第33話
「店、戻るか?」
俺が尋ねると響は「ま、10分くらいならいいよ」と言って長い脚をだらーんと伸ばして壁にもたれかかった。
「皆、交代で休憩は取ってたんだけどさ、私はこれが最初の休憩だから」
「マジかよ……」
「ま、お姉さんだし率先して動かないとねえ?」
響は疲れを感じさせないハリのある顔でにっと笑う。
「俺って厳しすぎるのかな……店もそうだし、普段の練習だって……」
「急にどうしたの!?」
「アヤに言われたんだよ。『褒められたことがない』ってさ。だから証拠も捏造してクビになるように仕向けたんだってさ」
響は「あー……」と心当たりがあるように頷く。
「やっぱり俺って褒めること、少ないのかな?」
「まぁ……そんなに気にしたことは無かったけどぉ……言われてみたら言葉にしてないことは多いかもね」
更に響は追撃をするように「そういえばさぁ」と言う。
「前に、私達が踊ってたら黒子が倒れかけた時あったじゃん? お店がオープンする前かな。その時も駆け寄ったら『パフォーマンス中は誰が倒れても踊りを止めるな』って言ってたよね。まぁ考え方はすっごい正論なんだけど、まずはありがとうからだよねぇ」
グサッ。痛いところを突かれた気分だ。
「やっぱそうなのかぁ……はぁ……」
「お、落ち込まないでよ! 言葉にしてないってだけでさ、多分皆分かってるって! ちゃんと労ってくれてる時もあるし!」
響は慌ててフォローをするように俺の背中をバシバシと叩いてくる。
「そりゃあ、普段の練習は容赦ないなって思う時もあるけどさぁ。じゃあ何? お手手をつないで仲良しこよしでぬるま湯でやってるのがいいのかって言われたらそれも違うわけで」
「まぁ……そうかもしれないけど……」
「それにさ、絶対に皆分かってるよ。私達が上手く出来た時に黒子が内心で喜んでるって」
「そうなのか?」
「うん。だってさ、自分達でも手応えがある時とそうじゃない時があって、手応えがある時は黒子笑ってるもん。笑ってるっていうか……ニヤニヤしてる? ニタニタしてる? ニチャニチャしてる?」
「どんどんキモくなっていってるな!?」
「あはは! ま、だからこそ皆、ここまで食らいついているんじゃないかな? 少なくとも、メジャーデビューしてるような人が出てくるオーディション番組に出て、比べられて恥ずかしくないって状態にしてくれてることは事実な訳で。上手く出来たと思った時は黒子のニヤニヤ顔を見て、皆安心してる。だから黒子も安心していいよ。誰も裏切ろうなんて思わないし、辛いなんて思ってないから」
「そうなのかなぁ……」
「それにさぁ、言葉にしてくれないと分からないって言う人が自分の不満を言葉にしてないって一番ズルくない? 言えばいいじゃん」
「まぁ……伝わらないとか思ってたんじゃないか?」
「伝わらないって、そこで諦めたら試合終了だよぉ!」
響はそう言って隣から俺をハグしてくる。
「けど気持ちは分かるなぁ……伝わらないって思っちゃう時、あるもんなぁ……」
響は今日一番に切なそうな声で呟く。
「何かあるのか?」
「うーん……秘密かな」
「何でだよ。言ってくれよ」
「それはぁ……ハッ!」
何かを思いついたように響は俺から離れる。
「今度は何だよ……」
「あっ……アヤってさ……黒子の事好きだったんじゃないの!?」
「飛躍しすぎだろ!?」
「だってさ、ただのビジネスパートナーなら言いたい事を言えばいいわけで。遠慮しちゃう理由が何かあったって事だとしたら、それしかなくない? 私もそうだもん。嫌われたくないから、面倒だと思われたくないからこそ、思っていても言えない事があったんじゃないかなって」
「私もそう……?」
響の仮説は、アヤが俺の事が好きだったから遠慮してしまって本音を言えなかったという事。
その是非は置いておくとして、響は自分もそうだと言った。思っているのに言えない事があって、その理由は……
俺が一つの結論に辿り着きかけた瞬間、響は顔を真っ赤にして「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」と濁った声で叫んだ。
