第20話

 Axamの事務所。やる事がないが家にいても暇を持て余しているアヤは事務所の一室でスマホゲームをしていた。


 そこに社長が入ってくる。


「おい。仕事だ」


 アヤはガタンと椅子から立ち上がる。プロデューサーとのコネで起用されたバラエティ番組でも爪痕は残せず2回目は無し。


 このところの仕事と言えば怪しい通信販売の広告写真のモデルくらい。


 歌番組なんて一切呼んで貰えなくなった。ちょっとミスをしたくらいで簡単に『放送事故』だなんてまとめサイトが騒ぎ立てるからだ、とアヤは苦々しく思っていた。


 社長のトーンからしてこの仕事は悪いものではない、とアヤは直感する。


「どんな仕事?」


「身体を使うんだよ」


「えっ……そ、そういうのは嫌よ!」


「はんっ! 『まだ』そこまで墜ちられちゃ困るぞ。いや……逆に今の方が高く売れるまであるか……契約金は億単位だろうな。やるか?」


 アヤは生唾を飲み込む。億単位のお金に目が眩みそうになる。だがそうなったら、手を掴みかけたあの輝かしい世界は二度と拝めない。アンダーグラウンドの世界で藻掻くしかなくなる。


 まだ表舞台でやれる。その意志からアヤは首を横に振った。


「やらないわ」


「分かったよ。まぁそれはそれとして、この仕事は身体を張ってもらうやつだ。『GetDown』って知ってるか?」


「え? あー……あの動画サイトで人気の格闘技の……」


 入れ墨の入った男達が汚い言葉で罵り合い、拳で競ってどちらが強いかを決める人気企画。動画を出せば数百万回は簡単に再生されるので、世間に露出する機会としてはまたとないチャンスだ。


「コンパニオンみたいな役割?」


「いや、あれの女性版をやるんだと。戦う側でのオファーだよ」


「えっ……無理無理! スポーツ経験もないのよ!?」


「だから話題になんだよ。それとも何だ、このまま世間に忘れられていってもいいのか?」


「それは……それだけは嫌!」


 アヤは自分の原動力が世間からの承認にあると分かっている。だからこそ、どんな仕事であっても、アヤという存在を忘れ去られないため、またいずれアイドルや女優としての仕事を増やしていくために、渋々ながらGetDownのオファーを受けることにしたのだった。


 ◆


 今日も今日とてレッスンが終了。着替えるために更衣室へ向かう人とは逆に、汗をタオルで拭きながら卯月が俺の方へと寄ってきた。


「黒子さーん。サビのところ、教えてほしいんだけど……時間ある?」


「あぁ、いいぞ。今からやるか?」


「ううん。ちょっと休憩してからでもいい?」


「はいよ」


 卯月は水の入った2リットルのペットボトルを持ち上げると、半分ほど残っていた水を一気に身体に注ぎ込む。その姿を横から眺める。


 上気した頬、水をゴクリと飲む度に上下に動く細い首、身体が求めていたものを取り込める安心感から薄く閉じられた目。


 どれだけ傑出した女優が演じようとしても演じきれないであろうフレッシュさが滲み出ている。


「ん? 何?」


 俺が見惚れていると、卯月が不思議そうに俺の方に顔を向けた。


「ムホホっ! ムホっ! 卯月たんは可愛いなぁ! フレッシュモッツァレラ! ……と言いたいのかと」


 更衣室から出てきた茉美が勝手に俺の心情のアテレコをする。


「勝手に吹替版を上映しないでくれ」


「おつフレッシュっした〜」


 独特な挨拶を残して茉美が出ていったのを皮切りに残りのメンバーも次々と帰宅。さっきまでやかましかった店内は卯月と二人っきりの静かな空間に早変わりした。


「そろそろやるか? あんまり遅くなっても悪いだろ」


「あ……うん! お願いします!」


 二人で並んで鏡の前に立つ。男女なので身長差はそれなりだが、顔のサイズと、胴と脚の比率が違いすぎて俺の方が小さいんじゃないかとすら錯覚してしまう。


 もし血縁関係があったとしたらこれだけ残酷な遺伝子ガチャもないだろう。


「私達、お似合いかなぁ?」


 鏡に写った自分達を見ていた卯月がボソッと呟く。


「どこがだよ……ほら、フザケたこと言ってないでやるぞ」


「ふざけてはないんだけどなぁ……」


 ぶつぶつと文句を言う卯月の横で踊りを見せる。すると卯月は感心したように手を叩いた。


「感心してんじゃないって……」


「黒子さん、上手だよねぇ。なんで辞めちゃったの?」


 卯月はストレートに質問をぶつけてくる。


「……教えないよ。卯月にはまだ早い話だから」


 消し去りたい記憶なのでつい冷たくあしらってしまう。


「あ……ごめんなさい……そっか……高校生には難しいってやつ? ……こういう時は若さがネックになっちゃうんだね。何でも話せる響さんが羨ましいや」


 卯月も俺の反応で地雷を踏んだと分かったようで、すぐに引っ込んだ。


 それでも脳裏にこびりついた、香水、塗りたくられた厚化粧、部屋に充満するホワイトムスクの御香の匂いや、間接照明で薄暗い殺風景な部屋の風景は消えることはない。


『あらぁ、アナタ、可愛いのね。14歳? 下の毛は生えてるの?』


『服、自分で脱げる? お姉さんが脱がしてあげようか?』


『子供なのに立派なのねぇ!』


 脳裏で反芻する『お姉さん《ババア》』にかけられた数々の言葉たち。


「おばさんだろうが……っ!」


「ええ!? わ、私っておばさん!?」


「あっ……い、いや! 違うぞ!」


 違うのだけど説明をするには複雑すぎる。


「ふぅん……高校生でおばさん扱いかぁ……」


 卯月に誤解していることは伝わったようで、ドン引きしているというよりは、いじるようにニヤニヤしながら俺を見てくる。


「違うぞ!? ロリコンなんかじゃないぞ!?」


「ふぅん……中学生がいいのかぁ……」


「そんな事無いぞ! 高校生……いやいや! それもだめだろ!?」


 慌てる俺を見て卯月が声を上げて笑う。


「変なこと聞いちゃってごめんね。ほらほら! 次は歌のレッスンしてよぉ! まだ時間あるから! いい?」


 卯月が首を傾げ、顎に手を当ててお願いしてくる。恐らく自分が一番可愛いと思っているポーズなんだろう。


「歌は教えることないだろ……」


「そんなことないよぉ! はいはい! 歌って歌って!」


「俺が歌うのかよ!? 逆だろ!?」


 卯月は俺のツッコミを無視し、『私がオバサンになっても』を熱唱しながら後片付けを始めたのだった。

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