海に沈む

月波結

第1話 嗚咽

 翔ちゃんが死んだのは、月の明るいこんな夜だった。

 わたしは正臣まさおみと一緒にご飯を食べていて、着けたままだったエプロンのポケットから垢抜けない着信音が流れた時、なんの予感も感じなかった。

「はい」と答えると母が「みかげ! 翔ちゃん、見つかったわよ」と小声で言った。

「どこで?」

「それがね⋯⋯」

 うん、うん、と話を聞きながらわたしは涙を流していた。正臣がそっとティッシュの箱を渡してくれる。

「うん、うん、そうなんだ、わかった。⋯⋯辛いのは叔母さんだもんね、お悔やみを伝えておいて。うん、連絡待ってる」

 なにも言わずに正臣はわたしにそっと寄り添って、抱き寄せた。わたしから、信じられない泣き声がこぼれ落ち、ギュッと抱きしめられる。きっとひどく取り乱した姿に違いない。

 ⋯⋯翔ちゃんが、死んだ。


 ◇


 翔ちゃんとわたしは一つ違いの従兄妹同士で、よく一緒に遊ばされた。わたしとよく似た黒い瞳と黒い髪。大人しい男の子で、おままごとをしても、クローバーの冠を被せても文句一つ言わなかった。わたしのすることに、年上なのに怒ったりしなかった。

 ただいつも、少し曇った顔をしていた。子供ながらにそれが気がかりだった。


 数年後、翔ちゃんが翔ちゃんの義父に虐待されていたことがわかると、両親は翔ちゃんをうちに招いた。翔ちゃんのお母さんは警察に連れて行かれ、情状酌量の余地があるとして無罪になった。

 ただ、もう翔ちゃんを育てる自信がないと、そう言ったらしい。

「本当のお兄ちゃんだと思っていい?」と言うと、翔ちゃんはわたしの手をそっと握った。わたしはまだ小学校低学年だったけど、そんな翔ちゃんに母性を感じてそっと頭を撫でた。

 それからは翔ちゃんはわたしの兄になった。


 お通夜まで、線香の火を絶やさないように少ない親族で集まった。

 叔母も母も泣き続け、父も憔悴しきった顔をしていた。

 翔ちゃんの遺体は漁船の網に引っかかって発見された。「とても見られたものじゃない」と身元確認した父は言い、母は「心の中の綺麗な翔ちゃんだけ、覚えておけばいいのよ」と言った。

 わたしは正臣の腕の中で、嗅いだはずのない、腐敗したその肉の塊の匂いを感じていた。

 もう先に焼いてしまった翔ちゃんの、その最後の匂いが鼻に残った。

「大丈夫、気分が悪いんじゃないの?」

「⋯⋯大丈夫」

 言ったそばから胸に込み上げるものがあり、わたしはトイレに駆け込んだ。出るものは全部吐き出したのに、なにかが胸につかえて、嗚咽となった。



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