「あっ、えっ、えっ、あっ……し、仕事に戻らなきゃ!」
響は慌てて立ち上がって会議室の扉に手をかける。
そこで響は立ち止まり、背中を向けたまま声をかけてきた。
「黒子」
「なんだ?」
「もし……もしの話ね。何年も先の話。エトワールを解散するってなったらさ、二人で引っ越そうよ」
「どこに?」
「海が目の前にある田舎。黒子、釣りはできる?」
「いや……やったことないな」
「じゃ、練習しといて。そこでね、こじんまりとしたイタリアンのレストランを二人でやりたいなって。魚が美味しいの。魚の調達係は黒子ね」
「楽しそうだな」
「でしょ? 大きなワインセラーも置いて、毎日どのワインにするか悩むんだぁ……それだけ。じゃ、また後で」
響は今度こそ扉を開けて部屋から去っていった。
響の『伝えたいこと』はぼんやりとしか分からなかった。単に田舎で店をやりたいという話じゃないんだろう。けど、明確にされていないことを都合のいいように補完するのも違う気がした。
要するに『伝えたいことがあることを伝えた』というステータスでいいんだろう。今すぐ結論が出る話でもないし。
「……店、戻るか」
考えるのは後にしよう。そんなわけで俺は響から少し遅れて店に戻ったのだった。
◆
店舗の営業後は練習の時間。課題曲をひたすら練習してきたので練度はかなり上がった。
それでも通しでみるとまだまだ気になる場所がある。手元にあるメモを――いや! これが良くないのか。まずは褒めるところからだな。
「みっ……みんな! 頑張ったな! 百点だぞ! すっごーい!」
俺が拍手を始めると全員が口を開けて固まる。
「なっ……なんだよ?」
「黒子さん、頭でも打っちゃった?」
「……緊急事態」
「令和の風潮が遂にここまで来ましたか……」
事情を知っている響以外があんまりなことを言い出した。
「褒めてるんだぞ!? おかしいか!?」
「褒められる程良くなかったよ、今の」
卯月が汗をタオルで拭いながらそう言う。この感覚は俺と全く同じ。本来なら速やかに全員に個別フィードバックを始めていたが、その前にワンクッションを入れてみただけでこの反応。余程俺って褒めないと思われているのか。
「何を言われたのかなんとなく察しましたが、今更変える必要はないかと。私達は今までで上手く回っていました。パフォーマンスの最中、黒子さんが笑っていれば良し、と勝手に判断していますので」
茉美は無表情なままそう言う。
「それ……本当にニヤついてたのか……」
「ニチャニチャしてる、が正確じゃねぇか?」
「ネチャネチャかな?」
「……ドゥフフ」
「ホフホフじゃない?」
「いえ、フォカヌポウかと」
「俺のどこからそんな声が出てんだよ!?」
俺のツッコミに笑いながら卯月が手を挙げる。
「私へのフィードバック頂戴。で、ソロでやってみるから」
「あー……卯月はサビの頭のフレーズをもうちょっとかすれ気味に歌ってみてくれ。後はいい感じだぞ」
「はーい! んっ……――」
卯月は喉をチューニングすると、俺の注文通りに歌う。
「うん、完璧だ」
「はい! ニヤついてた!」
卯月が俺を指差す。
「ま……まじ?」
茉美がこっそり写真を撮っていたようでスマホを見せてきた。椅子に座っている俺は確かにニヤけている。
「本当だ……」
俺がニヤけ癖に気づいていたなかったことに全員が笑う。
「ま……まぁ黒子さんがどうしても褒めたいって言うならぁ……仕方ないなぁ……卯月ちゃんは足りてるけどぉ……頭撫でさせてあげてもいいよ?」
卯月がゆっくりと近づいてきて、俺の前でしゃがむ。小動物のように見上げながら首を傾げて可愛さをアピールしてくる。
「が、頑張ったな……」
これはこれでどうなんだ、と思いながらも変わらないといけないとも思う。
卯月の頭を撫でると、パフォーマンスは終わったのに全員の目つきがヤンデレくさくなったのだった。
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