第32話
サバイバルアイドルオーディションの一次審査本番まで2週間。練習の合間を縫って店舗も限定的にオープン。
ゲリラ的な告知だったにも関わらず、客足は途絶えることを知らない。オーディションの第一話が放送されたことでエトワールの名前が広がっているようだ。
全員で目の回るような忙しさの店舗を回していると、店内の喧騒を切り裂くような虎子の絶叫が聞こえた。
「帰れよ! お前が来るところじゃねぇ!」
どうやら虎子がお客様に粗相をしたようだ。俺は慌ててキッチンを飛び出して虎子の声がした店舗の入口へと向かう。
「虎子! お客様だぞ! きちんと――」
俺は虎子の隣に行って頭を下げかける。だが、虎子が声を荒げた先の人を認識して身体が固まった。
顔が割に小さいため大きいと錯覚しがちなバケットハットにマスクにサングラス。その変装から顔は見えないが、いかにも芸能人というスタイルの良さから放たれるオーラは隠せていない。
「あっ……アヤ……」
「黒子、ちょっと話せる?」
アヤはサングラスをずらして自分であることをアピールしてくる。
「黒子、引っ込んでろ。あたしが追い返す。こんなやつと話すことねぇよな!?」
虎子は血気盛んにアヤに食って掛かる。
「まぁ……そうだな。けど、店の皆が怖がってるから戻れ。全部のテーブルを笑顔で回って挨拶してこいよ」
俺はそう言って虎子の背中を突いて店舗の方へと戻す。
虎子は納得していない様子だが、仕方無さそうに最寄りのテーブルに話しかけに行った。
「あの執事服の子、ダンスが上手よね」
アヤが虎子の背中を睨みつけながらそう言う。
「まぁ……で、話ってなんだ? 聞くかどうかは要件次第だぞ」
「その……謝りに来たの。今更かもしれないけど……あたしには黒子が必要だから……」
付き合いは短くないのでアヤが本当のことを言っているかどうかは分かる。
「上に貸しオフィスがあるんだ。そこで話すか」
アヤは無言で頷く。
俺はアヤを連れて、店舗の上の階にある貸し会議室へと向かった。
◆
「黒子、この前はごめんなさい。戻ってきて欲しいの。社長も反省してて、戻ってきてくれって言ってるよ」
アヤは会議室の扉を閉めると開口一番にそう言った。
「俺が戻る? 何のために?」
「私……黒子がいなくなってからずっとスランプだった。歌は息継ぎも上手く出来ないし、ダンスも軸がヨレヨレ。何もかもうまくいかなくなった」
「俺のせいって言いたいのか?」
「言葉を選ばなければ、そう。私、黒子じゃないとダメみたい。他の人にいくら教えてもらっても全然身にならないから……あのオーディションを勝ち抜くためにも、黒子に戻ってきて欲しい。最初は週に一度だけでもいい! 一次審査のパフォーマンスを完成させるために……お願いします!」
アヤは帽子を取り、頭を下げた。
素直に来られると跳ね返しづらいところ。
それに戻ったところで俺のメリットはなにもない。エトワールという存在をオーディションで最後まで残すことが俺の今の目標。それとも相反する提案だ。
俺が答えないでいると、アヤは不安そうな顔をした。
「なっ……何でもするから! 戻ってきてくれるなら! せっ、セフレになっても良い! 私のことを好きにしてくれて良い! 何でも……何でもするから……このまま惨めに世間に忘れられたくないの……お願いします……」
ついにその場で床に手をつき、土下座すらしようとしてくる。
「そんなこと……求めてないよ」
別にアヤとどうこうなりたいなんて一ミリも思ったことはない。
むしろ俺は本当のことが知りたい。事務所を追い出されたあの日に何があったのか。
「アヤ……じゃあ取引しよう。俺が事務所をクビになった理由はアヤ、お前に対するセクハラやパワハラだったよな? だけどその場で見せられた証拠に心当たりはない。あれは何だったんだ? 教えてくれたら……お前が演る予定の課題曲のコツをまとめたメモを渡すよ。前みたいに。それがいるんだろ?」
アヤはコクコクと何度も頷く。俺はよく息を吸う場所や発声のコツ、伸ばし方のイメージを歌詞に書き込んだメモをアヤに渡していた。それがないとどうやって歌ったら良いのかわからないんだろう。
「なら、教えてくれ」
「あれは……全部あたしの自作自演。AIで作った、捏造した証拠だよ」
「何でそんな事……」
「……ウザかったから。皆、私のことを褒めてくれた。なのに黒子だけはどれだけ上手にパフォーマンスをしても悪かったとこの指摘ばっかりしてくる! 楽屋で遊んでたら練習しろって怒ってくる。別にそういう日があってもいいよ。けど……褒められたかった! 『頑張ったな』って……褒めてくれるだけで良かったのに……」
失望して何も言えなくなる。そんなことのために俺は裏切られて捨てられたのかと。
「……アヤが本音で話していることは分かった。嘘をついていないのも。だから約束は守る。……だけど、事務所には戻らない。これっきりだ。10分待っててくれ」
俺はそう言うとアヤの返事も待たずに、その場でアヤが一次審査で披露する曲の動画をスマートフォンで再生する。
同時に貸しオフィスの中にあるプリンターに無線でデータを飛ばし、歌詞を印刷する。
印刷が終わった歌詞カードにブレスのいれるタイミング、強弱、発音の仕方、踊りを決めるタイミング、流すタイミング、全てを書き込んでいく。
同じ動画を2周して自分の書いたことがズレていないかを確認。
その紙をアヤに手渡した時に丁度10分が経過していた。
「これを持って帰れ。勘違いするなよ。これはあくまで本当のことを教えてくれたことに対する約束だ。事務所に戻るなんて一言も言ってないからな。二度とここに来ないでくれ。分かったか?」
早口でまくしたてる俺を見てアヤは無表情なまま「はい」とだけ答える。
会議室を出るとバン! と勢いよく扉を閉めてアヤが去っていった。
「そうかよ……そうかよ……」
俺は全身から力が抜けて壁に寄りかかって床に座る。
最後のドアの閉め方が全てなんだろう。いくら尽くしても尽くしても搾取されるだけ。そういう人間になってしまったのか、元からそうだったのか。
店に戻らないと皆に迷惑がかかるのに動けない。
両手で顔を覆い、叫びたい衝動を抑えつけながら俯いていると、誰かが会議室に入ってきた。
その誰かは無言で俺を正面から抱きしめてきた。
前に風呂場で嗅いだことのあるシャンプーの香り。
「……響?」
「正解。大変だったね」
「皆の方が大変だろ。早く御主人様達のところに帰れよ」
「私の御主人様は黒子だけだよ」
響の冗談が心に染み渡っていく。
「……ごめん。このクソ忙しい時にキッチンから一人いなくなって大変だよな」
「そう。だから迎えに来たんだ。じゃんけんで勝った人が行こうって皆で話したんだよ」
「罰ゲームなのに勝った人が来るのかよ……」
響は「ネガティブだなぁ」と言って笑いながら俺の頭をぽんぽんと叩いてくれたのだった。
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