第18話

 金欠。金に欠いた生活というものは苦しい。会社員時代の貯金が目減りしていくストレスと戦いながら今日も今日とてコンセプトカフェの開店準備に勤しむ。


 銀行からの融資は雀の涙程度。後は自分の貯金で賄っていて、世莉架のメイド服も虎子の執事服も、活動資金として俺の貯金で立て替えた形だ。


 だが、遂に自身の生活費にも手を付けないといけない局面がやってきた。ただ、これも後数週間の辛抱だ。店がオープンすれば金が回るようになるので生活に余裕もできるはず。


 そんな風に自分に言い聞かせ、一袋10円のもやしをスナック菓子のように食べながら5人のダンスを見ていると寝不足と栄養不足からフラフラしてきて、近くの机に手をついてしまった。


「だ、大丈夫!?」


 全員が踊りを止めて俺に近づいてくる。よろけてしまった俺も悪いが、これはこいつらが失格だ。


「何があっても踊るのは止めんな。トラブルで音楽が止まっても、ステージが崩れても、メンバーが倒れてもだ。マイクが壊れたら絶叫して最後列まで声を届けんだ。一度パフォーマンスが始まったら止まらないんだよ。まだ意識が低い――」


 俺の説教は「ぐぅ〜〜!」という腹の虫の爆音でかき消される。


「もやしですか……お好きなんですか?」


 床にしゃがみ込み、鑑識のように落ちたもやしを観察している茉美の質問に「別に」と応える。


「ちょ、黒子。こっち来て」


 響は俺を立たせると手を引いてバックヤードに連れ込む。


 バタン、とドアを閉めた瞬間、響は「どうしたの?」と尋ねてきた。


「らしくないよ。忙しいのは分かってるし、レッスン中にご飯を食べることは珍しくなかったけど……もやしって……ダイエットでもしてるの?」


 響は腕組みをして親身になって話を聞こうとしてくる。


「いや……実は結構金がカツカツでさ……けどそんなの言えないだろ。響以外は皆、高校生だしさ」


「じゃ、私には言えば良い。幸運なことに私の実家は食べ◯グの評価3.7の名店な訳で。美味しい廃棄と賄い、たくさんあるよ?」


「そんなに評価高いのかよ!?」


「まぁねぇ」


 響は自分の手柄でもないのにドヤ顔でそう言う。


「私が一番困ること、何か分かる?」


「禁酒令が出ることか?」


「それは2番目。1番は、黒子が倒れていなくなることだよ」


 響は真っ直ぐな視線を俺にぶつけてくる。


「あ……ありがと……」


「だからさぁ! 今日のレッスンが終わったらうちで飲まない!? 飯も酒もタダ! どう?」


「た、頼むわ……出来るだけカロリーが高いやつで……」


 響は呆れて笑いながらバックヤードを先に出ていく。


 響の優しさを噛み締めていると、涙腺が綻びそうになったので少し時間を置いてバックヤードを出る。


 すると、5人が並んで俺の方を見てきた。練習なので服装は全員メイド服ではなく、ゆったりしたTシャツ。


 それでも、背筋を伸ばし、身体の前で手を重ねている立ち姿はまるでメイドそのものだ。


 そして、卯月が真っ直ぐに手を挙げた。


「月曜、火曜、水曜担当! 卯月であります!」


「……はぁ?」


 なんだそれ。


「……木金担当。世莉架」


「土日と昼食担当。響だよ」


「だから何だよ……」


「黒子さんのためにお弁当作ってくるね。ま、ここでも簡単なご飯なら作れるけどさ」


 卯月がニッと笑ってそう言う。


「別にいいよ。もやしダイエットしてんだ」


「あのバックヤード、聞こえないように思えて意外と声が漏れるんだよな」


 虎子が苦笑しながらそう言う。


 どうやら響との会話は丸聞こえだったらしい。


「お前らは大事なタレントなんだから自分等のことだけやってればいいんだって」


「……それは無理。心配」と眉尻を下げた世莉架が首を横に振る。


「というより、私達はダンスも歌も黒子さんに習っているんです。黒子さんがいなくなったら活動が全部止まってしまいます。だから止めないために最善の策を取っているだけなんですよ。そりゃまぁ……し、心配はしていますが……」


