第30話

『奴』がやってくる。卯月がインターホンを押して数分後、玄関チャイムが何度も押され、部屋中にベルの音が響いた。


「ひっ……う、卯月だよな?」


 インターホンから消えていく前の様子から虎子がビビりまくって俺の腕にしがみついてくる。


「卯月しかいないだろ……」


 虎子を振り解こうとするのだが、ものすごい力でしがみついてくるので離れる気配がない。


「ま、待ってくれ! 怖いの無理なんだよ……」


「こ、怖くなんか無いだろ? ただ卯月が遊びに来ただけだって。な?」


「黒子も足が震えてんじゃねぇか!」


「仕方ないだろ!? あんな怖い卯月は見たこと無いんだぞ!?」


 虎子と二人でビビっている間も玄関チャイムの連打は止まらない。


「行くしか無いか……虎子、待ってろ」


「あ……う、うん……」


 虎子をベッドに座らせ、俺は意を決してリビングを出る。


 ドアチェーンをつけ、二度三度と取れないことを確認してから鍵を開けてドアノブに手をかけた。


 ドアノブを回しきらないタイミングで、向こう側からいきなりドアを引っ張られる。ガタン! とドアチェーンが突っ張った。


 僅かな隙間から卯月が顔を覗かせる。綺麗な金色の髪を顔の前面に無造作に垂らし、色素の薄い髪の隙間から、これまた色素の薄い顔を覗かせる。


「くーろーこーさーん。何でチェーンなんてつけてるの?」


 声の質がいつもと違う。無音の部屋なのだがホラー映画のような「キィキィ」と甲高い効果音が聞こえるようだ。


「う、卯月。実は体調が優れなくてさ。うつしたら悪いからここで話そう? な?」


「ふぅん……体調悪い人が虎子ちゃんを家に連れ込むんだ?」


「なっ……何で分かるんだよ!?」


「靴、虎子ちゃんのだから」


 卯月がドアの隙間から指を差し込んできた。その先にあるのは虎子のスニーカー。しまった! 片付けていなかった!


「ねぇ……黒子さん、開けてよ。アケテアケテアケテアケテアケテアケテアケテアケテアケテアケテアケテアケテアケテアケテ――」


 壊れた人形のようにブツブツと呟く卯月に恐怖を覚える。ドアの隙間に手を差し込まれているので、怪我をさせるために無理矢理閉める事もできない。


「あ……あ……」


 俺が恐怖のあまり何も言えないでいると、卯月は無言になり、ガタン、とドアを閉めた。


 カツ、カツ、と足音がして遠ざかっていく。


「ふぅ……行ったか?」


 念の為にドアスコープから外を覗いて卯月がいなくなったことを確認。


 外の様子を見るためにドアチェーンを外して扉を開ける。


「わぁ!」


「どぅわぁ!?」


 いきなり物陰から卯月が飛び出してきた。思わず尻もちをついてしまう。


「あはは! 驚いた?」


「おっ……おまっ……こ、殺さないでくれぇ!」


「何言ってるの? そんなことしないよぉ!」


 ニッコリと笑う卯月の顔はヤンデレ要素が欠片も見当たらない太陽のような笑顔。


「さっ……さっきは何だったんだよ……」


「あぁ……『デコルテキッス』の課題曲ってさ、すっごいヤンデレな女の子の歌詞なのかって思って。どんな気分なんだろ〜って思って自分の中に落とし込んでたんだ」


「ヤンデレを?」


「ヤンデレを」


 卯月は「私、何かやっちゃいました?」と言いたげに首を傾げて俺に手を差し伸べてくる。


 その手を取って立ち上がると、卯月は靴を脱ぎ「虎子ちゃーん! 遊ぼー!」と元気な声で呼びかける。


「くっ……来るなぁ!」


 虎子はまだ誤解したままらしく、部屋の奥から情けない声で悲鳴をあげていたのだった。


 ◆


「で、虎子ちゃんは何の話をしに来てたの?」


 俺の出したお茶をすすった卯月が虎子に尋ねる。


「曲の落とし込みの相談だよ。恋なんてしたこと無いのに恋の歌なんて難しくねぇか? 卯月もそうだろ?」


「えっ!? あー……あはは……そ、そうだねぇ……」


 卯月は両手の人差し指をツンツンと突き合わせながら俺の方を見てくる。


「まぁ卯月はもう自分なりの落とし込みは出来てるだろ。ヤンデレがテーマで、あんだけ解像度の高いヤンデレを演じてたわけだしな」


 何なら俳優としてドラマの仕事もゆくゆくは出来るかもしれない、と彼女を待つ明るい未来に思いを馳せる。


「もっ、元々そういう人じゃないよな……?」


 虎子は余程、卯月のヤンデレがトラウマになったらしい。顔を引きつらせながら尋ねる。


「あはは! そんなわけ無いじゃん! ね? 黒子さん?」


「俺に振られても困るぞ!?」


「ま、虎子ちゃんも自分がそうなってみたら分かるんじゃないかな? 黒子さんを好きな人だとしてみてよ」


「えー……ま、まぁ……分かった……」


 虎子は照れくさそうに俺をチラチラと見ては明後日の方向を向き直している。


「でね……えいっ!」


 ムギュっとした感触。卯月が左隣から抱きついてきた。もうこれくらいでは驚かなくなってきた自分が悲しい。


「おまっ……な、何してんだよ!?」


「ふっふーん。どう? どういう気持ちぃ?」


「どういうプレイだよこれは……」


 卯月は俺のツッコミを無視して続ける。


「『死んでも離さない』って思ってた人が、他の女の子とイチャイチャして鼻の下を伸ばしてるの。虎子ちゃん、どう?」


「俺は無だからな。無だぞ。何も思ってないからな」


「え〜! もっとデレデレしてよぉ〜!」


 いつにも増して卯月がぶりっ子になって絡んでくる。


 これも虎子の嫉妬心を煽り、歌詞の理解を深めるため、と割り切って無抵抗を貫く。


「だああああ!」


 虎子は頭がパンクしたように叫び、俺の脇腹にタックルしてくる。


「ぐふっ!」


「へああああ!」


 タックルの勢いで卯月と反対側の右隣から抱きついてきた。そのまま俺の胸のあたりで頭を何度も動かしてこすりつけてくる。


「犬かよ……」


「こっ、これが……『死んでも離さない』……『抱き合って指を絡ませて』……なるほどな……」


 抱きついたまま虎子は俺の手を取って指を絡めてくる。


「ちょ……やめろって」


「むー……えいっ!」


 反対側から卯月も更に抱きついてくる。


「二人共これはヤンデレじゃないからな……」


 解像度が全く上がらない二人のグダグダな検証は1時間も続いたのだった。

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