第36話
遂に一次審査の収録の日。キャパシティが千人規模のライブハウスのステージ裏で出番の待機中、準備を整えた5人が俺の方へ寄ってきた。
「黒子さん、準備をしましょう」
茉美がそう言って壁にもたれかかる。
「準備……壁ドンするのか?」
「はい。お願いします」
「みっ、皆の前でやるのかよ……」
茉美以外の四人がジッと俺の方を見てくる。
「いいのいいの。私達は壁ドンを見て羨ま――気持ちを作るから!」
響がそう言う。まぁ一石二鳥か。
「じゃあ……よっと」
二回目ともなると慣れたもので茉美に壁ドンをする。
「ひゃっ……おっ……が、頑張ります!」
冷気を感じて振り向くと四人が恨めしそうに俺達の方を見ていた。
「きっ……気持ちの方は完璧みたいだな……」
俺が苦笑いをしていると、スタッフが出番を告げに来る。
命拾いをしたと思いながら、俺は逃げるように一人でステージ横に向かった。
◆
エトワールと毎晩がマスカレイドの勝負の時。
先にパフォーマンスを披露するのは毎晩がマスカレイド。まずは本家のパフォーマンスを見せつけたい、という意図なんだろう。
ベネチアンマスクをつけた10人が位置につき、音楽が鳴り始めると同時に動き始める。
可愛らしい曲調に合った可愛らしい振り付け。音ハメも完璧でレベルの高さが伺える。
並のメンツだったらこの後に披露したら単に劣化版を披露しただけに終わるんだろう、とも思う。
それなりに盛り上がっている客席を見ても一切の不安を感じないのは良いことなんだろう。
年季の入ったパフォーマンスを見届けたら次はエトワールの出番。
全力でやり遂げ、大きく息を吸っている毎晩がマスカレイドのメンバーと入れ替わりに5人がステージに立つ。
その姿を見て客席がざわついた。
四人のメイドと一人の執事、五人全員が毎晩がマスカレイドと同じようなベネチアンマスクを着けていたからだ。
地下アイドルによる劣化コピーが始まると思っている観客席がざわつき始める。それに一切動じない5人は位置につく。
音楽が始まると同時に五人の口角がニヤリと笑ったように見えた。
すぐにベネチアンマスクを取り、ステージ脇に投げ捨てる。全員の腕の角度や振り方一つまでがピッシリと揃っていて、その動作一つで全員の練度が桁違いであることを観客に知らしめた。
マスクの下は全員がヤンデレのような正気のない表情。ただやる気がないだけの顔とは違う、絶妙な温度感を全員がまとっている。
あまりの迫力にポカンとしていた客席が徐々に熱を帯びていく。
オリジナルとはまるで違う世界観に振り付け。歌もアレンジをしまくっていてサビなんて別の曲だ。
それでも、これがこの5人の解釈だとばかりに全力で観客に世界を押し付ける。
「いいぞ……いけ!」
ついアツくなってしまいステージ袖から五人に声を掛ける。だが、今は5人の世界に入ることは出来ない。
最後まで気を抜かない5人は完璧なパフォーマンスを見せてやりきった。
観客と同じ立場でパフォーマンスを終えた5人に惜しみない拍手を送る。
5人は観客に手を振りながらステージ袖に戻ってきた。
「良かったぞ!」
やり過ぎなくらいの笑顔を作り、戻ってきた順番に虎子、卯月、響、世莉架、茉美の5人の頭をグシャグシャに撫で回す。
「今まで無いくらいニヤニヤしてんな……」
虎子が呆れた顔でそう言って髪の毛を戻す。
「あ……もうすぐにお客さんの評価結果の発表だってさ」
スタッフに声を掛けられた卯月が四人を呼んでまたステージへと戻っていく。
オーディションが脱落かどうかは視聴者によるオンライン投票によって決まるが、今日は現地でパフォーマンスを見た観客1000人による投票で勝ち負けが決まる。勝った方にはボーナス票がつく仕組みらしい。
「さぁ! 投票結果が出たようです!」