 角度のついた変化球。茉美らしいメッセージだ。


「倒れんじゃねぇぞ……ばか」


 虎子が俺に近づいてきて、デコピンをする。


「虎子……お前、ツンデレなのか?」


 今日日流行らんぞ、という指摘はグッと喉で押し止めるも、俺の質問に虎子が顔を赤らめた。


「んっ……んなことは今は良いだろうが! 飯食えよ! 飯! パンだよ! ほら! 食え!」


 虎子はスクールバッグから取り出した菓子パンをその場で開けると、俺の口にねじ込んできた。


「りょっ、料理はできねぇけど菓子パンならいくらでも持ってきてやる! だから食えよ! 毎朝だからな! 欠かさず食え! 必ず食え! 絶対食え!」


「ふぁ……ふぁひふぁほ……」


「あー……わ、私も何かしたいですが……お菓子は栄養が偏りますし食事当番は足りていますし……ヌきますか? 手で」


 茉美はあたふたしながら女子高生がすべきでないジェスチャーを見せてくる。


「困ったからってエロに逃げるなよ!?」


「ぐっ……わ、私の出る幕はないようです……」


「そんな事ないぞ。まぁ……じゃあ皆に甘えるか。店のオープンまであと2週間。そこを乗り越えたら多分余裕が出るはずだから、それまでかな」


 俺は虎子がくれたパンを咀嚼しながら椅子に座る。


「じゃ、レッスン再開だな」


 5人の優しさに涙が出そうになるが俺がここにいるのはこの5人に好かれるためでも飯を作らせるためでもない。


 まともなフィードバックをするため、心を鬼にしてまたレッスンを再開するのだった。


 ◆


 レッスン後、響の実家であるレストランの2階部分にある自宅に招かれ、夕飯をご馳走になることになった。


 両親は一階で店を切り盛りしているため、おしゃれな食器が飾られているリビングは二人っきり。


 響は手早くあり物で作ったサラダと温かいパン、スープを出し、キッチンに立ちワインの栓を抜くと、グラスになみなみと注いだ赤ワインを片手にパスタを茹で始めた。


 サラダを食べると欠乏していたビタミンが身体中に行き渡り、パンを食べると止まっていた頭が回転を始め、スープを飲むと身体の芯から温まってきた。


「ふっふーん。どう? 美味しい?」


「めっちゃうまい……」


 喋ることも忘れてがっついていると、響がゲラゲラと笑う。


「そんなになるまで頑張んなくてもさぁ。もっと早く言ってくれたら良かったのに」


「言えないだろ……」


「銀行の融資とかもさぁ、そりゃ高校生には難しいかもしれないけど。私は唯一の大人なメンバーだよ?」


「ま……そうだな」


 そこから普段のちょっとした悩みや愚痴を二人で言い合う。


 そんな話が続くこと30分くらいが経過。次々と出てくる料理と片付けのために響はキッチンに立ちっぱなし。


 そして、俺の話に「うんうん」と頷きながら新しいワインの栓を開けた。


「……ん!? 何本目だよ、それ」


「え〜? わっかんないなぁ〜」


 響の手元にはワインの瓶が3本。こいつ、めちゃくちゃ飲んでやがる!


 そもそも響と出会ったのも飲み過ぎで寝過ごして終点送りにされたからだったし、酒癖が悪いのは自明のことだった。


「おまっ……飲み過ぎんなよ……」


「だいじょ〜ぶ〜! お肉、じっくり低温調理してるからお風呂入ってきなよ。どうせガス代もケチってシャワーにしてるんでしょ?」


「そこまでは悪いよ……」


「気にしない気にしない! 毒を喰らわば皿まで、だよ」


「自分の家を毒扱いするなよ!?」


 響はトテトテとキッチンからやってきて俺を立たせて背中を押す。そのままリビングを出て風呂の前まで誘導してくれた。


「じゃ、いってらっしゃ〜い!」


 バタン、と引き戸が閉められたので仕方なく服を脱ぎ、浴室へ入る。


 いつの間にか風呂まで用意してくれていたなんて至れり尽くせりだ。


 適当にシャンプーを手に取ると響と同じ香りがして何とも言えない気持ちになる。


 開き直ってバシャバシャと頭を洗っていると、急にガタン、と浴室の扉が開いた。


「やっほほほ〜。来ちゃった〜」


 呂律が回っていない、酔っぱらいテンションの響の声。


 そして、鏡越しに見えたのは、タオルで前面を隠した響の身体だった。

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