第26話
冬が過ぎ去り、年度が変わったばかりの4月。トントン拍子でサバイバルオーディション『Up or Out』の審査に合格し出場が決定。遂に収録の初日を迎えた。
方式は視聴者投票型。事前に収録したパフォーマンスの様子や普段の練習風景を番組として放送、視聴者が良いと思ったグループに投票する。投票数が少ないグループから脱落していき、最後に残ったグループが晴れて優勝。今後の活躍が約束される、という企画だ。
出場するグループは地下アイドルが5組、有名だった『落ちてくる』人達が5組の計10組らしい。人気が落ちてきて再起を図っているとはいえ、活動歴のある人達の方がファンが多いため圧倒的な有利な企画。
視聴者投票で結果が決まるため実力勝負だけではない分、地下アイドルサイドは厳しい戦いになりそうだ。
当然、俺達がいるのは地下アイドル側の控室。ただ、いくら有名ではない地下アイドルグループとはいえ、何百組の選考を勝ち抜いた5組なのでルックスは良い人達が集まっているみたいだ。
控室ではエトワール5人が一斉に横に並び、他のアイドルグループの人たちと一緒にプロのスタイリストにメイクをしてもらっている。
「あのー……エトワールの方ですか?」
ぼーっと椅子に座って5人の準備を待っていると、別のアイドルグループのメンバーと思しき人が話しかけてきた。
「あー……はい。マネージャーをしている黒子と言います」
「お店に行ったことがあるので見たことがあるんです。エトワール、すごい勢いですね。ライブに出たのは一度だけなのにオーディションに通っちゃうなんて……どなたかお知り合いなんですか? 良ければ黒子さんと仲良くしたいなぁ……なんて」
何やら探りを入れられている感じがしてならない。ここにいるのは単に5人の実力。だがこの人はコネがあると思っているんだろう。
「いや、別に――」
俺が適当に流そうとしたのだが、横から響が割って入ってきた。
「はいはーい。マネージャー、お水買ってきてよ〜。私、硬水しか無理なんだわ〜。一緒に買いに行こ〜。それじゃ〜」
響が無理矢理俺を立たせて部屋から連れ出してくれた。
「大丈夫?」
「おう。ありがとうな。変なのに絡まれたんだよ。コネだって思われて――」
「あら? あらら? 黒子君!? そうよね!? 黒子君よね!?」
響と廊下で話していると、通りすがりの女性がいきなり話しかけてきた。
50代くらいの人で、授業参観に来た母親のようなフォーマルな服装に厚塗りの化粧。何よりも、彼女の服に染み付いているホワイトムスクの匂いで脳裏にこびりついた記憶が無理矢理引っ張り出される。
「あ……お、
「あら、他人行儀ね。昔みたいに
「え、エトワールっていうグループのマネージャーをしていて……」
「あら、そうなのね。ならライバルだわ。うちの事務所の『毎晩がマスカレイド』っていうグループが出るのよ。顔出しをしていなくてね。別の部屋で準備をしているの」
「そ……そうなんですか……」
「黒子君ならいつでも歓迎よ。楽屋でも、事務所でも……家でもね。連絡先、渡しておくわ」
小場がそう言って俺に名刺を渡してくる。吐き気に耐えながら名刺交換を終えた俺は小場と分かれるとトイレに向かって走り出す。
「く、黒子!? 大丈夫!?」
背後から響の心配そうな声が聞こえるが今はそれどころじゃない。最寄りのトイレは多目的トイレ。引き戸を開けて駆け込み、便器に顔を突っ込んで胃の中の物を全部吐き出す。
「うえっ……」
「大丈夫、大丈夫……え、き、昨日飲みすぎた?」
胃の痙攣からくる苦しさに耐えていると、不意に背中をさすられ温かい言葉がかけられた。響がトイレの中まで付いてきていたようだ。
「ふっ、二日酔いなんだわ……」
「それ、嘘だよね?」
「そんな事……」
「さっきの人、誰? 元カノにしては歳上すぎる気もするけど……熟女好き?」
俺は響の質問を無視して洗面台で顔を洗い、口をすすぐ。
「そんなんじゃねぇよ!」
自分でも思ったより声が出てしまう。
「あ……あはは……ごめん……」
響も顔を引き攣らせて地雷を踏んだ事を察してトイレの扉に手をかけた。
もう限界だ。誰かに吐き出さないと。
俺は扉を開けようとしている響の手を掴む。
響は動じず、「どした?」と明るく尋ねてくる。
やっぱり今言う事じゃない。これから大事な収録なのだから。今日はグループ毎のメンバー紹介と一曲ずつパフォーマンスを披露する事になっている。影響が出るのはまずい。
「あ……やっぱり何でも無い……」
響は何かを察したようにふっと優しく笑うと、重ねた手を握りしめ、そのまま俺を抱きしめてきた。空いている手で響が俺の髪の毛をクシャクシャにしてくる。
「よしよし、黒子、我慢しすぎないでね」
「わ……分かってるよ。今は収録に集中してくれ」
「了解。じゃ、また後で」
二カッと笑い、響が先にトイレから出ていく。
俺も気分を落ち着けると、収録を見守るためスタジオに向かうのだった。
◆
本番開始直前のステージ裏。俺は5人を集めて最後の打ち合わせを始めた。
「いいか? エトワールの入場は一番最初だ。後ろの奴らのことが気にならなくなるくらいにブチかませよ。入ってすぐ右にカメラがある。そこに向けて決めポーズだからな」
全員が頷く。
「エトワールさん入場でーす!」
スタッフが丁度呼んできたので、5人を見送る。
少しして入場のBGMがかかった。それを合図に5人がステージへと踏み出す。
ステージ裏のモニターから様子を窺う。カメラの前でピタッと5人が揃い、背筋を伸ばして使用人のように一礼をした。
顔を上げるや否や、その場でヤンキー座りをして尊大な表情で睨みつけ、中指を立てる。
動きが一糸乱れていないので今日は調子が良さそうだ。これならパフォーマンスも――
「黒子?」
聞き馴染みのある声にハッとして振り向く。
「なっ……あ……アヤ……」
そこにいたのはデビューしたての時によく使っていた制服を模した衣装を身に纏ったアヤ。
「ふぅん……エトワールの仕掛け人、アンタだったのね」
アヤは俺の横に来てモニターを一緒に眺める。
「そうだよ」
「分かってると思うけど、あたしも出る。ここでチャンスを掴むの。最後のチャンス」
落ちぶれたもんだ。トップアイドルの座を掴みかけた寸前で何故か世間の手の平返しに遭い急な失速。
髪の毛で隠してはいるが、格闘技の大会に出た際にボコボコにされて額には一生残るレベルの傷までついている。
そして今では『元売れていて再起を図るアイドル』枠で無名の地下アイドル達とサバイバルオーディションで争っている。まぁその中では客寄せとして知名度がある方なんだろう。
いくら落ちぶれたとは言え、ここにいるのが良い意味で場違いなクラスではある。
「ま、精々頑張ってくれ」
「負けるつもりはないから」
そう言ってアヤはスタッフの呼び込みに応じてステージの方へと向かっていった。
その後ろ姿はどこか弱々しく、往年の輝きは失われていたように思えてならないのだった。
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