千夏の分の麦茶を持って来ながら、そう言った。


「そうだ。千夏ちゃん、アンタも裏の木ぃの片づけ、手伝どうてんか?」


「裏の木って、台風とかで倒れていたあの木の事?」


「そうや。ワタシではよう動かせんでな。いま陽人くんに頼んだ所なんや。そやけど一人では中々しんどいやろ。千夏ちゃんも一緒に手伝うてくれると早う片付くと思うんやわ」


「……うん、わかったよ」


千夏はグラスを口に運びながら、俺の様子を伺うようにしてそう答えた。



俺と千夏は麦茶を飲み終わると屋敷の裏に回った。

丸山のお婆さんの言う通り、三本ほどの木が倒れて裏庭に転がっている。


「これをどかすのか。確かに大変だな。年寄りには無理だ」


「アタシも一人じゃ無理だったから。陽人と二人なら何とかなるかな?」


「それでも中々厳しいだろ。まずはノコギリに三等分くらいに切った方がいいな。切った木はどこに捨てるって?」


「納屋の横の穴に置いておけばいいって。なんでもたまに薪を扱う業者が来るみたい」


「じゃあ切りさえすればオッケーだな。ノコギリはどこにある?」


「納屋にあると思うよ。アタシも手伝うよ」


俺たちは納屋からノコギリを取り出し、倒木を運び出せる長さに切断した。

太い倒木なら無理だが、直径が20センチ程度の倒木なので何とかなる。


全ての倒木を切り終えた時、千夏がどこかを見上げていた。

その視線の先を追うと、裏庭の一部小高くなっている場所(築山と言うらしい)の上に立っている一本の栗の木があった。


「どうしたんだ?」


俺がそう尋ねると千夏は栗の木を指さした。


「アタシたちが小五の時、あそこにタイムカプセルを埋めたんだけど、陽人は覚えている?」


俺もその木を眺めた。


「ああ……覚えているよ」


「まだ埋まっているかな?」


「誰も掘り出してなければ、まだ埋まってるだろ」


千夏が俺を見た。


「ねえ、掘り出してみない?」



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この続きは明日正午過ぎに公開予定です。

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