第2話 鏡の国
葬儀の後も、喪が明けても、吐き気は一向に収まらなかった。忘れたくても忘れられないことの方がずっと多かった。
翔ちゃんの存在はわたしに重くのしかかり、わたしを酷く苦しめた。
見る夢は翔ちゃんのものばかり、寝たのかどうかわからないフラフラした頭でコップに入れた冷水を飲む。
医師は一時的なストレスだろうと、軽い安定剤をわたしに処方した。一気に小さな白い錠剤を飲み下す。
冷蔵庫を背に、ずるずると床に座り込む⋯⋯。
翔ちゃんは死んだ。もうこの世にいないんだ。
と、猛烈な吐き気が襲ってきて薬と水と胃液がトイレに流される。
仕事は取れる限りの休暇をもらった。
でも、いつまでこんな状態で?
わたしは悪い夢から早く逃れたい一心だった。
「みかげ、お前、酷い顔色だぞ。とりあえず何か飲め」
電話をすると、大学院にまだ残っている正臣はすぐにうちに来てくれた。ひとり暮らしの身には何かと堪えることが多かった。抱え続けるのは難しい。
「いろいろ買ってきてみた。バナナ、スムージー、プリン、アイス、飲むゼリーだろ、それから」
「買いすぎじゃない?」
くつくつと笑いがこぼれる。正臣はわたしを急に抱きしめた。
「やっと笑った! 心配させやがって」
「しなきゃいいのに」
「するよ。俺はお前の心配をする。これからもずっとだ」
自分でも、細い枝のようになったと思ったその指に、正臣は指輪をはめた。指輪は光を乱反射してまるで鏡の国に行ったような気分にさせる。
「もっと、ずっと後のつもりだったから、安物でごめん。これが抜けなくなるまで太らなくちゃ」
もう枯れたんじゃないかと思っていた涙が滔々と流れ、正臣の首に腕を絡めた。
怖くなかった。
「幸せになることは悪いことじゃないんだ」
そうだろう、とその大きな手はわたしの頭を撫でた。優しく、労わるように。
その時、心に冷たいものが走った。
「吐くか? 落ち着け、気持ちの問題だよ、きっと。深呼吸して」
背中をさすられる。
そうじゃない、そうじゃないかもしれないという思いが頭からずっと離れない。薬を飲んでも、深呼吸しても何も良くならない。
「正臣、わたし⋯⋯」
正臣は最初はきょとんと、次第に思い詰めた瞳でわたしを強く見つめた。
「本当に?」
「⋯⋯。ごめんなさい」
「謝ることじゃない。みかげのせいじゃないんだ」
わたしはこの時、妊娠していた。
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