第34話
本番まで一週間。パフォーマンスの練度は完璧。だが、唯一気になるのが茉美だった。顔が死んでいる、というか無感情な表情でずっと踊っているのだ。他の人との差が大きいので悪目立ちしてしまっている。
「茉美、体調悪いのか?」
「いえ。いつも通りですが……何かありましたか?」
「あぁ……いや、いつにもまして無表情だからさ」
「なんと……!? 私としては精一杯感情を込めていたつもりでしたが……」
茉美はここでやっと目を見開いて驚いた表情を見せる。
「今はいい感じだけどな……」
「意識しすぎると顔が固くなるのかもしれません」
「茉美ちゃん、リラックスだよぉ!」
茉美がそう言うと背後から卯月が茉美に抱きつき、両頬を指で押し上げた。柔らかそうな頬がプニッと形を変える。
「う、卯月さん! やめてください! 私の頬がデラックスプニプニだとバレてしまうではないですか!」
「デラックス〜」
卯月と遊び始めてしまったが、早めにどうにかしたいところ。練習後に個別に話してみるか、と考えながら練習を再開した。
◆
練習後、俺から話しかけるよりも先に茉美から俺の方へとやってきた。
「黒子さん、先程の件を少し相談しても?」
「あぁ、いいぞ」
「えぇ、では。アポロ11号の月面着陸が嘘だった、という陰謀論の是非についてですが――」
「いつ誰とそんな話をした!?」
俺が食い気味に突っ込むと茉美はニヤリと笑う。
「場が和みましたね。では本題です」
「アイスブレイクに陰謀論を使うやつはいないぞ……」
「私、出せないんです。感情を」
茉美は俺のツッコミをスルーしてそう言うと小さく「倒置法」と呟く。小ボケが多いのは本人なりの照れ隠しなんだろう。
「出せない……先週くらいまでは良さ気だったんだけどな」
「そのくらいまでは感情を作ることに違和感がなかったんです。踊りに必死だったので。ですが慣れて余裕が出てくると今度は表情管理、つまり感情をどこに置くか、ということを意識し始めた結果、自分を客観視している自分を客観視している自分を客観視している自分を客観視している自分を客観視している自分を客観視している自分がいるんです」
「客観視のマトリョーシカみたいになってるぞ」
「失礼しました。まぁ、そういう状況でして、考えすぎてしまい顔が動かなくなってしまったのかと」
さすが茉美。相談を持ってくる時点で自己分析はほぼ出来ている。
「まぁ……本当にヤンデレになれって話じゃないしな。あくまでそれっぽく見せるだけ。そのための気持ちの入れ方は人によるからな。その手段の一つが感情を入れてなりきる、だからな」
「難しいですね。感情は生殖器と同じと教わってきました」
「何だよその例え……」
「人前で無闇にさらけ出すことは恥ずかしい、基本的には見せずに隠している、ごくごく親しい人にのみすべてを曝け出す、優しく触れられると気持ち良い。さて、私はどちらの話を――」
「感情だよな!?」
「うっ……感情が……ボロン」
「汚い擬音! けどまぁ……出せないってだけで思ってはいるならまだ良いんじゃないか? 要は内側は100なのに表には30しか出てないってことだろ?」
茉美は無表情なままコクリと頷く。
「とりあえず喜怒哀楽でやってみるか? 好きなお笑い番組でも見て笑ってみれば良いんじゃないか。俺の横で笑ってみろよ」
「最後の台詞、プロポーズみたいですね」
「茶化すなよ!?」
「しかし……それは即ち私の
「かっ、感情の方だよな?」
「えぇ、感情、つまり心の方ですよ。形はアワビに似ていますが」
「ややこしい形状してんな!」
心の話だよな!?
「ちなみに、毛は生えていません」
「皆そうだろ!?」
心だしな!?
「心臓に毛が生えている、というではないですか。私のハートはパイパンなんです。パイパンハートです」
度胸の座り方としては剛毛な方だと思うが。
「ふ、ふたり共、何の話をしてるの?」
店の隅っこで漫才のような会話を繰り広げていた俺達に、ドン引きした表情で帰り支度を済ませた卯月が混ざってきた。
「黒子さんがどうしても見たいそうなんです。私の秘部を」
「へっ!? ひ、ひっ……えっ!?」
卯月が顔を真っ赤にして俺と茉美を交互に見る。
「ち、違うぞ!? そうじゃなくて! 中身の話だって!」
「な、中身!? くっ、黒子さん……そういうのは……うぅ……はっ、恥ずかしいけどぉ……私にお願いしてくれたらいいのに……」
目線を逸らしながら卯月がとんでもないことを言い始める。
「勘違いしてるぞ!? 単に茉美が感情を表に出すのが苦手って話だよ」
「あっ……な、なんだぁ……良かったぁ……」
卯月は顔の赤みが引き切る前に満面の笑みを見せた。
そんな卯月を見ていた茉美は「いいなぁ」とボソッと呟いた。
「どうしたんだ?」
「卯月さんが羨ましいです。なんでも素直に表現できて。私にはとても……」
「あはは……照れちゃうなぁ……あ! 電車! 遅れちゃう! それじゃ二人共! お疲れ様!」
卯月は笑ったり驚いたりしてバタバタと駆け足で店から出ていく。
「黒子さん」
卯月の後姿を目で追っていた茉美が声をかけてくる。
「なんだ?」
「この後、少し練習に付き合ってくれませんか?」
何をさせられるのか分からないが、何を考えているのか分からない茉美の卯月を追う視線を見ていると「いいぞ」とつい答えてしまうのだった。
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