司会の人の合図で画面に投票結果が映し出される。
「結果は……918対82! エトワールの勝利です!」
とんでもない差で圧勝。5人は控えめに喜びながらお互いにハイタッチをしている。
喜びに浸る暇もなく一次審査は次のグループへと移る。
エトワールと毎晩がマスカレイドのメンバーが同時にステージ袖に戻ってきた。
毎晩がマスカレイドのメンバーの一人が仮面を外し、しゃがみ込む。チラッと見えた素顔は俺と同じか少し上くらいの雰囲気の大人の女性。
やはり噂はほんとうだったのだろうか、と灰色が黒味を帯びていく。
そんな姿を見ていると、仮面をつけた別のメンバーが俺達の方にヅカヅカとやってきた。
「アンタら! アタシ達の歌をあんなにして楽しいわけ!? いくらなんでもやっていいことと悪い事が――」
「あれは『デコルテキッス』の曲ですよね? 『毎晩がマスカレイド』の曲ではないと思いますが……」
俺は5人を守るように前に出て言い返す。さすがにこれ以上醜態を晒すのはまずいと思ったのか、小場がやってきた。
「皆、お疲れさま。まだ一次審査の最終結果は出てない。切り替えましょ。黒子くん、それじゃ」
小場がメンバー達をなだめて楽屋の方へと連れて行く。
「10年間の努力を打ち砕く……まぁ、そういうもんだよな」
彼女たちも必死に練習して今日に臨んでいたはず。手を抜いたり、慢心していたなんて微塵も思わないパフォーマンスだった。
だからこそそれ故にやりきれなさを感じてしまう。30代を超えて、素顔を隠して、再起を図っていた彼女達の努力を無惨にも打ち砕いてしまったのだから。
だが勝負は勝負。皆がお手々を繋いでゴールなんてありえない世界。
俺は五人の方を向いて笑顔を作る。
「皆、よく頑張ったな。今日は焼き肉でも行くか?」
俺の提案に全員が無邪気な笑顔で「うん!」と頷いたのだった。
◆
『マスカレイドさん、持ち曲でボロ負けするwwwww』
『え? やっぱり毎晩がマスカレイドって中の人デコルテキッスなの?』
『そんなの常識だろ』
『え? じゃあメンバーって皆アラサー? BBAじゃん』
『BBAかわいいよBBA』
『自分達だけ持ち曲やったってこと? ズルくね?』
『それで勝ってたら燃えてたかもなぁ』
『相手ってあの地雷系みたいなメイドでしょ? すごくない?』
『普通に優勝候補まである。マスカレイドもアヤもオワコンだよ』
『エトワール箱推しになります!』
一次審査のライブが全て終了。黒子のメモのお陰で辛くも勝利を収めたアヤは楽屋でネットの掲示板を見ていた。
今日のライブの結果は後日放送されるためネタバレは厳禁という建前だが結果発表まで観客の前でやるのだから結果が漏れるのは必然。
「口コミで話題を広げていく作戦なんだろうけど……ダメだなぁ……」
自分に言及されることはほとんどなく、ネットの話題は『毎晩がマスカレイド』が前身グループの曲で戦って無惨に負けた事を叩く人と、エトワールを持ち上げる人ばかり。
「はぁ……」
自分は無名の地下アイドルと戦い、550対450の僅差で勝利。次にネットで裁かれるのは自分だというネガティブな感情に押し潰されそうになりながら楽屋で休憩を続ける。
「アヤ、ギリギリでしたね」
「ありゃダメだな。圧倒的じゃないと。大して可愛くもなけりゃ歌もダンスも下手な地下アイドルと競ってるようじゃな」
「収録の編集、誰推します?」
「そりゃエトワールだろ。優勝させて売るぞ」
「ですよね〜」
廊下からプロデューサーのデカい声が聞こえる。
「分かってるわよ……っ!」
二次審査で爪痕を残せなければ本当に終わり。アヤは自分の身に迫っている最後の時へのカウントダウンを着実に感じつつあった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます